自衛官が「命をかける値打ち」について

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自衛隊は現在インド洋でパキスタン海軍を旗艦とする多国籍海軍に協力しています。アフガンの民主政権をタリバンの攻勢から守るために、必要な活動なのだそうです。

さらに米国はアフガンに陸上自衛隊の派遣も求めてくる気配があるといいます。だが、アフガンやパキスタンを守ったり、その政権維持に協力することが、本当に自衛官が命をかけてでも行うべき任務なのかどうか。

テロ特措法延長を論議したり、アフガンへの派遣を検討するにあたって、政府も派遣賛成派も、以下のような事実を知っておくべきではないでしょうか。

昨年、アフガニスタンでアブドゥル・ラーマンという男性が死刑判決を受けました。罪状は「キリスト教への改宗」。背教の罪は死刑であると、アフガンの憲法に記されているのです。多国籍軍の眼前で下された判決ですから、直ちに諸外国が知るところとなり、特にキリスト教圏からの国際的な圧力で死刑執行は免れましたが、ラーマン氏は暗殺の危険を避けてイタリアに亡命中です。

彼はテロ行為を働いたわけでもなく、何かを破壊したわけでもない。ただ内心で心変わりしただけのことが、死に値すると国家が宣明し、実行しようとした。途方もない軍事費と人命を費やして、タリバンの「野蛮な支配」から解放されたというアフガンの「民主政治」の、これが実情です。

パキスタンの刑法第295条C項にも、「神に対する冒瀆の罪」が定めてあり、最高刑は死刑だといいます。この法律もまた実際に適用されており、ユニス・シェイク医学博士が大学の授業で神を冒瀆したとして、死刑判決を受けています。

彼は学生にこう語ったそうです。「預言者ムハンマドは40歳のときにイスラム教を創始するまで、イスラム教徒ではなかった」。ごく当たり前の事実だと思いますが、怒った11人の学生が当局に通報し、博士は逮捕されたのでした。

「対テロ戦争」で命を落とした各国兵士は、こういう社会を作りたくて、また守りたくて死んでいったのでしょうか。

こういうことを書くのは、何もイスラム教の野蛮さを喧伝したり指弾するためではありませんが、結果としてそういう効果をもたらしかねないことを危惧します。

が、それはそれとして。こういった国々の宗教的支配体制を守るために、どうして自衛官が命をかけねばならないのか。神権政治ともいうべきこれらの国々の政治的安定と、自衛官の命は釣り合うのか。それが自衛官の使命なのかどうか。

日本国民は誰でも(派遣賛成派も反対派も、市民も自衛官も)、自分で考えた方がよいと思います。また日本の指導者は、どうしてこういう国の治安安定のために自衛官が命の危険を冒さなければならないのか、しっかりと、自衛官およびわれわれ国民に説明する義務があります。

(この論考はしっかり考えた上で書いたものではないので、変な考え方をしているかも知れません。ツッコミ歓迎。)

*注:アフガンとパキスタンの事例についてはリチャード・ドーキンス『神は妄想である』(早川書房)より。