不条理(5) 派遣村批判と慶安の御触書

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不条理(4) 「正義」への欲望が「匿名の正論」をさせる

不条理(3)自己責任論に異議あり! からの続きです。 そこにたかやんさんと新電脳さんからコメントを貰いました。 派遣の人々に対し、ネットに心ないコメントが多すぎることについての憂慮でした。 これに関連して、何かを罵倒するよう...

からの続きです。

派遣村のニュースやガザの戦争のニュースが飛び込んできたので、心落ち着かない正月休みでした。

派遣村の取り組みには、これを応援する人もいますが、批判する人もいます。批判意見としては、派遣社員は先のことを考えないから、不景気になってから困っているんじゃないかと言うのが代表的です。

色々いっても、正社員になっておけば良かったのにこういう境遇を選んだのは自分なんだから自己責任だと、派遣村の失業者自身が言っていました。

これには、色々と考えさせられました。
まずは慶長の御触書が浮かびました。

■慶安の御触書

百姓は分別もなく、末の考えもない者で、収穫の秋には深く考えもせず米雑穀を妻子にむざむざと食わせてしまう。
いつでも食料の足りない正月、二月、三月の心構えで食物を大切にし、米をたくさん食わずに雑穀を食え。
飢饉のときのことを考えよ。
家主・子共・下人らまで、ふだんは粗食を食え。
ただし田畑を耕すときや田植えのとき、収穫のときなど労働の大変なときはふだんよりもたくさん食わせれば、労働に精を出すだろう。
年貢さえ納めておけば百姓ほど楽なものはない。
子々孫々までそのように言い聞かせよ。

*http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/siryo/0601_0650/0639.htm

江戸時代(てか明治後期まで)の農民は春先に飢餓に見舞われていたんですが、それは百姓がむざむざと米を食ってしまうからであって自己責任だ、百姓自身がしっかり自己管理しておけばそんなことにはならないと御触書は言うんですね。

派遣の困窮は自己責任じゃないかと言うのとよく似ているなあと思います。

当時の人にはたしかにそのように見えていたんだと思いますが、百姓の困窮は、実のところは搾取率の高さが根本原因だったんですよね。いまの派遣労働者についても同じようなことが言えるんじゃないでしょうか。

■派遣と正社員は運命共同体

そもそも正社員と派遣社員を分けて考えるのは変なのではないでしょうか。
ここに至る法改正の流れを見ながら、ここらへんを考えてみましょう。

まず派遣制度の開始とほとんど同時期に、正社員に対しての労働強化が図られています。
(以下、◎印は派遣拡大政策、●印は労働強化・リストラ政策)

◎1985年 労働者派遣法制定
●1987年 変形労働時間制の導入(不払い残業の合法化)

10年後、労働強化と賃金カットの合法化に加えてリストラを政府が推進しました。正社員を減らすと公的資金がもらえるんだから、どこの企業もそうします。仕事が減ったわけではないので、正社員が欠けた穴埋めは派遣社員です。こで派遣業務が全業種に解禁され、派遣が一挙に拡大しました。

●1998年 裁量労働制の導入(不払い残業の合法化)
●1999年 産業再生法 (公的資金注入の条件にリストラを要求)
◎1999年 派遣対象業務の原則解禁 非正規化促進

この時期、自己実現のためには時間に縛られる正社員よりも自由な労働派遣労働がナウくてカッコよくて現代的なんだという宣伝が、華々しく繰り広げられました。このようにして、不安定雇用に対する不安感を15年かけて取り除いたわけです。とどめが小泉内閣の大改革でした。

●2002年 金融ビッグバン
◎2003年 一般派遣・有期雇用の上限規制緩和(1年から3年)

このように正社員の待遇を悪くしたりリストラをすると派遣が増やされ、派遣が増やされると正社員の待遇が悪くなったりリストラがしやすくなるということが繰り返されてきたんですから、正社員と派遣を分け隔てしているのは労働者だけで、産業界は2つをセットにして考えているんですよね。
どちらも運命共同体なんですよ。だったら、その力学を反対方向に転換させればいいのではないかなあ。

■自己責任論理はおかしい

見たとおり、現在38歳以下の人たちは、社会的関心が強くなる15歳ごろから一貫して、派遣という雇用形態に慣らされてきたんですよね。政府が音頭をとってそういう政策を推進してきたのです。そのように産業界も若者を派遣に誘導したのです。

人をだましておいて、だまされるのが悪いのだというのは筋が通りません。心構えややる気だけではどうにもならない現実があって、その現実を法制度や労働政策で作り出したのは政府だし産業界なんです。

自己責任論にだまされて正社員をめざす労働者の競争が始まれば、産業界の利益になります。頑張って働いたって、全員が正社員になれるのではないのに、全員がそこを目指せば必ず雇用条件の切り下げ競争になりますから。

