タモさんのトホホな講演 デバッグ3(侵略戦争と植民地支配・続き)

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田母神俊雄氏が2010年11月21日に行った講演の内容を13項目に整理し、その間違いを「タモさんのトホホな講演 デバッグ」の通しタイトルで9回に分けて指摘する。

講演全体のまとめ

2010年11月21日午後2時より、姫路市民会館大ホールに於いて「田母神俊雄講演会(姫路市・姫路市教育委員会後援……トホホ)」が開催されました。 東進衛星予備校専用の受付口が設けられるなど組織動員の成果もあり、参加者は約900名。立ち見も出る盛況...

9回の目次

■元航空自衛隊幕僚長 田母神俊雄講演会 参加メモ ■タモさんのトホホな講演 デバッグ1(歴史認識) 1.自己紹介 2.歴史認識の誤りが国を危うくしている ■タモさんのトホホな講演 デバッグ2(侵略戦争...

3.日本は侵略も植民地支配もしていない(続き)

<田母神講演の要約>
日本は侵略によってアジア諸国民に多大の損害と苦痛を与えたと言いますが、日本が戦ったアジアの国というのは中国だけなんです。敗戦後、日本が侵略国だったと言っている国は一つもなかったんです。バンドン会議でも、アジア諸国から「よく戦ってくれた、我が国が今日独立できたのは日本のおかげである」と感謝されたんです。日本はアジアの独立を助けたんです。

大ウソです。
韓国、朝鮮民主主義人民共和国、台湾が日本の支配から脱したのは、日本のおかげなのですかねえ(笑)。

あのアウンサン・スー・チーさんがミャンマー国民に慕われている理由を、田母神さんは知らないのでしょうか。反ファシスト人民自由連盟を作って日本軍と戦った独立の英雄-アウンサン将軍の娘さんだからです。

ベトナムではホー・チ・ミン率いるベトミンが抗日闘争を繰り広げました。フィリピンではフクバラハップなどの抗日ゲリラが日本軍と激しく戦っています。彼らは独立のために、白人のみならず、日本軍とも戦わねばならなかったのです。

アジア諸国から「よく戦ってくれた、我が国が今日独立できたのは日本のおかげである」と感謝されているというのもいい加減なホラです。

外務省がアセアン各国で世論調査をした結果を確かめましょう。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/yoron.html

第二次世界大戦中の日本について

「悪い面はあったが、今となっては気にしない」

199219972002
インドネシア52%48%44%
マレーシア33%43%50%
フィリピン37%37%51%
シンガポール44%47%62%
タイ36%46%45%
ベトナム71%

「悪い面を忘れることはできない」

199219972002
インドネシア29%33%25%
マレーシア40%32%22%
フィリピン37%36%33%
シンガポール31%41%31%
タイ18%24%18%
ベトナム12%

戦後60年たっても「悪い面を忘れることはできない」人がこんなにいるのです。世論調査に「日本はアジアの独立を助けたから感謝している」という項目を入れたらどんな結果が出たか、ちょっと恐いものがあります。

まあ、ときどきは「日本のおかげ」と言ってくれる有力者がいるのは事実ですが、貧しい国が、経済援助をしてくれる日本にオベンチャラを言ったって、真に受けてはいけませんよね。

日本政府だって、東京大空襲を指揮したカーチス・E・ルメイに、天皇陛下から勲一等旭日大綬章を授けているんですからね。タモさんはルメイに心から感謝できるんでしょうか。

しかし中にはインドネシアの初代大統領スカルノのように、本当に親日的な指導者がいたのも事実です。彼は対オランダ独立戦争の英雄で、オランダ軍に収監されていたところを日本軍に解放され、日本軍の指導で武装組織をつくり、独立のために連合国と戦った経緯があるのです(国民の25%は日本の悪行を忘れていませんが)。

彼は知らなかったのです、『大東亜政略指導大綱』 (1943年5月31日、御前会議決定)でこう決められていたことを。

「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム

インドネシアの各地域を帝国領土にすると決定しています。独立させる気なんか、さらさらありません。何が「アジア解放」でしょうか。白人を追い出したら自分がそこに居座るつもりだったのに、目論見がはずれて負けてしまっただけのことです。

確かに「アジアの解放」の大義を信じた日本人がいたのは事実です。しかし大本営はそのような彼らをどのように扱ったのか。ビルマ独立を唱えた鈴木大佐を無視し、インド独立を信じた藤原少佐を左遷し、インドネシアの現地人に愛された今村大将に対して「強圧的な政策に転換せよ」と恫喝しました。

「大東亜共栄圏」のプロパガンダを信じて戦った日本軍兵士もいました。インドネシアにいた903名の日本軍兵士は日本の敗戦後も帰国せず、インドネシア独立義勇軍に入ってオランダと戦い続けました。戦死者246名(27%)、行方不明288名(32%)という損害を出しながら、他国の独立のために戦ったのです。

