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どこの日記とは言わないが、沖縄の強制自決について、こんなことを書き込んでいる人がいた。
(1) 当時子供だった人物が軍命の有無を証言したところで、それが決定的な証拠にはなり得ない。
(2) 1日でも沖縄戦を長引かせ、本土決戦を先延ばしにしたい日本軍が、わざわざ足りない物資から手榴弾を配る意図が分からない。
(3) 沖縄戦後期は指揮系統が崩壊していた。仮に戦隊長が民間人の集団自決を命令していたとしても、民間どころか末端の兵士にすら届くか疑わしい。
(4) 民間人の自決については、村長や町長など役所の管轄である。自決を命じる権限が戦隊長にあったのかは疑問である。
(5) 一説によると、戦後の混乱期、住民らが自ら当時の戦隊長に対し「軍命で自決したことにしてくれ」と頼んだそうだ。理由は、軍命による自決なら国から恩給が入るからである。
(6) しかし、集団自決が左翼の旧軍バッシングに利用され、有名になってしまった以上、今さらそれを否定するわけにはいかない。
(7) 結局、この事は誰にも否定されないまま戦後自虐史観によってますます広く流布されていき、今日まで至ったと考えられる。
橋下徹弁護士を応援する人たちと一緒で、この人も裁判の実際を知らず、歴史を調べたこともなく、どこかで読んできた低水準の評論を鵜呑みにしているだけだ。可哀想な人だ。ところでこの書き込みに対し、「輝吉」さんという沖縄の人がコメントを寄せている。
とても良いコメントなので、本人の承諾を得てここに転載する。
(1)について
まず、今回証言されたかたは、78歳で当時16歳。自決するために母と弟、妹を手にかけてしまった「体験者」です。62年たった今も苦しんでいます。十分証言が成り立ちます。(2)について
なぜ物資不足の中武器である手榴弾を渡したのか。当時沖縄は、尋常小学校の高学年から労役にかりだされ、道路の補修などやらされていました。私の祖父もやらされていました。また大人は、陣地づくりや飛行場づくりにかりだされていました。軍民一体の環境ができていました。
さらに沖縄はまだ方言を話す人が多く、本土出身の日本兵にはなにをしゃべっているのかチンプンカンプンです。日本軍は軍民一体の中、軍と関わった住民が捕虜になり軍事機密が漏れることを恐れていました。だから手榴弾を渡して自決するようにし向けていきました。
(3)について
渡嘉敷島では軍命によって329人が「集団自決」(強制集団死)の犠牲になりました。「集団自決」(強制集団死)が渡嘉敷島で起きたのは、米軍が沖縄本島に上陸する4月1日以前であり、まだ沖縄に駐留していた日本軍は組織的機能を果たしていました。もちろん命令機能も。従軍看護婦をしていた方で、撤退するときに日本兵から手榴弾を2個渡されて「一個は米兵に遭遇したら投げ、もう一個は自決ように使え」と命令されています。先にも書きましたが、当時は県民の多くが方言をしゃべり、日本兵には意味が分かりません。さらに、外国へのハワイや南米への移民者も多かった沖縄では、帰国者で英語をしゃべられる人が多かったのは知られています。方言をしゃべっただけで、スパイ容疑で殺された人もいました。もちろん英語をしゃべられる人も。沖縄戦はあくまで、本土防衛のための捨て石で、はなから最後まで住民を守る意志はありませんでした。
どろは輝吉さんが触れていない(4)についてコメントした。
命令権のない軍人による無効な命令でも、受けとる側には正式の軍命と区別がつかない。それが正式の命令だと信じる十分な理由があれば、無効なものでも法的に有効と見なされる。法律用語で「表見代理」という。戦前からあった法理論だ。
ついでに言えば、「(4) 民間人の自決については、村長や町長など役所の管轄である」はまったくのデマで、住民に自決を命じる権限など町村長にあるはずがない。
(5)以下は勝手な憶測を並べているだけのこと。憶測の根拠としている(1)~(4)が全面的に間違いだから、あともすべて間違いだということになる。
それにしても、こういう人ってのは、人命というものを何だと心得ているのかな。血も涙もないのかな。悲しくなるね。