今日は西晋が滅亡した日

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西暦316年の今日12月12日(旧暦11月12日)、 西晋が滅亡しました。西晋は卑弥呼の宗女・壱代が貢献した国として有名です。東アジアの人々にとって世界の中心でした。

その帝国を滅ぼしたのは、夷蛮と見下げられていた趙の劉曜(りゅうよう)。いよいよ五胡一六国時代の始まりです。

捕えられた皇帝、愍(びん)帝は、身を奴隷に落とすという印に肉袒(肌脱ぎ)し、支配を明け渡す意思表示として後ろ手に縛られ、璧(へき)をくわえて劉曜にひざまずいたそうです。
彼はまだ少年でした。

劉曜は彼を生かし、戦利品として連れ回しました。狩の時には戟を持つ先導役(奴卑の仕事です)として使い、宴会では杯を洗う役をさせるなどの屈辱をなめさせ、かつての神聖な皇帝を笑い者にしたあげく、翌年に殺してしまいました。そのとき、愍帝18歳。

敗戦はとことんみじめです。

敗戦といえば、熊本で南京事件の新資料が見つかったそうです。

一人の兵士の軍隊手帳に、こう書いてありました。

十二月十三日 綿花地ノ戦斗参加 南京陥落ス 十二月十四日 村上少尉ト斥候トナル(約三百捕領ス 全部殺ス)
*http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101208-00000282-mailo-l43

勝者は敗者を人とも思わない。なぶり殺しにして、「全部殺す」と平気で書く。それが敗戦であり、国の滅亡だと思います。日本はそのような屈辱をまだ知りません。米国に負けたけれど、その支配は穏やかな部類に入ります。日本は運が良かったのだと思います。

しかし韓国・朝鮮は国を失う悲哀を、これでもかというぐらい味わいました。国を奪われ、誇りをはぎ取られ、差別され見下げられ、犬のように唾を吐きかけられました。それでも朝鮮民族は生き延びるために、屈辱に絶えて忍びました。

北の共和国がなぜあれほど猛々しく、意固地なのか。支配者の人格のせいもあるでしょうが、あれほどの経済的苦難の中でも国民が耐えて団結しているのは、それなりの理由があると思います。それは二度と亡国の憂き目にあってなるものかという、悲壮な決意でしょう。

まあ、あそこまで経済的に衰退すると、さしもの共和国公民の愛国心にもかげりが差しているという報道もあるようですが、しかし、「我らが自力で作った祖国に、二度と指一本触れされるものか、祖国の独立を手放してなるものか」という、彼らの必死のがんばりを、彼らの国を滅ぼした国の子孫である我々が笑ったり見下げたりはできないはずです。

一見理解不能に見える彼らの行動原理の根本にあるのは、いわく言い難い亡国の悲しみの記憶と、そこから生まれる強烈な自負心、気概だと思います。そこを抜きにしては、いかなる理解もできないのではないでしょうか。

韓国に対してあれほど敵愾心を燃やすのも、「朝鮮民族の誇りを投げ捨てて米国の飼い犬に成り下がるとは何事か」という心理があるからのように思えます。

日朝関係の改善は、その亡国の歴史について、日本が深く反省する所からしか始まらないように感じます。でも我が国のエリートたちはそこをいとも簡単にスルーして、「北朝鮮が自滅すればチャラ」だと考えているようです。そうかなあ。そんなに甘くもないと思うけど。