大江・岩波沖縄戦裁判をめぐる対話

<編集注>
本稿は「主任弁護士のみっともない論述 大江岩波沖縄戦裁判」に対する批判的コメントから始まった意見交換をQ&Aの形に再構成し、文章を整理したもの。

Q=批判的コメントをシンプルな質問形式にリライトしたもの。
A=泥さんの回答。Qのリライトに応じてこちらも若干の整形を施した。
実際のやりとりは下記リンクのコメント欄を参照されたい。

「主任弁護士のみっともない論述 大江岩波沖縄戦裁判」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1007103392&owner_id=12631570

編集注:以下は否定派の弁護士が●●の判決に対して発表した見解。 小田判決の功罪──「神話の証明」と「中東の笛」 弁護士 徳永信一 * 小田耕治裁判長による高裁判決は、梅澤さん、赤松さんを敗訴させる不当なものでしたが、沖縄集団自決の真実をめぐ...

Q:公式な命令なら命令書で記録が残るのではないか。処分したのなら、命令書を処分せようという命令書や、処分しきれなかった命令書も存在するのではないか。

A:いくらほじくり返しても、そんな命令書があるはずはない。命令書はないが、軍がそれを奨励していたのは間違いない。軍が奨励しているのに、あえて抵抗することはほとんど誰にもできなかった。軍の意向が実質的には命令として機能していたわけです。とても不合理だが、不合理であっても命令に従えというルールに縛られていたから、どうにもならなかったのだと思います。

梅澤隊長と赤松隊長は2人とも、「捕虜になってから帰ってきた」とか「捕虜になる意志が疑われる」という理由で住民を処刑したり自決を命じてます。これは本人たちが認め、裁判で彼らの部下も証言しています。部隊長2人は捕虜になることは死に値する罪であると信じており、自決を命令すべきだと考えていたのです。こういう事例は2人に限らず、日本軍の全戦線にわたって存在しています。

Q:物資の乏しい沖縄戦において貴重な手榴弾を住民に自決用に配るのは非合理的である。

A:でもその不合理なことが実際に起きている。沖縄だけではなく満州でもそうです。全然かけ離れた別々の場所の体験記に、判でついたみたいに、「一発は敵に、一発は自決用に」と手榴弾を渡されたという証言が現れています。これは命令というよりも、素養とか文化とかいうレベルにまで至った日本軍の規範意識なのではないでしょうか。

Q:年金目当てに集団自決を軍の命令だったと報告した、という証言もある。

A:証人尋問を通じてそういう証言が完全に虚偽だと実証されたところに、裁判の意義があったと思っています。もともとその年金は「戦闘協力死」に対するものでした。「軍の足手まといにならぬように潔く命を絶った」行為に対して与えるというのが、制度の趣旨だったのです。軍命令かどうかなど支給の条件ではない。だから年金を貰うために軍命令をでっち上げる必要など、さらさらありませんでした。
年金目当ての偽証説については、「沖縄 強制集団死事件 まとめ」を参照されたい。

http://doro-project.net/archives/1119

Q:宮崎晴美の証言について、Wikipediaに以下のように記されている。

宮城晴美は「厚生省の職員が年金受給者を調査するため座間味島を訪れたときに、生き証人である母(宮城初枝)は島の長老に呼び出されて命令があったと言って欲しいと頼まれ、隊長命令は聞いていないが、命令があったと偽証した」(『母の遺したもの』)と自著に記していた。しかし大江・岩波沖縄戦裁判が始まると一転して、この部分は米軍上陸前夜のその時点の出来事を直接述べたのであり、集団自決自体は軍の強制であると新聞で主張した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA
よって宮崎証言の信憑性に疑念がある。

A:Wikipediaは直接引用のようにカギカッコでくくっていますが、そんな文章はありません。そんな直接的な文章があるなら、原告団が裁判で持ち出さないはずがありません。『母の遺したもの』の正確な文章はこうです。

母は島の長老から呼び出され, 「梅澤戦隊長から自決の命令があったことを証言するように」と言われたそうである。(中略)役場の職員や島の長老とともに国の役人の前に座った母は、自ら語ることはせず、投げかけられる質問の一つひとつに「はい、いいえ」で答えた。そして、「住民は隊長命令で自決したといっているが、そうか」という内容の問いに、母は「はい」と答えたという。

初枝さんは虚偽を述べていませんね。「住民は隊長命令で自決したといっているが、そうか」と聞かれれば、自分としては直接聞いていないけれど、たしかに住民は隊長命令で自決したと言っているのですから、「はい」という答えは(あいまいですが)間違っていません。

同書の別の箇所には、木崎軍曹から「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をしなさいよ」と手榴弾一個が渡されたと書いてあります。初枝さんは亡くなるまで軍命令があったという立場でした。自分の発言が「なかった派」に利用されていることを悔しがっていたそうです。

宮崎晴美さんは「軍命令あり」の立場から資料収集していた人です。しかし彼女は自分の立場に有利にねつ造せず、真実をそのまま書きました。母の初枝さんは隊長命令を直接聞いていないと。梅澤隊長は「今晩は一応お帰り下さい」と言ったと。しかし「一応」であって、梅澤さんが言っているような「自決するな」という発言も聞いていないと。

