当然の判決 大江・岩波沖縄強制集団死訴訟

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構成要件不足で門前払いもできたのに、ある程度の実体にまで踏み込んだ裁判長は偉い。梅澤さん側は控訴するそうだが、控訴審ではぜひとも照屋さんたちを証人申請して頂きたい。まあ、できないだろうけどね。さて、文科省はどんなコメントを出すのかな。


「沖縄ノート」訴訟、集団自決への軍関与認める…大江さんら勝訴
読売新聞 2008/3/28

沖縄戦で住民に集団自決を命じたと著書で虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐らが作家の大江健三郎さん(73)と岩波書店(東京)に出版差し止めと2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。

深見敏正裁判長は「集団自決に旧日本軍が深くかかわった。元少佐らの関与も推認できる」と指摘。「元少佐らが自決を命じたと直ちに断定できないが、記述には合理的な根拠がある」として名誉棄損の成立を否定、原告の請求をすべて棄却した。原告側は控訴する。

訴えていたのは、座間味島の守備隊長だった梅澤裕さん(91)と、渡嘉敷島の守備隊長だった元大尉・赤松嘉次さん(故人)の弟秀一さん(75)。問題とされた著作は、大江さんの随想記「沖縄ノート」(1970年出版、約30万部発行)と、家永三郎氏の歴史研究書「太平洋戦争」(68年出版、約18万部発行)。沖縄ノートは他の文献を引用する形で集団自決を「日本人の軍隊の命令」とし、梅澤さんと赤松さんの名前を伏せ、「事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」などと記述していた。太平洋戦争は梅澤さんの実名を出し、「自決せよと命令した」と記した。

深見裁判長はまず、旧日本軍による自決命令の有無を検討。〈1〉軍から、自決用の手榴(しゅりゅう)弾を受け取ったとする証言が多数ある〈2〉沖縄で集団自決が発生したすべての場所に軍が駐屯し、軍のいない島では自決がなかった――などから「軍が深くかかわった」と認定。

梅澤さんと赤松さんが自決命令を出したかどうかについては、「島では原告らを頂点とした上意下達の組織が築かれ、関与は推認できる」と指摘した。ただ、命令の伝達経路がはっきりしないため、「命令したと認定するには躊躇(ちゅうちょ)を覚える」と断定を避けた。そのうえで、「(沖縄ノートなどの記述には)真実と信じる相当の理由があった」として、名誉棄損の成立を認めなかった。

原告側は「隊長命令は住民の遺族が戦後に遺族補償を受けるために作られた虚構」と主張したが、深見裁判長は、「ねつ造は認められない」と述べた。この訴訟は、2006年度の教科書検定で「軍による強制」の記述に意見がつく理由の一つとなり、判決が注目されていた。

「沖縄ノート訴訟」判決、元隊長側の訴えを棄却
朝日新聞 2008/3/28

太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとした岩波新書「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして、元戦隊長と遺族がノーベル賞作家の大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店(東京)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。

深見敏正裁判長は、元戦隊長の命令があったとは断定できないが関与は十分推認できるとし、「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」と認定。元隊長らを匿名で「事件の責任者」などとした記述には「合理的資料や根拠があった」として名誉棄損にはあたらないと判断し、訴えをすべて棄却した。

原告は、元座間味島戦隊長で元少佐の梅澤裕さん(91)と、元渡嘉敷島戦隊長で元大尉の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)。今回の裁判は、高校歴史教科書の検定にも影響を与えており、軍の関与の有無が最大の争点だった。

判決は、軍から自決用に手投げ弾が配られたという生存者の証言が多数ある▽手投げ弾は戦隊にとって極めて貴重な武器で、軍以外からの入手は困難▽集団自決が起きたすべての場所に軍が駐屯し、駐屯しない場所では発生しなかったことなどを根拠に、集団自決への「軍の深い関与」を認定した。

そのうえで座間味、渡嘉敷両島では元隊長2人を頂点とする「上意下達の組織」があり、元隊長らの関与は十分に推認できるとしつつ、「自決命令の伝達経路は判然とせず、命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とした。

だが、戦後まもなくに編集された住民の証言集など元隊長の関与を示す事実は「合理的で根拠がある」と評価し、大江さん側が「軍命令があったと信じる相当の理由があった」と結論づけた。「沖縄ノート」は、集団自決の証言を集めた文献を引用しながら、両島では「部隊の行動をさまたげないため、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という軍の命令があったと指摘。元隊長2人の実名を出さずに「この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」などと記した。

