関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺

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「在特会」は関東大震災のときにあった「朝鮮人・中国人への暴行・虐殺」を否定しています。聴く人が知らないのを良いことにデタラメを吹聴するのは歴史修正主義者の常套手段ですので、そんな口車に反駁しやすいよう、資料をまとめておきます。くだらないことをコメントしてきたら、この資料を使って撃退してください。

1993年に日弁連が会長名で政府に勧告した〈関東大震災人権救済申立事件調査報告書〉の抜粋です。

■政府の記録に残る事件──軍隊による朝鮮人殺害

資料1「関東戒厳司令部詳報第三巻」付表「震災警備の為兵器を使用せる事件調査表」
資料2「震災後に於ける刑事事犯及之に関聯する事項調査書」

①9/1 東京府月島4丁目付近
外泊休暇中の兵士が朝鮮人1名を撲殺
②9/3 東京府両国橋西詰付近
1兵士が朝鮮人1名を射殺
③9/3 東京府下谷区三輪町45番地電車道路上
1兵士が朝鮮人1名を刺殺
④9/3 東京府大島町3丁目付近
3名の兵士が朝鮮人を銃把で殴打したことがきっかけで群衆・警察官と闘争がおこり、朝鮮人200名が殺害された
⑤9/3 東京府永代橋付近
兵士3名が朝鮮人17名を射殺
⑥9/3 東京府大島丸八橋付近
兵士6名が朝鮮人6名を射殺
⑦ 9/3 東京府亀戸駅構内
兵士1名が朝鮮人1名を射殺
⑧9/2 千葉県南行徳村下江戸川橋際
騎兵15連隊の2名の兵士が朝鮮人1名を射殺
⑨ 9/3 千葉県浦安町役場前
兵士1名が朝鮮人3名を射殺
⑩9/4 千葉県松戸地先葛飾橋上
1将校が1兵士に命じて朝鮮人1名を射殺
⑪9/4 千葉県南行徳村下江戸川橋北詰
1軍曹が兵士2名に命じて朝鮮人2名を射殺
⑫ 9/4 千葉県南行徳村下江戸川橋北詰
1軍曹が兵士2名に命じて朝鮮人5名を射殺

■政府の記録に残る事件──軍隊による中国人殺害

以下の4種類の資料(資料3~6)はすべて大島八丁目広場における事件について伝えています。

資料3「支那人被害及救済に関する件」
資料4「十一月九日丸山、大迫両人大島町中国労働者被害事件調査、八丁目惨殺の件」
資料5「9月6日警視庁広瀬外事課長直話」
資料6「支那人誤殺事件宣伝者に関する件」

第1回虐殺:軍隊による2名の支那人の銃殺(午前中)
第2回虐殺:軍隊及び自警団により約200名を銃殺及び撲殺(午後1時頃)
第3回虐殺:約100名を殺害した(午後4時頃)

以下はその事件を警察が聴取した目撃者記録

資料7「支那人被害の実状踏査記事」

五、六名の兵士と数名の警官と多数の民衆とは、二百名ばかりの支那人を包囲し、民衆は手に手に薪割り、とび口、竹槍、日本刀等をもって、片はしから支那人を虐殺し、中川水上署の巡査の如きも民衆と共に狂人の如くなってこの虐殺に加わっていた。
二発の銃声がした。あるいは逃亡者を射撃したものか、自分は当時わが同胞のこの残虐行為を正視することができなかった。
大島町8丁目146番地 木戸四郎(27才、電気モータ販売業)