純粋に個人的体験だけを語った初枝さんの言葉を、そのまま書いているんです。初枝さんがいたその場で初枝さんが聞いていないことが、別の機会に別の場所で命令があったことまで否定することになりません。だから直ちに命令がなかったことにはつながりませんよね。

否定派の主張は、宮崎初枝さんが梅澤氏に偽証を詫びたという証言と混同しているのだと思います。しかしその宮崎証言、「住民を玉砕させるようにお願いに行きましたが、梅澤隊長にはそのまま帰されました。命令したのは梅澤さんではありません」というのは、宮崎さんの手記にあるのではありません。梅澤氏が書いた手記にあるのです。梅澤さんがそう聞いたと、ひとりそう言っているにすぎないのです。宮崎さんが梅澤さんに面と向かってそう言ったというのですが、でも、「命令したのは梅澤さんではありません」というのは、梅澤さんに向かって言う言葉でしょうか?これは梅澤さんの脚色です。梅澤さんがそういう脚色をするタイプの人物であることは、沖縄タイムスとのやりとりについて彼が書いた文章を読んでもわかります。

Q:2007年11月9日、大阪地裁にて『沖縄ノート』の著者である大江健三郎の本人尋問が行われ、大江は「現地調査はしなかったが参考資料を読み、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」とし、座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じなかったことは認めたうえで、住民に手榴弾が配布されたケースがあり、これが軍の強制となると主張した。 それが命令にあたるというのは『軍の命令』というものを拡大解釈しすぎではないか。

A:そもそも大江さんは梅澤さんのことを一行も書いていません。梅澤さんは裁判で証人に立ったときも、「あなた個人を特定している箇所があったか」と問われて「ありません」と答えています。書かれていないことで名誉が傷つけられたと感じる梅澤さんは、変わった人だと思います。

>大江は「現地調査はしなかったが参考資料を読み、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」とし、座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じなかったことは認めたうえで、住民に手榴弾が配布されたケースがあり、これが軍の強制となると主張した。

上記が何からの引用か知りませんが不正確です。第三者の手で歪曲されたものでなく、直接資料に当たられた方がよいと思います。

Q:手榴弾が支給されるなど、軍の関与は明らかだとしても、それをもって軍は「死ね」と命令したとか、死を強制したとか言うのは論理の飛躍ではないか。

A:沖縄では「玉砕命令」は下されませんでした。玉砕はありませんでしたが、自決を選んだ将兵はたくさんいます。すると自決した将兵は牛島司令官の命令もないのに、勝手に個人的に死んだのでしょうか。玉砕命令が出ていないのだから、彼らは自己責任で勝手に死んだのでしょうか。いいえ、軍務にもとづく戦死として扱われています。軍務とみなされているのですから、命令の存在が公的に認められているのです。

多くの兵たちは軍から支給された青酸カリや手榴弾で自決しています。同じ状況で、住民に対しても軍から手榴弾が支給されています。住民がそれで死んだ場合だけ、どうして個人責任なのでしょうか。軍命による公務死に決まっているではありませんか。

本島のあちこちで、投降しようとした県民が日本軍に殺されています。投降を呼びかけた県民も殺されています。この事実は否定派の研究家も否定していません。

すると県民は投降できない状態にあったわけです。しかも女、子ども、老人には戦う能力がない。戦えない人間を投降もできない状態に追い込んだのは軍です。自決しかないと思わせたのは、かねてよりいざとなればそうしろと言い含めていた軍の責任です。

自決を選択肢に入れて手榴弾を手渡すのが、少なくとも自殺教唆であるのは間違いないところです。つまり軍による強制死なのです。

Q:沖縄における旧軍の方針で「死ね」と直接的に命令を下した記録を知らない。 やはり直接的命令はなかったのではないか。 

A:特攻隊にだって、「死ね」という直接命令は出ていない。そういうのは言外にほのめかすのです。曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』に、こんな記述があります。米軍の捕虜になったあと解放された16歳の少年のことについて、赤松部隊長が自分で語っているのです。「それで私は、とにかくお前は捕虜になったんだ、日本の者は捕虜になればどうするんだ」。「そしたら、兵隊さん、死にます、と、初めは言った」。結局、その少年は首をつって自殺したと書いてあります。本当は処刑だったんじゃないかと私は疑っていますが、それはおいといて。これは自決強要でしょう?

