不条理(4) 「正義」への欲望が「匿名の正論」を語らせる

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不条理(3)自己責任論に異議あり!

不条理(2)ゆきずりの女性を刺した老婆 からの続きです。 雇用者も夜逃げするくらい困っているなら話は別だけれど、社員の首を切るならそれなりの保障をするのが雇用者の責任というものです。 人を雇うということはそういうことでしょう。...

からの続きです。

そこにたかやんさんと新電脳さんからコメントを貰いました。

派遣の人々に対し、ネットに心ないコメントが多すぎることについての憂慮でした。
これに関連して、何かを罵倒するような書き込みがネットに溢れている事態について、「日経ビジネス オンライン」でガンダムの水野監督が語っていたので紹介します。

監督の意見は、そういうのはスタンダードなものに対する「脊髄反射的なアンチ」だというものです。

なるほど。
ネットの意見は派遣社員を非難しているように見えるけど、実は「派遣社員を簡単に切るなという意見」に噛みついているんですね。それはこの意見が人道的にまっとうでスタンダードなものだから。

ネットの書き込みは派遣社員問題それ自体を語っているのでなく、派遣社員問題について表明されているスタンダードな意見を否定したいだけなんですよ。

そういえば派遣切りの問題が生じるまでは、ネットに「派遣社員よしっかり考えて生きろ」なんて忠告はなかったものね。
てことは、社会の体制としてはとても健全な世論が生きていることを、彼らが逆照射しているのかも知れないですね。
だったらつまんない虚構のネット世論に右往左往しないで、ちゃんと物事を受け止めてくれる対象に向かって語り続けるのが正しいということですね。

私なんかはいわゆるネトウヨに悩まされていますが、彼らは私の持っている歴史観がスタンダードであるが故に、つい噛みつきたくなるだけなのか。そう考えればあまり腹もたたないなw

以下、「日経ビジネス オンライン」の切り抜き。

「正義」への欲望が「匿名の正論」を暴走させる
水島精二監督「機動戦士ガンダム00」(1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081219/180838/?P=1

「売れているもの」には脊髄反射的なアンチがいる

――それだけ作品が大きくて、寄せられる期待が高いということなんでしょうけどね。

批判でも、種類があると思うんです。それこそ“クラウンへの期待”みたいな、「もっとこうして欲しい」という声ならばむしろ積極的に聞きたいのですが、一番最初に僕ら制作スタッフに聞こえてくる声はそうじゃないですね。
「何だあれ」とか、「かっこ悪い」とか、“脊髄反射”みたいな反応なんです。

――脊髄反射だなと思うのは、どんなところですか

なんと言いますか、作品を見て批判をしているわけではないんです。フィルムを観て物語を追おうとしているのではなく、絵だけを追って、見た目だけで批判をしてくるのですね。
特に今、ネットで評判が広がるのがすごく速いでしょう。叩くにしても褒めるにしても「こう言えばいいんだ」というポイントが提示されると、あっという間に広がっていく。
叩きたい人たちは、最初から「嫌い」というベクトルを持って入ってきて、ネットの中で自分と同調できる「嫌い」ポイントを探して、“叩きの流れ”に乗っかっててくるから、もう仕方がないんです。

――ネットの評判は意識しますか。

そうですね。意識している作り手の人は多いでしょうし、そういう意味では、ネットの“叩き”が作る側のモチベーションを下げているのは間違いないと思います。

――それはネットだけの傾向なんですか?

ネットが顕著ですね。この手の発言はブログよりも、匿名で書ける掲示板が多いです。
個人のブログでは、脊髄反射のような感想はあまり書かないですよね。それよりも、大型掲示板のような、ある程度人が集まる場所で匿名を使って、作品やアーティストなどを蔑む書き込みをするケースが数多く見受けられます。この人たちは、売れているものがよほど嫌いなのかしら、と思ったりもします。
こういう人たちは、「○○のアンチ」というよりも、「売れているもののアンチ」と言うべきなのかもしれません。
作品を見て楽しむというスタンスではなくて、作品をはなから批判してやろうという人間が、これだけネット上に多いのだと思うと、ネットという媒体は、メジャーなものに対しての反感が相当強いのだろうなと感じますね。

――私たちがふだん暮らしていて、それほどひどい批判と相対する場面はあまりないですよね。ネットになると、何かが違ってくるのでしょうか。

やはり、匿名性が高い場所だと、余計に尻馬に乗っかって書いてしまえ、というところはあるでしょうね。

――直接ファンから何かを言われることはありますか? ネットでそういう発言をする人は、若い人が多いのでしょうか。

どうなんでしょう、直接僕が会った子に関しては、悪い印象はまったくないのですが。
知り合いから、「この子たちはガンダムを見ていて、アニメの仕事に興味があるみたいだから話をしてあげてよ」と言われて会う学生さんなどは、普通にちゃんとしている子が多いと思いますよ。ちゃんと敬語が使えて、自分で質問もできて、批判的な意見も整理して伝えてきますし、こちらが言ったことに対して反応ができるという。きちんとした子がわりと多いのではないかと思います。
そもそも悪口を言っている人たちが若い子かどうか、匿名だから分からないですよね。それは年齢云々じゃないような気がします。

「国民の非難の声」はだれが上げている?

