梅澤隊長は沖縄住民に何を語ったのだろうか

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昨日、マイミクのいるちゃんの店のお客さんから貴重な資料をいただきました。昭和18年8月28日発行の「毎日新聞」です。一面トップは「栄誉燦たりアッツの忠魂」。

アッツ島玉砕をたたえる紙面です。アッツ島守備隊は数倍の米軍と戦い、最後に残った百数十名が自殺攻撃をしかけ、全滅しました。戦死者 2,638名、生還者 27名。

北東方面陸軍最高指揮官の「感状」によれば、「行動不能の傷病者はいさぎよく自決」と書いています。しかしアッツ島山崎隊長の「訣別電」には、こうあります。「傷病者はその場に於て、軽傷者は自ら処理せしめ、重傷者は軍医をして処理せしむ」。

「せしめ」、だから自発的ではなく、自殺を命令したのです。

同じ電報にはこうも書いてあります。「ともに生きて捕虜の辱めを受けざる様覚悟せしめたり。他に策無きにあらざるも、武人の最後を汚さんことを恐る」。

ここでも「覚悟しろ」と命令しています。しかも「他に策無きにあらざるも」と書いていますから、他の方法、降伏・投降という手段も知っていたのです。しかしそれは汚れであるというのです。もちろんそれは「生きて捕虜の辱めを受けざる」ためです。

新聞によれば、こういう事態にあたり、陸軍は「その行動はまさに皇軍の精華」とたたえています。その指揮・決断は「尽忠の至誠」、「皇軍指揮官の亀鑑」であるとほめちぎっています。

そして「おそれおおし、上聞に達す」、つまり天皇にも報告されたのだと。

紙面は書きます。「この日より日本には精神的神風が吹き渡った」「死しては最高の栄誉に輝く……最高の幸福者」「わが民族の精華の悲壮なる炸裂」

こうまで言われると、追いつめられた日本軍はこれを模範にするしかありません。

毎月8日の大詔記念日、沖縄住民に対して、梅澤隊長や赤松隊長はどんな訓辞をしたのでしょうか。「いざとなったらわれわれが戦うから、みなさんは逃げなさい」と言ったのでしょうか。それとも「軍官民、共生共死である。アッツ島をみよ。サイパン島を見よ。県民はわが民族の精華たれ。死しては最高の栄誉に輝く、最高の幸福者なのである。精神的神風を吹かせるのだ」などと言ったのでしょうか。

状況というものがあります。状況が違えば、同じ言葉でも意味が違ってきます。

「頼んだぞ」
課長が部下に言ったのなら、仕事を任せたぞ、です。
政治家が業者に言ったのなら、ワイロ持ってこい、です。
やくさが下っ端に言ったのなら、あいつのタマ取ってこい、です。

命令というのはそういうものです。梅澤隊長や赤松隊長は決戦を前に、住民に何と言ったのでしょうか。昭和18年の新聞が、それを教えてくれていると思います。