■秘匿・証拠隠滅の記録

資料8「遠藤日記」

野戦重砲兵第1連隊(国府台)中隊長 遠藤三郎

野戦重砲第七連隊にて逮捕し亀戸警察署に拘留を依頼す。鮮支人に対する住民の迫害より彼らの保護を同警察に依頼しありしも人員多数にて収容しえず、予、戒厳指令部に連絡して習志野厩舎に収容するに決す。
それが実施に先立ち佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て王希天のみをもらい受け、中川堤防上にて垣内中尉、その首を切り死がいを中川に流す。
王希天は中国の大物と見え、その存否を中国政府より日本政府に問い合わせあり、外交部長自ら捜索に来り、外交問題ならんとす。
警視庁の調べにより佐々木大尉の王希天受領の証書、亀戸警察より出でしため疑惑の目は陸軍に向けられる。 第七連隊長、中岡大佐も金子旅団長も本間題は全然、関知せずという。やむをえず江東地区戒厳参謀たりし予、責任を取り阿部信行参謀長、 武田高級参謀と図り、軍において受領せるも習志野へ輸送途中、本人の希望により解放し、その後の消息不明ということにして殺害を秘匿するに決したるものなり。
正力警備課長は、その秘密を察知しありしが如きも深く追及せず。(略)

殺された王希天は虐殺に動揺する中国人を鎮める役目を務めていました。日本側協力者でしたが、リーダー格だから危険と見なされたと思われます。

資料9「久保野日記」

野戦重砲兵第一連隊第六中隊 久保野茂次

一〇月一八日(晴)
(略) 王希天君は、その当時、我が中隊の将校等を誘い、支人護送につき労働者のため尽力中であった。快活な人であった。
彼は支人の為、習志野に護送されても心配はないということを、漢文に記して、我が支那鮮人受領所に掲示された。支那人として王希天君を知らぬものはなかった。
税務署の衛兵に行き、将校が殺してしまったということを聞いた。彼の乗ってきた中古の自転車は、我が中隊では占領品だな、 というて使用していた (略)」

一〇月一九日(晴)
(略)その真相については逐一、ある者(欄外に高橋春三氏より聞いたと書き込み)より聞いた。中隊長初めとして、王希天君を誘い、「お前の国の同胞が騒いでいるから訓戒をあたえてくれ」というてつれだし、逆井橋の所の鉄橋の所にさしかかりしに、待機していた垣内中尉が来り、君らどこにゆくと六中隊の将校の一行にいい、まあ一ぶくでもと休み、背より肩にかけ切りかけた。
そして彼の顔面及び手足等を切りこまさきて、服は焼きすててしまい、携帯の一〇円七十銭の金と万年筆は奪ってしまった。そして殺したことは将校間に秘密してあり、殺害の歩哨にさせられた兵より逐一聞いた。(略)

■刑事確定記録(事件が裁かれ、判決として残っていたもの)

資料10「本庄事件」(浦和地方裁判所判決1923年11月26日)

 「当時極度に昂奮せる群衆は同署 (注:本庄警察署) 構内に殺到し来りて約三千人に達し同夜中 (注:9月4日夜) より翌五日午前中に亘り右鮮人に対して暴行を加え騒擾中

一、被告Aは同日四日同署構内に於て殺意の下に仕込杖 (証拠略) を使用し他の群衆と相協力して犯意継続の上鮮人三名を殺害し

一、被告Bは同日殺意の下に同署構内にて鮮人を殺して了えと絶叫し長槍 (証拠略) を使用し他の群衆と協力して犯意を継続の上鮮人四五名を殺害し

一、被告Cは同月五目同所に於て殺意の下に金熊手を使用し他の群衆と相協力して鮮人一名を殺害し

一、被告Dは同月四日同演武場に於て殺意の下に木刀を使用し他の群衆と相協力して犯意を継続の上鮮人三名を殺害し尚同署事務所に居りたる鮮人一名を引出し群衆中に放出して殺害せしめ (以下略)」

資料11「神保原事件」(浦和地方裁判所判決1923年11月26日)

 「約一千の民衆は忽ち諸方より来りて該自動車 (注‥保護した朝鮮人を乗せた警察車両) に蝟集し其進路に粗朶を横えて内二台を停車せしめたる上 同日夜半迄に亘り車中の鮮人に対し暴行を加えたる際右群衆に加りたる被告A,B,C,E,F,H,Ⅰ,K,L,M,N, Sは各粗朶棒又は竹棒等を以て鮮人一名乃至数名を殴打し被告0,P,Q,Rは 『ヤレヤレ』 と叫びて群衆を声援激励し以て孰れも他に率先して該騒擾を助勢し」
(中略)
「右取調の終了するや忽ち該鮮人に対し暴行を加え騒擾をなしたる際被告G,J, Lは右群衆に加りたる上Gは粗朶棒を以て該鮮人を殴打しLは小刀を以て該鮮人を突きJは 『ヤレヤレ』 と叫びて群衆を声援激励し以て執れも他に率先して該騒擾を助勢したり (以下略)」