労働者は、頑張れば頑張るだけ骨身を削ることになります。正社員になれば働き過ぎで体を壊してドロップアウトするか、過労死か。派遣社員になったら低賃金だから、やはり馬車馬みたいに働くしかなくて、運が悪ければ餓死するか凍死するか。

いまはまだしばらくなら実家に帰ることのできる人が多いんですけど、社会全体が低賃金構造になってしまうと、実家の親が子どもの困窮を支えられない家庭が増えてきます。

底辺から順番にそうなりますから、いま派遣村に駆け込んでいる人たちの多くは先にそうなってしまった家庭の人たちではないでしょうか。

現在困っているひとたちの100%がそうとは言いません。中には本当に自己責任だぞと言いたくなるような人もいるかも知れないです。そういう人は身近にもいますからね、否定しません。けれどそういう人ばかりではないのも事実なんで、本質的には構造的なところに原因があって、それが第一の問題なんですよね。

■これは資本主義の必然じゃない

労働コストが増えれば企業は競争に負けるじゃないか、株主が逃げるじゃないか、という意見があります。

それはそうかも知れません。個々の企業の立場に立てば、そう言えます。だからこそ政策誘導というものが必要なんですよね。

利益を生み出さないコストは切るべきだという論理が許されてしまえば、いずれ公害対策など環境負荷のコストだって企業は出し惜しみするようになるでしょう。昔はそうでした。公害出し放題だった時代から、環境対策コストが当然視される時代に転換できたのは、市民運動を背景に政府が産業界に対して政策的強制を実施したからです。企業だって一人だけ損するのは嫌だけど、全体がそうするなら従おうと決めたんです。ならば雇用責任についても同じ事ができるはずです。

失業者に至れり尽くせりの保障をするとワーキングモラルハザードが起きるという意見もあります。失業者にタダ飯を食わせ続けろなんて要求している運動があるのでしょうか。まともな条件で働かせろというのが一番の要求でしょう。

オバマは雇用対策と環境対策をリンクさせる政策を打ち出しています。環境ビジネスの育成に莫大な政府予算を投下して、200万人の雇用を生み出そうというものです。アイデア次第で日本でも同じようなことは可能です。

高度経済成長時期につくられた社会的インフラが、そろそろ老朽化しています。不必要なダムや高速道路に予算をつけるのは愚かでしょうが、社会的に不可欠な補修なら、誰も文句はありません。一つ一つの仕事が小さいからゼネコンがいやがるだけのことで、そういう工事を請け負いたい企業はいくらでもあります。(巨大工事に政府予算を投下すると、それはゼネコンのある東京に吸い上げられて地方活性化につながらないし、まとまった利潤は多くが海外に金融投資されてしまって、国内に環流しないので投下効率が極めて悪い。)

福祉・介護産業に政府予算を投下すれば、ほとんどが人件費なんだから、それはつまり生活消費に再投下され、実体経済に再循環されるものとなり、波及効果が高いと思われます。

小さな工事や福祉・介護産業は労働集約産業ですから、雇用対策として優れています。そのような産業構造に誘導するには再教育期間が必要ですが、そんなコストは知れたものです。

私のこんな考えなど浅いものですが、政府が巨大企業のしがらみに左右されないなら、他にもいくらでも政策アイデアがあるはずだし、打つ手はいくらでもあると思います。

はっきり言えることは、生きるか死ぬかの状態に置かれている派遣労働者を叩いたって、問題の根源をなくすことにつながらないということです。派遣労働者も我が身を振り返って悔やんでいるより、前向きに政策要求した方が精神衛生上いいはずです。希望を持って前進できる運動を始めてほしいものです。

で、そのためには当面の食住が必要です。だから派遣村。そういうことで、私は明日、わずかだけど「もやい」にカンパすることにしています。

言葉づかいは丁寧でも、「(派遣村に集まった人たちは)本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」と言った坂本政務次官みたいな人間は心底から腐っていると思いますよ。

彼のマニフェストをみると、無駄を減らそうという「小さな政府」論者です。

「公務員の数、議員の数を減らすこと、そして無駄な事業への投資をやめること。しかし、この無駄の定義が難しいものです。例えばダム、高速道路は都会では無駄でも地方では必要となります」
「戦闘機や1400億円するイージス艦は戦争が起きなかったらこんなに無駄なことはありません。しかし、もしミサイルが飛んでくれば頼りになるのはこれら防衛のための兵器だけです」

ダム・道路建設予算,戦闘機やイージス艦は巨額だけれども必要だから維持しろと。で、明日食べるお金もない国民については「働く気がないんだろうからほっとけ」とばかりに毒づく。国民の困窮など他人事なんですよね。

「例えばダム、高速道路は都会では無駄でも地方では必要となります」と言うんなら、「例えば失業対策、緊急生活対策は有業者には無駄でも失業者には必要となります」という論理にならなきゃおかしいのにね。

「例えばダム、高速道路は国民経済には無駄でもゼネコンと議員には必要となります」。これがホンネじゃないのかなあ。