従軍慰安婦運動と原水爆禁止運動

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社民党の服部良一議員、従軍慰安婦支援集会に
(読売新聞10月13日 22:47)
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■日韓の大衆運動のちがい

従軍慰安婦を巡って、日韓市民の一部で激しい対立感情が生じている。ニュースに付けられた日記に書かれている、あまりに激しい差別的罵倒は、じつに見苦しいと思う。どうしてこんなにも感情的にこじれてしまったのだろう。

そのことを考えるに当たって、日本の原水爆禁止運動との対比は無意味ではないと考える。日本の原水爆禁止運動は、世界の平和運動の大きな柱の一つであり、各国政府に対してさえ、一種の権威を獲得している。

その運動の特徴は、被爆者たちが加害者を恨む言葉を述べていないところに最大のユニークさがある。原水禁運動は政治運動でありながら、加害者をののしらず、補償も求めず、再び同じようなことが起きないようにと、一種の「祈り」に似た訴えをただ繰り返すのである。

このような運動には、敵が生まれない。敵が生まれようはずがない。核兵器をやめようと被害者が叫ぶことを、誰が非難できようか。その痛切な祈りに共感しない者がいようか。これが原水禁運動成功の理由だと思う。

韓国の従軍慰安婦の運動はこれと異なる。加害者日本を非難し、補償を要求し続けている。この行為に、日本国民の一部はまるで自分が非難されているように感じている。

そう感じる市民のうち半分は、その非難に正面から向き合い、頭を垂れようとしている。もう半分は反射的に反発して、罵り返している。だが気に食わないから罵るというのでは人格が問われよう。そこで従軍慰安婦はいなかったとか、ただの売春婦ではないかとか、そういった理屈で下劣なののしりを正当化しようとするのだが、それは自分自身をもっと卑劣でみじめなものにしてしまっている。

だがそれはともかく、「誰をも非難せず、誰をもうらまず、ただ過ちを繰り返すまいと祈る」というスタイルを従軍慰安婦運動に求めるのが困難であろうことは、ご理解いただけると思う。

■やるだけやった日本と、何もできなかった韓国

日韓の大衆運動のこの差はどうして生じたのだろう。それは歴史総括の仕方が違うからではなかろうか。戦争の総括において、日韓は、一つの点に於いてまったく異なるのだ。

日本の場合、対米開戦までの経緯に色々と言い分があるにしても、戦争を仕掛けたのが自分の側であるのは間違いないところだ。自分の仕掛けた戦争に敗れたのだから、ある意味で文句の言いようがない。負けるまでは、米国は日本人にとって、死力を尽くして戦い合った対等の敵だった。米国に負けたのは、力が足りなかっただけだ。国際法違反や残虐行為はお互い様である。やるだけのことをやって負けたのだという自負があるので、原爆を落とされても、敗北を、一種さばさばと総括できたのではなかろうか。

これに引き替え、韓国側はどうだろう。韓国が日本に攻めかかったのではない。日本が一方的に韓国に襲いかかり、力づくでその独立を奪ったのだ。言っては悪いが、当時韓国の指導者は腰抜けぞろいだった。勇敢な韓国民は旧式の武器を取って死を賭して戦ったのに、指導者達はからきし勇気がなく、日本の脅しに震えていただけだった。国のバックアップなしで戦った韓国の農民兵は、近代的装備の日本軍に、ほとんどなぶり殺しの目にあった。そして植民地とされた韓国人は、日本人から二等国民として差別され続けた。いや、いまも差別されている。

韓国と日本は死力を尽くして戦い合った対等の関係ではないのだ。かたや傲慢不遜に見下す側、かたや不当にも見下される側なのだ。韓国人にとって、これほどくやしいことがあろうか。

韓国は国らしい国のない未開地ではなかった。長い歴史を持つ誇り高い文明国だったのだ。フランスがイギリスを植民地にして、フランス人がイギリス人を二等人種として差別したとしたら、どうなるだろう。誇り高いジョンブルは、何百年たとうがフランスを許さないだろう。それに類したことを、大日本帝国はやってしまったのだ。私たちが同じ目にあわされたら、一体どんな気がするだろうか。

■日本の内なる植民地政治を総括しよう

だから韓国人が簡単に恨みを忘れることができようはずがない。加害者日本を非難し、補償でも要求しなければ、気持ちの持って行きようがないと思う。この関係性に無頓着であっては、恨みはさらに増すばかりだろう。

私たちは、一度きっちりと植民地支配の歴史を清算した方がよい。それは韓国との関係のためだけにそう言うのではなく、私たちのためにもそうした方がよいと思うのだ。なぜなら大日本帝国の腐敗した政治の影は、現代日本にまで尾を引いているから。武断政治、陰謀政治、談合政治、お手盛り政治がどこで培われたかと言えば、何でもやりたい放題の植民地支配の経験を通じてだったとも言える。

そして戦前の国家統制システムは、いまも脈々と生きている。一部のエリートによる「寄らしむべし、知らしむべからず(国民は従わせればよい、大事なことを知らせるべきではない)」の政治システムの最悪の表れが、原発事故だったとも言えるのだ。痛いかも知れないが、日本は古傷を開いて、とことん膿を出し切るべきではないのか。

従軍慰安婦問題を通じて、えらいところに話が及んだが、そんなことを考えた。