赤松氏はこういうことをしているけれど、これは自決命令じゃないと言うんです。この少年も自主的に自決を選んだと信じこんでいるんです。2人の部隊長が「命令は下していない」と語るその意味は、私たちの感覚とかなりかけ離れたもののようです。

Q:当時の部隊長が「命令は下していない」と語るときの「命令」の意味は今の私たちの感覚とは異なるかもしれないが、そのことをもって命令や強制があったと断定できるのか。

A:ここに命令性を見るかどうかですが、実証的にはグレーゾーンですね。そうであるとも言えるし、そうでないと言えなくもない。高裁判決もそのようにグレーだと認定しています。私は命令があったと断定してよいという立場ですが、そう考えるに至った論理が万人を納得させうるかと言えば、疑い深い人は疑うでしょうから、まだ詰めが甘いと言わざるを得ません。今後の課題です。

ちなみに、問題の発端となった教科書ですが、はじめに「軍に命令された」と書いてあったというのはデマです。教科書に書いてあったのは「強制」に類する表現なのです。なのに文科省の検定意見でほとんどの教科書から「関与」までなくされたから、それが問題なのです。このあたり、否定派の流す情報はとてもひずんでいますから、注意したほうがいいですよ。

教科書がどのように書き換えられようとしかについては、下記を参照のこと。
「教科書の沖縄教科書問題 記述が確定 10段階評価で+7だと思う」

http://doro-project.net/archives/1100

Q:旧軍の「関与」はなぜ削除されたのか。沖縄が政治的にややこしくなってきたからか?

A:なぜ「関与」が消されたのか、真相は知らないが、私としては南京や慰安婦と同様のベクトルが働いたと見ています。

Q:結局は指揮官の人格の問題なのか?

A:自決するなと止めている将校もいるのですから、そのファクターも大きかったと思います。けれどもそう言えた将校というのは、本当に勇気ある少数だったと思います。皇国公民ならば軍と運命を共にすべきだという信念に駆られた将校の方が、多かったのではないでしょうか。

Q:自決は軍の強制ではなく、当時の世の中がそういうものだったことが原因なのではないか。つまり教育やマスコミの作り出した世論の問題であって、軍隊だけが悪いというのは問題の矮小化であり、自分たちの責任の放棄ではないか。

A:県民は軍に直属していて、「戦陣訓」の対象でもありました。方面軍からは「軍官民共生共死」の方針が下っていました。毎月8日の「大詔奉戴日」に県民は忠魂碑前に集められ、「玉砕精神」をうたいあげる軍の訓辞を聞いた後「皇国臣民の誓い」を暗唱させられていました。それらこれらの教育が浸透していたのですから、世論がどこかから勝手に湧いて出たのではありません。

軍の命令・強制・誘導とはいえ、自殺せよなどという無茶な指示がまかりとおったのは、たしかに皇民化教育や軍国主義教育のせいですから、ほんとうに「世の中がそういうものだった」としか言えない。

ただ、自決に至った理由として教育やマスコミの影響などををあげない人ななど一人もいないと思います。 私は知りません。 むしろ、そのような国策に国民の多くが無批判に従ったために軍の力が途方もなく大きくなったと考えて、そうであるがゆえに、現在の国策に無批判に従うことをも拒否しているのです。

軍国主義の強化に新聞社が果たした役割は大きなものがありますね。
私もこんな日記を書いています。

梅澤隊長は沖縄住民に何を語ったのだろうか

http://doro-project.net/archives/1113

しかしその責任は民間新聞会社だけにあるのでしょうか。 国策に協力しなければ紙の配給を受けられない新聞統制法を作ったのは政府です。 政府の戦争政策を批判したがために弾圧された新聞社もあります。 東條英機を批判したため、懲罰的に最前線に送り込まれた記者もします。 そういう政治をした政府こそ最大の責任者であり、そういう政治をしなければクーデターだぞと脅したのは軍部です。

Q:否定派も肯定派もすでに政治的イデオロギーになっている。そのとき何が起こったのか、何があったのかを知りたいと思う身にはイデオロギーなど邪魔なだけ。

A:たしかにイデオロギーが邪魔になる場合は多々あります。しかし私はイデオロギー抜きに考えています。

Q:軍の強制的な命令で自決させられたんだ! だから軍隊はいらない!自衛隊反対!日米安保反対!というイデオロギー的主張をする人が嫌い。

A:そういう人が嫌いなのはかまわないが、キライという感情で事実まで否定してはいけない。

Q:現在のマスコミは偏向している。朝日や毎日も、かつて戦争を煽っておきながら、今では自分たちを無謬の存在のように思い、愚民を導くのだと思っている。マスコミは強い権力を持ち、マスコミを批判するものを攻撃している。

A:新聞の捉え方については、その存在が多面的ですから一義的にこうだと結論づけにくいですね。広告に頼る株式会社だからスポンサーに弱かろうし、情報源の警察や政府にも弱いし、読者に受け狙いもするしね。でも情報媒体としては大した役割を果たしてます。だから情報強者でもあります。私たちは鵜呑みにせず、拒否もせず、うまく利用すべきでしょう。

Q:ある女子中学生が、担任教師から、沖縄の集団自決に関する県民集会に参加しなければ内申書を悪く書くとかれると言われてイヤイヤ参加したという話がある。

A:そういうことがなかったと断定できないが、あってほしくない話です。そういうケースはまさしく「強制」に当たると思います。命令的な指示がなくとも、従わなければ不利益があると脅すのは、事実上の強制です。ところでその話はどこで知りましたか? もしそのような事実があれば、産経新聞などが放っておかないと思いますが。事実なら、教師の風上にも置けないと思います。