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田母神俊雄氏が2010年11月21日に行った講演の内容を13項目に整理し、その間違いを「タモさんのトホホな講演 デバッグ」の通しタイトルで9回に分けて指摘する。
講演全体のまとめ
9回の目次
3.日本は侵略も植民地支配もしていない
<田母神講演の要約>
日本は侵略をした、植民地支配をしたということになっています。植民地支配と侵略によってアジア諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことになっています。しかし日本は植民地なんか一つも持っていませんでした。韓国を併合したのは、日本人と同じようにしようとしたんです。学校、病院、工場、発電所を作って、日本と同じように発展させた。韓国の京城-いまのソウルです-には、日本で6番目に帝国大学を作った。台湾には7番目です。大阪帝国大学や名古屋帝国大学より早いんです。愚昧政策を採った白人国家の植民地支配と全然違うんです。
(1)「併合だから植民地ではない」は本当か
デタラメです。
「植民地」というのは法的概念ではありません。だから法的形式が「併合」だったからといって、「植民地ではない」とはいえません。それが通用するならば、英国統治下のインドは「インド帝国」であって植民地ではないと言えるし、フランス統治下のアルジェリアは「海外県」であって植民地ではないことになってしまいます。しかしこれらの国や地域が植民地だったのは紛れもない事実であり、それと同じように朝鮮が日本の植民地であったことは、世界の常識です。
(2)「日本人と同じにしようとしたのだから植民地ではない」のか
間違いです。
日本人と同じにするために行ったのが、あの創氏改名です。しかしその一方で大日本帝国は朝鮮人を一度たりとも選挙に参加させていません。このように大日本帝国に都合の良いときは一体性を強調し、都合が悪いときは別民族として扱っていたのですから、一方的に日本側の都合だけを押しつけた「内鮮一体化」でした。
学校を作ったのは事実です。しかし校長は日本人で、内容は徐々に日本語教育に差し替えられ、ついには朝鮮語が禁止されました。
工場、発電所を作ったのも事実です。しかし朝鮮への投資は朝鮮人を豊かにしませんでした。1931(昭和6)年、宇垣朝鮮総督が天皇に拝謁したときに語った言葉が伝えられています。宇垣が2度目の朝鮮総督となって朝鮮に赴任する際に、天皇に朝鮮統治の方針を述べているのです。
「その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。朝鮮の富は併合以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数存在致しております。」
朝鮮総督でさえ、天皇にこう報告しているのです。日本が収奪するための工業化だったので、朝鮮民族にはほとんど恩恵がなかったのです。
では、朝鮮総督でさえ「今日なお生活苦に呻吟しておる」と嘆いた朝鮮人の暮らしはどういうもので、その理由はなんでしょうか。農業開発を見てみましょう。
(3)土地の収奪
次の資料は『朝鮮米穀経済論』 (1937年、東畑精一)に載せられている「全羅北道、五水利組合の土地移動」の記録です。朝鮮半島の土地所有の変遷の一例です。戦前の本ですから、「戦後になって左翼がねつ造した偽りの歴史記録ではないか」と田母神さんが心配する必要はありません。
1920年(単位は町歩)
朝鮮人所有 | 4,181 (39.63%) |
---|---|
日本人所有 | 3,674 (34.82%) |
その他 | 2,694 (25.53%) |
合計 | 10,549 |
1931年(単位は町歩)
朝鮮人所有 | 3,545 (17.87%) |
---|---|
日本人所有 | 8,999 (45.36%) |
その他 | 7,292 (36.76%) |
合計 | 19,836 |
ごらんのように日本が投資して水田を開拓したのは事実です。水田面積は2倍近くになっています。が、朝鮮人所有の土地は却って少なくなっています。割合も減り、絶対面積も減っています。
「その他」というのは東洋拓殖会社(英国の東インド会社をモデルにして作られた国策会社)のような法人所有の水田とか国有水田です。つまり「その他」は全部日本の所有です。これが収奪でなくて、何を収奪というのでしょうか。
(4)飢餓輸出
つぎに、下の数字は1人当たりの米消費量(石)を表しています。最初の数字が年次、つぎが日本に対する輸出量、次が朝鮮人一人当たりの消費、最後が日本人1人当たりの消費です。
年次 | 輸出 | 朝鮮人 | 日本人消費 |
---|---|---|---|
1912 | 2,910 | 0.7724 | 1.068 |
1917 | 1,296 | 0.7200 | 1.126 |
1920 | 1,750 | 0.6301 | 1.118 |
1922 | 3,316 | 0.6340 | 1.100 |
1924 | 4,722 | 0.6032 | 1.122 |