元隊長側は裁判で「住民に集団自決を命じた事実はない。逆に、住民には自決しないよう厳しくいさめ、後方で生き延びるよう伝えた」などと「軍命令説」を否定。集団自決は「家族の無理心中」と受け止めるのが自然で、著書の記述は「元隊長らが集団自決を命じながら生き延びた非道な人物との印象を読者に与え、その社会的評価を低下させた」と訴えた。大江さん側は、地元郷土史や住民の証言が多数あることなどから、「日本軍が『軍官民共生共死』の方針を住民らに担わせ、タテの構造の中で自決を強制したことは明らか」と反論していた。

集団自決訴訟 軍の関与…法廷内に支援とため息入り混じる
毎日新聞 2008/3/28

「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」。大江健三郎さんの「沖縄ノート」の記述などを巡り、旧日本軍の元戦隊長らが出版差し止めなどを求めていた訴訟。28日、大阪地裁の深見敏正裁判長が、原告敗訴の主文を読み上げ、軍の関与に触れると、傍聴者で満席の202号大法廷は「よし」という声とため息が入り混じった。

廷内で判決を聞いた大江さん(73)は、紅潮した表情でやや視線を上げて聴き入った。原告で元座間味島戦隊長だった梅澤裕さん(91)と、渡嘉敷島の戦隊長だった赤松嘉次さん(故人)の弟秀一(75)は眉間(みけん)にしわを寄せ硬い表情のまま。安堵(あんど)した様子の大江さんと対照的に、閉廷後もしばらく席を立てなかった。判決直後、大江さん側の支援者が地裁北側で「大江、岩波勝訴」と書かれた旗を掲げると、約100人が拍手と歓声を挙げた。

「自決命令は出していない」と主張する原告側と、「軍命はあった」する大江さん側。昨年11月に双方の本人尋問が行われ、軍命の有無について真っ向から対立し、「軍の強制」に関する教科書問題も絡み歴史認識を巡る論争にも発展した。この時の尋問で梅澤さんは「私は自決を厳しく止め、弾もやらなかった」と述べ、自決命令を完全否定した。一方の大江さんは「集団自決は日本軍のタテの構造の中での命令」と説明。梅澤さんは尋問後の会見で「大江氏は問題をすり替えていた」と批判し、憤りをあらわにする場面もあった。

この日の大阪地裁は、一般傍聴券65枚を求め双方の支援ら469人が長蛇の列を作り、関心の高さをうかがわせた。

日本軍は深い関与=沖縄戦集団自決-元守備隊長らの請求棄却・大阪地裁
時事通信 2008/3/28

太平洋戦争末期の沖縄戦で住民に集団自決を命じたと虚偽の事実を著書に書かれたとして、元日本軍隊長らがノーベル賞作家で「沖縄ノート」の著者大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店を相手に出版差し止めや2000万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、「旧日本軍が自決に深くかかわった」と認めて、請求を棄却した。

軍や元隊長による自決命令の有無が主な争点。訴訟が理由の一つとなり、昨年度の高校教科書検定で「軍による強制」の記述に意見が付いた経緯があり、判決が注目されていた。

深見裁判長は元守備隊長の命令について、「集団自決に関与したことは十分推認できる」と指摘した。ただ、命令の伝達経路が判然としないとし、「著書に記載された通りの命令自体を認定するにはちゅうちょを禁じ得ない」と述べた。記載内容については、集団自決の学説や文献、大江さんらの取材状況を踏まえ、「発行当時に自決命令が真実と信じるに足りる相当の理由があった」と認定。名誉棄損は成立しないとした。

<追記>
原告が問題にしている箇所は『沖縄ノート』の以下の部分です。

慶良問列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。

沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題ほ、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めねばならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれほ、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。
(大江健三郎『沖縄ノート』岩波新書、p.69~70)

裁判所は

生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は……

という箇所が、引用元の『沖縄戦史』など他の文献に当たれば特定個人が特定できると判示しているのかと思います。

大江さんは命令したのが「守備隊長」とは書いてないんですが、判決は『沖縄ノート』が個人を特定しているというのではなく、「引用した文献」がそうだと言っていますので。これはユウミリさんの判例を意識した、用意周到な書き方だと思うんですよ。