資料12「寄居事件」(浦和地方裁判所判決1923年11月26日)

被告Aは戊(ママ)(判決63貢確認)等百余の群衆に対し鮮人は吾人同胞の仇敵なり桜沢村に於ける木賃宿真下屋にも鮮人滞在し居れる筈なれば何時不逞の所行に出づるや計り知るべからず予め之を襲撃殺害するに如かざる旨を演説し以て群衆を扇動したるより被告B、C、D、E、F、G、J、Ⅹ、L、M等及群衆は之に応じAと共に各日本刀竹槍鳶口梶棒等凶器を携え前記真下屋に向い
(中略)
一、被告Aは前記鮮人甲が畄置場より玄関辺に逃走し来るや同所に於て自己有に係る処携の日本刀(証拠略)にて同人に対し二回斬付け尚右騒擾中ヤレヤレと叫び群衆の暴行を扇動し

一、被告Bは右甲が畄置場より分署前の庭に引出され群衆の乱撃を受け死に瀕し居りたる際自己所有に係る所携のイゴの棒(証拠略)にて同人に対し一回殴打し

一、被告Cは同所に於て同様瀕死の状態に在りたる右甲に対し自己所有に係る所携の檪の棒(証拠略)にて二回殴打し(以下略)

資料13「熊谷事件」(浦和地方裁判所判決1923年11月26日)

一、被告Aは前記八丁地内に於て熊谷町消防組頭乙より鮮人十名の遞送方を託せされ乏が護送中内二人を殺害する目的を以て故意に当時避難民の収容所なる同町熊谷寺境内に引率し行きたる上同所に於てCD等と共謀の上目本刀(証拠略)を使用し他の群衆と相協力して犯意継続の上鮮人二名を殺害し

一、被告Bは同日同町熊谷警察署附近の街路に於て殺意の下に手斧を使用し他の群衆と相協力して犯意継続の上鮮人二名を殺害し

一、被告Cは同日同町熊谷寺境内に於て被告Aの犯行に加担し同人及被告Dと共謀の上殺意の下に日本刀(証拠略)を使用し他の群衆と相協力して鮮人一名を殺害し

一、被告Dは同日同町熊谷寺境内に於て被告Aの犯行に加担し同人及被告Cと共謀の上殺意の下に日本刀(証拠略)を使用し他の群衆と相協力して鮮人一名を殺害し尚犯意継続して同日熊谷警察署附近の街路に於て殺意の下に右日本刀を使用し他の群衆と相協力して鮮人一名を殺害し(以下略)

資料14「片柳事件」(浦和地方裁判所判決1923年11月26日)

鮮人甲が同村大字染谷地内に逃げ入り消防小屋附近に差掛るや折しも同所に警戒し居りたる乙の為に覚知せられて追跡を受け同人方裏手の里道を逃走中圖(はか)らず不逞鮮人の来襲なりと聞き伝え其場に駆付け来りたる被告A及びBの両名と出会しAは槍(証拠略)Bは日本刀(証拠略)を持て右甲を追跡し同染谷字八雲耕地地内に追迫り同所丙方附近の里道に於て甲が後方に振向くや Aは前記の槍にて忽ち同人の胸部を突刺し甲が逃れて附近の薑畑に入り畑構に転倒するや Bは前記の日本刀にて其左肩辺を斬付け同時にAは右槍先にて甲の前頭部辺を殴打したるも同人は直ちに起上がり更に十数間を距る同所甘藷畑に逃入り再び転倒するや被告CDE等も亦不逞鮮人の襲来なりと聞き其場に駆け付け来り同甘藷畑に於て Dは日本刀(証拠略)を持て甲の右腕辺にCは日本刀 (証拠略) を持て其腎部辺に各斬付けEは槍(証拠略)を持って其後頭部辺を突刺し其結果甲は重傷を負い救護の為同郡大宮町萩原病院に収容せられたるも同日午前九時頃死亡するに至りたるもの。(後略)

