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マイミクのもぐらさんのところで平和憲法についての考察が続けられています。
そこに書き込むと困惑されるかも知れないし、無用の摩擦を起こしたくないので、こちらに書きます。
■平和派の論理の弱点
まず1つ目は、善悪二元論の危うさです。
日中戦争なら日本が悪で中国が善、ベトナム戦争ならアメリカが悪でベトナムが善、中東ならイスラエルが悪でパレスチナは善……などなど。侵略者が悪であるのは間違いありません。しかしそれは被害国政府や抵抗組織が何であれ善だということを意味しません。
イスラエルが悪辣なのはそのとおりで、弁護の余地はありません。しかしイスラエルと戦うハマスだって、パレスチナ民衆に対する抑圧者の一面があります。イスラエルの攻撃が非人道的なのは言うまでもないことです。しかしそのことは、ハマスの対抗戦術が人道的であることを意味しません。
平和と安全を口実にしたイスラエルの侵略は、イスラエルの平和と安全に寄与していないと私は考えています。同時に、イスラエルの侵略を抑止する方法が、無差別なロケット攻撃しかなかったとも思いません。その攻撃がパレスチナの安全を高めたといえないのは、私たちの眼前で繰り広げられた残虐な戦いで証明されました。
侵略に対抗して戦う権利は誰にでもあります。
戦いを組織するのは政府なり政府に準ずる組織ですが、それらの組織が必ずしも民衆と利害を共にしないのは言うまでもないことです。タミル解放の虎やタリバンのように組織防衛のために民衆を盾にして戦うのが善であるとはとても言えません。
戦いの当事者のどちらかが善であると考えるから、ハマスの評価に困ったり迷ったりするのではないでしょうか。
ハマスはイスラム勢力の資金援助で民衆福利に貢献している良い面を持っています。しかししょせんは他人のふんどしであって、ちゃんとした経済政策や安全保障政策を持っているように見えません。だから自立的政治勢力と言えるのか疑問です。ヘゲモニー争いで他党派にテロをふるうことをためらわない権力者でもあります。また下手な戦争を挑発し、無益な戦いに民衆を巻き込んだ罪があると思います。シオン議定書などを信じるカルト集団でもあります。パレスチナ民衆がハマスを支持するにはそれなりの理由があると思いますが、支持に見合うまともな勢力に成長できるかどうか、未知数であると思います。
■日本の安全保障について
軍隊を否定したい気持ちは分かります。しかし外国政府が正規軍を使って組織的に侵略してくるとき、日本を防衛する手段として、丸腰に近い民衆の抵抗を対置するのはいかがなものでしょうか。それが膨大な犠牲を伴うほどに効果がないのは、ハマスの抵抗を見ても分かると思います。
度を超して低武装だったり弱兵だと、かえって戦争を誘発するというのが世界史の教訓です。侵略されるのは相対的に弱い国ばかりです。ある程度の武力を持ち、独立の気構えを持っている国には、強国も手出しを控えます。キューバがよい例です。しかし相手が強くても歯向かっていく無茶な国も時にあります(日本やドイツみたいに)ので、武力だけで安全が担保されるのでないのも確かですけどね。
ベトナム戦争が典型例ですが、いったん戦争になってしまうと歯止めが利かずに行き着くところまで行ってしまいます。そして取り返しのつかない巨大な悲劇が起こります。だから戦争は未然に防ぐしかない。そして戦争を未然に防ぐには、外交力と共に抑止力としての武力もまた必要なのです。これが現代国際関係の限界です。
国土防衛に足るだけの武力を抑止力として保有し、そのことで戦争を未然に防ぎ、そうして得られた平和の中で周辺国と信頼を醸成していき、軍縮につなげ、究極的には武力を廃止する……非武装への道はこれしかないと思います。
■最後に
侵略されたら降伏すればよいなどという意見もでていますが、そんな意見は他民族に征服されるのがどれほど屈辱的で悲劇的であるかをわきまえない暴論で、絶対に国民の支持を得られない空想的主張です。戦わずして降伏し、幸福になった民族が一つでもあるなら教えて欲しいものです。