1926 | 5,429 | 0.5325 | 1.131 |
1928 | 7,405 | 0.5402 | 1.129 |
’31-34 | *8,456 | 0.4059 | 不明 |
資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)
*印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版から算出した年平均。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1064589694/168
このように日本向けの輸出は2.9倍に増えています。そこで日本人1人当たりの消費量は増えています。それなのに、朝鮮人の1人当たりの米消費量は16年で47.5%も減り、日本人の半分に落ち込んでいます。これでは「朝鮮人の一般生活程度はわが国の奈良朝時代のそれに相当する」と言われるのもむべなるかな、です(大阪市社会部労働課『社会部報告177号』「朝鮮人労働者の近況」1933(昭和8)年)。
こういうのを搾取といい、飢餓輸出といい、絶対的貧困といいます。
ところで今見た水田の急速な開拓に民衆を動員した政策を、「産米増殖運動」といい、朝鮮の農村が疲弊する大きな要因となったのですが、この時に整備された強制的民衆動員システムが、後になって、なんと強制徴用(強制連行)を実施するにあたって有効に機能したのです。まさしく骨までしゃぶり尽くす支配、それが朝鮮植民地政策でした。
英国の場合、人件費の安いインドで紡績工業を興しました。そのため英国内にインド製品が逆流し、英国本土の紡績工業が全滅してしまいました。同じ事が日本でも起きています。朝鮮から高品質の米を安く輸入したので国内市場で値崩れが起こり、農村が疲弊しました。そこで餓死や「娘の身売り」などが起こって5・15事件の引き金となり、「満蒙開拓団」を生む原因ともなったのです。植民政策が、さらなる戦争を呼び起こす要因となったのです。
(5) 人口が増えているのは善政の証拠なのか
しかし、です。朝鮮が豊かになった証拠に人口が増えているじゃないかと言う人がたくさんいます。そこでそれも調べましょう。良く用いられるのは下の数字です。
http://www.geocities.jp/kankokuchousen/kankoku-003.html
1753年 | 730万人 | |
---|---|---|
1850年 | 750万人 | |
1906年 | 980万人 | (朝鮮は日本の保護国へ) |
1910年 | 1,312万人 | (日韓併合条約) |
1920年 | 1,691万人 | |
1930年 | 1,968万人 | |
1940年 | 2,295万人 | |
1945年 | 2,512万人 | (日本の敗戦) |
このうち、1906年までの統計は正確ではないので省きます。1906年までの数字が低いのは、統計から女性が漏れていたり、被差別民が漏れていたり、また税を徴収するための調査なので家族を隠したりしているからです。
1906年から1910年までの4年間で人口が300万人以上(1.33倍)増えているのは現実の人口増加を表しているのではなく、データの偏りが改められたことを示しています。
そこで日本政府が調査した1910年からの数字が正しいと仮定して人口増加率を計算します。1945年までの35年間で人口は1.9倍。年平均増加率は1.2%です。
ところで「人口が増えたから善政だった」「欧米の植民地政策と比べれば日本のは善政だった」の2つを整合させるには、「欧米の植民地では人口増加が少ない」という事実が示されねばならないはずです。
では同じ時期の他国の統計を見てみましょう。
≪フィリピン≫(アメリカの植民地)
フィリピン政府の国勢調査のデータを示します。
*http://www.census.gov.ph/data/papers/Senior_Citizens.doc
1903年 | 760万人 |
---|---|
1939年 | 1,600万人 |
計算すると年平均増加率は2%です。
おや? 朝鮮では年平均増加率は1.2%でしたよね。じゃあアメリカのフィリピン支配の方が良かったんでしょうか? それなら何もわざわざ日本が「解放」しに行かなくても。
≪ラオス≫(フランスの植民地)
http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/fawg/France/france%20date.html
1912年 | 649,600人 |
---|---|
1940年 | 1,078,000人 |
年平均増加率は1.8%です。困りましたね、韓国は他のどこよりも人口増加率が低いじゃありませんか。ここもわざわざ「解放」に乗り出していくほどのことはありません。
このように見てきた結論は、日本の植民地統治は全然善政じゃないし、他国のやり方ともあんまり違いはないということです。
そりゃそうです。それが植民地というものなのですから。そしてこういう事どもの総体を、侵略というのです。