通州事件について

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ネットでは通州事件を中国非難の材料に持ち出す例が多い。
通州事件をかいつまんで言えば、こういうことです。

1935(昭和10)年、日本は、国民党政権から北京を含む華北地方を分離させようとして、日本の傀儡政権である「冀東防共自治政府」を作りました。そして国民党政府軍と戦わせる目的で、ごろつきを集めて軍隊を組織しました。これが「冀東防共自治政府保安隊」です。

事件は1937(昭和12)年7月、日本軍がその保安隊の宿舎を誤爆したことで始まりました。もとがごろつきの集まりですから、頭にきた彼らは統制もないまま日本人居留地を襲って、虐殺事件を引き起こしました。日本人と朝鮮人合わせて230人もの市民が虐殺されました。

現場を目撃した歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長が、極東国際軍事裁判で証言しています。

『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった。

こういうひどい惨状であったそうです。

事件後、「冀東防共自治政府」が日本に謝罪して120万円を賠償しました。日本政府は子飼いの彼らに強くも言えず、事件をうやむやで終わらせてしまいました。(後述)

日本軍は攻撃すべきでない保安隊を攻撃し、
保安隊は攻撃すべきでない一般日本人を攻撃し、
事態を知らない人は攻撃すべきでない中国政府を攻撃する口実にしている。

なんだか、すべてが狂っていますね。もしも責任をとらなければならないのが保安隊のオーナーであるということなら、オーナーは「冀東防共自治政府」ではなくて日本軍なのですけれどね。

この事件について、実は中国側の計画的な犯行であるという説が流されています。保安隊の張慶餘と、国民党政府軍第29軍の宋哲元が内通して引き起こしたんだと言う説です。当時冀東保安隊第1総隊長だった張慶余が書いた「冀東保安隊通県決起始末記」などがそのネタ本です。

詳細は↓こちら
*http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html

その記述はとても長いので結論部分だけ紹介します。

  • 通州事件は2年間にわたる秘密裡の計画に基づく日本人襲撃事件だったのであり、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となって保安隊が起こした事件などでは全然ない。
  • 保安隊がその計画の実行に踏み切ったについては、誤爆のような突発事件によってではなく、別の、もっと打算的な原理によって動かされたと見るべきであろう。
  • 南京政府は「日本軍敗走」というデマを流していた。
  • 「日本軍を破った」宋哲元の29軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命はどうなるのか。
  • この際、冀東政府についているのは甚(はなは)だ危険である。
  • 機先を制して殷汝耕(自治政府委員長)を生け捕りにし、これを宋哲元と蒋介石に献上するなら、必ず恩賞に与(あずか)ることが出来るに違いない。
  • これが南京のデマ放送を信じた反乱者の思惑だったのである。
  • そして、昨日まで友軍であった日本守備隊に対し、その兵力の最も手薄な時を見計らって蜂起、襲撃を敢(あえ)てしたのであった。

以上が「冀東保安隊通県決起始末記」などをもとに空想も交えて語られている「陰謀説」の要約です。

しかし「冀東保安隊通県決起始末記」などの信憑性は未確定です。

その理由は以下のとおり。

  1. 1988年になって出版された後代資料である。
  2. 利害関係人の独白にすぎず、傍証がない。
  3. 日本軍の記録した同時代公文書の内容と矛盾している。
  4. 後代の価値観にそうように書かれている。

「始末記」が書かれた動機はつぎのようなことを言うためだと思います。

  • 自分たちは日本軍の傀儡軍ではなかった。
  • 売国奴ではなく、愛国者だった。
  • 誤爆にあわてふためいて無辜の市民を虐殺し、逃げ出した腰抜けではない。
  • 侵略者に対する愛国的対日反乱だったのだ。

けれども当事者の証言ですから、まったく根拠もなくそう思うだけというのでは説得力がないと思うので、その証言を吟味してみます。

その本に「通州事件が計画的だった」という証言はありません。せいぜい「一部の軍閥同士が内通していた」という程度です。

計画的だというのはただの推測ですが、「始末記」からの引用部分と、解説者の推測を混じえて書いてあるので、注意深くない読者は中国人著者がそう書いているように誤読する傾向にあるようです(そう読ませたくてわざとややこしくしている可能性もあります)。

では、内通していたという「始末記」著者の証言はたしかなのでしょうか。いいえ、もし内通していたのなら、つぎの箇所が説明不能に陥ります。

「日本軍を破った」宋哲元の29軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命はどうなるのか。

内通していたのならこんなに恐れる必要はありません。29軍が冀東に攻め込んできた時点で、それに呼応して寝返ればよいだけです。
そのうえです。

この際、冀東政府についているのは甚(はなは)だ危険である。

こういう怯えが保安隊反乱の動機だというのなら、それは衝動的だったことになります。2年前から内通していたという証言と矛盾しますね。

ともあれ、ここに登場するのは中国の地方軍閥のみっともない姿です。そして事件は国民党中央とは何の関係もない、地方軍閥の局地的残虐行為です。軍閥は自分の利益のためなら日本軍と手を結ぶし、匪賊・強盗にも早変わりします。中国人民の利益とは無縁の、こういうごろつきと手を組まざるを得なかったところに、日本の侵略性が現れています。

通州事件の直後、日本政府はそれが保安隊の仕業であると発表しませんでした。日本軍の管理下にある保安隊の仕業だというと、自分自身の責任を問われるからです。事件は「中国人」の犯罪だと発表しました。そして華北進攻の口実につかいました。

なぜ「口実」かというと、日本軍は加害者である保安隊に報復していないからです。保安隊残党は国民党支配地域に逃げ込みました。それなのに、日本政府は国民党政府に保安隊を引渡せという要求もしていません。

保安隊をほったらかして、国民党政府軍を蹴散らしながら戦略的要衝を占領するための軍事行動に専念しています。市民虐殺を格好の口実にして、中国侵略を拡大していったのです。

通州事件の被害者は、このような日本政府・日本軍の侵略と、利権を巡って誰とでも手を組む保安隊と、中国全体に広がっていた抗日の気運、これらの間にはさまれ翻弄された、気の毒な犠牲者であると思います。