マイミクのいるちゃんが朝鮮政府について別の日記コメントで書いています。
>あんな政府に見えるかもしれませんが、他民族に支配されるよりは全然マシなんです。
私は朝鮮政府をまともな政府と評価してませんが、いるちゃんの言うことには一理も二理もあると思います。
降伏するのは戦いを避けるためだと言っても、どのみち独立のために戦うわけですよね。他民族に支配されている人々が独立のためにどんなに努力しているか、しかしそれがどれほど困難で犠牲の多い戦いを不可避にしているか、ちょっと世界を見渡せば分かりそうなものです。そんなしなくてもよい苦労をどうして望むのか、私にはさっぱり分かりません。
日本国憲法が自衛力を否定していないことや、安全保障のために憲法を変える必要などないことは別の日記で何度も書いているので、ここでは繰り返しません。
<関連日記>
自衛隊合憲論(2007年07月08日)
<追記>
いきなり軍隊が攻めてくるなんてことは、まずありません。
日本に武力がなければ、尖閣列島なんかとっくの昔に中国の物です。
転ばぬ先の杖 尖閣諸島問題
すると台湾は自分の庭先を中国海軍がうろつくことになるのですから、一気に緊張を高めます。米軍だって中国が太平洋に進出する足がかりを作るのではないかと緊張します。つまり日本が主権を守らないことが、国際軍事バランスにも影響を与え、新たな紛争のタネをつくることになるんです。米国は自国の安全のために在日米軍を増強し、基地を拡大するでしょう。日本が出て行けと言っても応じません。
さて尖閣列島のつぎは沖の鳥島です。中国はここを日本領土として認めていません。ここに海軍を先頭に中国漁船が大量進出しても、日本はなすがままです。するとその近海の広大な排他的経済圏を日本は失うことになるでしょう。こうなると竹島近海の漁場も韓国に奪われます。ただでさえ北海の漁場をNATOに奪われて苦しいロシアは、北海道近海の漁場を席巻することでしょう。日本の漁業は壊滅です。
日本に対抗手段がなければ、武力なんか使わなくてもこの程度はできるんです。
周辺国は何かと理由をつけて日本の貨物船を臨検し、貿易を妨害します。円滑な貿易のためには、日本は大幅な譲歩を迫られます。
場合によれば日本の港で船員にトラブルを起こさせ、それを口実に港に警察官か軍隊を常駐させろと要求するかも知れません。断れば港のトラブルが火を噴きます。日本は要求を飲まざるを得ません。こうして国家主権が徐々に奪われるのです。
業を煮やした国民が外国人を襲撃でもすれば、自国民保護の名目ではじめて軍隊が出てきます。日本は対抗力がないんですから、大砲を撃ち込んでくる必要なんかありません。ただ大挙して武装兵がくるんです。
こういう手段は国際社会において珍しいことではありません。日本もかつてやったことです。相手になめられないこと、これが国際社会で生きていく上での鉄則です。それがまた平和を守ることでもあるのです。武装解除はかえって戦争を誘発することになるんです。
外交努力は大切です。しかし話し合いだけでうまくいくことはまずないと思っていた方がいいです。適切な軍備がないばかりに、あるいは弱小であるばかりに、フィリピンは中国にスプラトリー諸島をうばわれてしまいました。戦いはありませんでした。まず漁民が小屋を建て、抗議しているうちにコンクリート性の頑丈な建物が建ち、それでもフィリピンが実力行使しないとみて、中国海軍の基地がつくられました。これは昨年のことです。フィリピンが何もできなかったのは、そこまで飛んでいける空軍がないからです。また既成事実をつくられたころは米軍がフィリピンから出ていたからです。
ベトナムはチュオンサ諸島とパラセル諸島を奪われてしまいました。中国が進出したのはベトナム戦争のさなかで、まさしく火事場泥棒でした。ベトナムは海軍が弱小だったから、1974年の海戦で負けてしまったのです。しかし1978年の陸戦では中国軍から国土を守り抜きました。負けていれば今頃ベトナム最北部は中国が支配していたでしょう。
いずれもつい最近のことです。領土の奪い合いは過去のことではないのです。
主権侵害の可能性は限りなくゼロに近いといえる根拠はどこにもないと思いますよ。