■裁判記録が確認できないが、裁判を報道した新聞記録が残っているもの

①東京地方裁判所管内

  • 花畑事件 (被告人10名)
  • 西新井村与野通り事件 (被告人2名)
  • 千住町事件 (被告人1名)
  • 南千住町事件A (被告人2名)
  • 南千住町事件B (被告人7名)
  • 巣鴨町宮下事件 (被告人1名)
  • 千歳村烏山事件 (被告人13名)
  • 平塚村蛇窪事件 (被告人3名)
  • 世田谷町事件 (被告人1名)
  • 五反田事件 (被告人9名)
  • 荒川放水路事件A (被告人1名)
  • 荒川放水路事件B (被告人1名)
  • 吾濡町亀戸事件 (被告人2名)
  • 吾滞町大畑事件 (被告人1名)
  • 吾滞町請地事件 (被告人5名)
  • 亀戸町遊園地事件 (被告人5名)
  • 亀戸事件 (被告人6名)
  • 南綾瀬村事件 (被告人11名)
  • 寺島村事件 (被告人12名)

②千葉地方裁判所管内

  • 小金町事件 (被告人1名)
  • 馬橋事件A (被告人6名)
  • 馬橋事件B (被告人2名)
  • 馬橋事件C (被告人6名)
  • 浦安町堀江・猫実事件 (被告人10名)
  • 流山事件 (被告人6名)
  • 船橋事件A (被告人14名)
  • 船橋事件B (被告人7名)
  • 中山村事件 (被告人8名)
  • 千葉市事件 (被告人1名)
  • 佐原事件 (被告人9名)
  • 滑川事件 (被告人14名)

③宇都宮地方裁判所管内

  • 間々田駅事件 (被告人8名)
  • 石橋駅事件 (被告人7名)
  • 小金井駅事件 (被告人7名)

④横浜地方裁判所管内

  • 鶴見町事件 (被告人4名)
  • 横浜市公園バラック事件 (被告人1名)
■「朝鮮人の襲撃」が誤認であったことを示す資料

資料15『戒厳令に関する研究』(内閣総理大臣山本権兵衛)(『政府戒厳令関係史料I巻』所収)

9月2日午後3時ころ自警団員が駒込警察署に同行した爆弾毒薬所持をしている朝鮮人がもっていたものは、砂糖であった。
9月2日午後9時ころ、土木作業員18名を貨物自動車に乗せ、進行中自警団7、80名は朝鮮人の襲来とあやまって朝鮮人を車からひきおろして暴行して、多数の負傷者を出した。

このほか警察資料多数が「朝鮮人の暴動」がただの流言飛語であったことを記しています。

■流言飛語の原因の一つである軍命令

資料16「朝鮮人虐殺関連官庁史料」

①呉鎮副官宛打電 9月3日午前8時15分了解
各地方長官宛 内務省警保局長出
東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。 既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於いて十分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし。

②鎮海副官宛 9月3日午前8時30分了解
朝鮮総督府警務局長宛 内務省警保局長出
東京付近の震災を利用し、在留鮮人は放火、投擲等、其他の不逞手段に出んとするものあり。既に東京府下には、一部戒厳令を施行せるを以て、 此際朝鮮内、鮮人の動向に付ては厳重なる取締を加えられ、且内地渡航を阻止する様、御配慮を頂度。

③呉鏡副官宛打電 9月3日午後0時10分了解
山口県知事宛 内務省警保局長出
東京付近震災を利用し、内地在留鮮人は不逞の行動を敢えてせんとし、現に東京市内においては放火をなし、 爆弾を投擲せんとし、頻に行動しつつあるを以て、既に東京府下に一部戒厳令を施行するに至りたるが故に、貴府に於いては内地渡来鮮人に付ては此際厳密なる視察を加え、?くも容疑者たる以上は内地上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮装鮮人に付ては十分警戒を加えられ、適宜の措置を採られ度。