インドネシア政府が彼らの功績に報いたのは80年代でした。元日本兵の協力に触れるのはタブーだったのがその理由だそうです。

いま、元日本兵は独立戦争の英雄(45年組と言われる)として尊敬されており、戦いに参加したことを顕す「45」という数字のついた特別の帽子をかぶる栄誉を受けています。政府は軍人恩給を支給し、ゲリラ勲章(ピンタン・ゲリリシャ)を与え、病気の場合には陸軍病院に無料で入院でき、亡くなれば国軍葬を受けて、独立戦争の英雄として英雄墓地に葬られるのです。

日本政府はどうでしょうか。讃えるどころか、長い間彼らを脱走兵扱いして、軍人恩給の対象外としていたのです。その屈辱がぬぐわれたのは、ようやく1991年のことです。

一人の元日本兵は語ります。

生き残った者としては、やっぱり名もなく死んでいった人にこだわっているのだと思います。平成3年(1991年)には日本政府から一時軍人恩給を受け取りました。我々としては金額など問題外で、日本の軍人恩給が支給されたことによって、脱走兵ではなく戦時中に日本が働きかけたインドネシア独立のための職務を果たしたのが認められたと判断して、大喜びでこれを受け取ったのです。(『南の祖国に生きて』上坂冬子、文藝春秋、1997年)

その恩給を受け取れたのはたった21名。受給は1回限りで、1人当たりの平均は、わずか48,280円でした。

私は「大東亜共栄圏」のウソッパチを暴く『大東亜政略指導大綱』のことを多くの人に知って欲しいと願っていますが、彼ら元日本兵だけは、死ぬまで日本政府の裏切りを知らずにいた方が幸せだろうなと思ってしまいます。知ってしまったら、彼らがあまりにも哀れですから。

タモさんが大威張りで自慢する「大東亜戦争」とは、こういう戦争でした。


<資料>

グローバル・アイ:インドネシア元日本兵
薄れゆく独立の援軍=西川恵
毎日新聞 2008.05.24 東京朝刊

今月初め、この欄でインドネシアの首都ジャカルタで日本料理店「菊川」を営み、日イ関係の民間交流の生き字引でもある菊池輝武氏(90)を取り上げた。この時の取材で、同国に残る旧日本兵たちで作る「福祉友の会」が、高齢化で残る1世会員は6人だけとなったことを知った。

第二次大戦直後の1945年8月17日、インドネシアは旧宗主国オランダから独立を宣言し、独立戦争が始まった。この時、独立軍に身を投じた元日本兵は、ざっと700人。独立した49年、生き残った人は約250人だから、約500人の元日本兵が戦死、行方不明になった計算だ。

犠牲者が多いのは、実戦を知る元日本兵が、オランダ軍との戦闘で先頭に立ったからだった。元日本兵が独立戦争に加わった理由はさまざまだ。独立を求めるインドネシア人への共鳴。敗戦の空虚感を埋めるように馳(は)せ参じた人……。しかし多くは現地の女性と結婚し、生活基盤をインドネシアに築き、独立戦争後も同国に残った。

この元日本兵が集まって、79年に「福祉友の会」が結成された。結成の話は以前からあった。しかし独立戦争に加わった個性の強い人たちばかりだから、なかなかまとまらなかった。約200人のうち107人が発起人として名を連ねた。

これを応援したのが、先の菊池氏と毎日新聞の元ジャカルタ特派員だった故奥源造氏だった。結成式は「菊川」で行われた。「日本にいた奥氏に話をすると飛んでこられ、具体的な会発足に尽力された」と菊池氏。

大先輩の奥氏と私は面識はないが、書いた記事や著作を読むと、日本で忘れられていくインドネシア元日本兵に思いを寄せていたことがわかる。OBだった87年、本紙1面夕刊に「帰らなかった日本兵」という連載を2カ月間続け、大きな反響を呼んだ。年末には同名の本を出したが、前後して亡くなっている。

元日本兵らは63年、スカルノ大統領令でインドネシア国籍を付与された。しかし「自力独立」の“神話”を堅持していた同国では、元日本兵の協力に触れるのはタブーだった。これが公に認められるようになるのは80年代になってからだ。

「福祉友の会」は会報を出し、相互支援、日本人墓地の整備などの活動を続けてきた。しかしいま、一世会員は100歳を最高齢に6人。ちなみに奥氏が連載をした20年前、現存者は120人だった。同国に3度勤務した外務省OBの小嶋敏宏氏は「インドネシア元日本兵の幕引きの時期が近づいていると感じます」と語る。(専門編集委員)