――ネットではなぜそうした「アンチ」になる人がいるのだと思いますか。

昔からそういう意識の人はいたんじゃないでしょうか。アニメに限らず。社会への不満の声とか、そうした不満の声が、ネットのおかげで僕たちにダイレクトに届くようになった。匿名というマジックアイテムを使って。

テレビとかでもありますよね。「国民の非難の声」というのが。あれもよく考えると面白い。

――匿名の声は、ネットに限らないということですか。

少し前から年金問題が上がっていますよね。僕にも通知が来たんですが、僕のところでもやはり漏れがあってとても困ったんですけど、あれは福田政権下で、厚生大臣の舛添さんが手を打ちますということで実行していたけれども、福田さんと桝添さんのときに起こったことではない。過去の清算をさせられているにもかかわらず、「国民の非難」は、いま責任者になっている人に集中するじゃないですか。
もちろん年金問題に対して、お役人は無責任だなという思いはあるけれども、それはとりあえず置いておいても、今の時代で面白いと思うのは、「国民は怒っています」という、誰が言いだしたのか分からない意見に対して、お役人や企業が謝罪をするというところなんですよ(笑)。

――「国民は怒っています」という声は、誰が言っているかわからない声、つまり匿名ということですか。

そうですね。匿名による非難は、企業とか政治家とかタレントとか、とにかく対象が有名なほど標的になりやすくて。
タレントの失言などもそうですよね。話の流れに関係なく、その発言だけが抽出されて、不謹慎だ、国民に謝罪しろと叩かれるという。かわいそうだなと思いますね。確かにその発言自体は非常識だと思います。ただ、間違った事を言いました、というのは、怒られればそれで済むことなのに、なぜわざわざ記者会見を開いて謝罪して、謹慎までしなければいけないかのと。
ネットで騒ぎになっていることをマスコミが拾ってきて、さらに騒ぎが拡大して、国民に非難された側が取りあえず謝罪をして、肝心の、原因となった大本の部分は分からないまま終わる、という。あの構図は不思議だなと思います。

国民に指摘を受けた側も、誰に対して謝罪しているのかわからない。真に謝罪すべきは害を被った人たちではないのか、という。「社会」に向けて一応の謝罪をしているんだけれども、その「社会の憤り」だって、本当に、社会にいる人全員が憤っているのかはわからないわけですよね。

――怒っている人が誰なのかよく分からないままに、謝罪が行われると。でも、国民の非難の声というものは、今に始まったことではないですよね。なぜ今は、対象になった人々が謝る時代なのだと思いますか。

どうしてなのだろうかと。そういった風潮が顕著になったのは、ネットが出てきてからだと思います。ネットというのは、誰が発言しているのかが分からなくても、もっともらしいことが書いてあると、わりあい簡単に、皆が「そうだよな」と納得したり飲み込んでくれるメディアなので。

――そうなんですか?

ネットだと、ある種、集合体のように見えるんです。集合体に見えるから、「これがみんなの総意なんだ」と思いやすい。

――確かに匿名の場では、たくさんの書き込みがあっても、もしかしたら“声が大きい”一人が何回も書いているかもしれないですよね。その可能性があるかもしれないのに、ひとつのまとまった“世論”のように見えると。

「理屈さえあれば勝てる」、だから空虚な正論が力を持つ

ネットの登場によって、匿名の意見が、ある種の説得力を持ち始めたという感じはします。匿名なのに効力がある状態というのは、ネットが登場するまではあまりなかったことだと思っています。

普通の紙媒体、たとえばビラなどは受け取られ方がまた違いますよね。「これは特定の個人の意見なんだ」と思うから、同じ悪口でも説得力を持ちにくい。

また、発信者が匿名の場合、批判されにくいという側面もあるんです。たとえば新聞に載っている主張だったら、批判ができます。発言が「その新聞社による主張である」という形になって、○×新聞社というバックボーンが見えてくるから。会社が背負っている背景が見えると、「この新聞社は過去にこういう事件を起こしているから、こんな意見を述べる正当性はない」といった理由で、批判する人が出てきますから。

意見だけでも「正義」になれる

ネットにおける「匿名」の人物というのは、当人の立ち位置がわからないから「対象」として批判することができない。だからネットで強いのは、「匿名」の「正論」なんですね。

裏付けや背景といったバックボーンがなくてもいいもの、頭の中のバーチャルな理屈だけで完結するもの、誰しもが正義として寄り添えるもの、そういった「正論としか言い様がないもの」が一番の武器になっている。

だから、匿名でいられない有名人や組織は、失言に対して抗弁しようのない「正論」で突っ込まれたらかなわないと、皆、戦々恐々としているのかなと。

――「正論を言えば、相手が屈服する」、という図式がネットの中では成り立ちやすいのでしょうか。見えないネット市民が怖いという状況ですね。

どのような人間であるかというのはまったく隠された状態で、意見だけが正義として現れるというのが、わりと今の時代の象徴なのかな、と。そちらの企画のタイトルに合わせて言えば「時代は“正義”を欲望している」んじゃないでしょうか。

不条理(5) 派遣村批判と慶安の御触書

不条理(4) 「正義」への欲望が「匿名の正論」をさせる からの続きです。 派遣村のニュースやガザの戦争のニュースが飛び込んできたので、心落ち着かない正月休みでした。 派遣村の取り組みには、これを応援する人もいますが、批判する人...

に続きます。