ネトウヨくんに贈る「通州事件」講座

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通州事件について、連ツイを始める。まずは矛盾に満ちたネトウヨの訴えを読んでください。

「南京事件は30万人も殺してないから、虐殺事件なんかなかった」というネトウヨは、同じ年に起きた「通州事件」は「婦女を含む日本人ら223名が殺された大虐殺事件だ、日本人なら絶対に忘れるな」と訴える。

1945年まで続いた慰安婦制度のことを「いつまで昔のことをしつこく蒸し返してやがるんだ、いい加減にしろ」と罵倒するネトウヨが、1937年の「通州事件」は、忘れるな、教科書に載せろ、中国の蛮行を許すなと、まるで昨日の事件のように叫ぶ。

慰安婦のことでは「謝罪もすみ、償い金も渡したのにいつまでこだわってんだ」というネトウヨが、相手政府の公式謝罪も受け、賠償金も受け取り、遺族も納得している通州事件だと、70年以上たっても、蛮行を許さない、鬼畜の所業を忘れるなとかまびすしい。

いったい、通州事件とはなんだろう。どうしてネトウヨはそんなにいつまでも騒ぎまくるのか。じつは、それなりの理由があるのだ。歴史偽造に深く関わる理由がある。そのことを知ってもらうために、これから長い連ツイをする。興味ない人は無視してくださいね。

通州事件は、たしかにひどい事件だ。次は歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長の目撃証言(極東国際軍事裁判)。「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった。」

こうした事件がなぜ発生したのだろうか。だがもっと大きな悲劇は他にもあるのに、ネトウヨ偽造史観はなぜこんなに通州事件を特筆大書して騒ぎ立てるのだろうか。そのことを考えてみたい。まずは前史として、事件の11年前までさかのぼる。

【通州事件前史】1931年(昭和6)年、日本軍は謀略を用いて満州事変を起こし、翌1932(昭和7)年2月、満州全域を占領した。ところがこれで止まらなかった。「満州地方というのは、いまだ中国領土にある熱河省を含む概念である」という無茶な理屈を唱え始めたのだ。

日本軍は熱河省に軍を送り、ここを奪って北京に迫った。同時に3月、満州を中国から切り離して満州国を独立させた。一連の行為を日本は自衛権の発動だと主張し、満州国独立は満州人の意思だと説明した。軍事的に弱体だった中華民国は、5月、やむなく停戦協定に応じた。

「ここで満州事変は集結した。後の日中戦争は別の原因で起きた別の戦争だ」というのがネトウヨ史観である。なぜそんなことをいうのか、その説明は後にする。ここではそんな説明が虚偽であることを明らかにしておく。

『昭和十一年度北支那占領地統治計画』という文書がある。支那駐屯軍司令部が作成したものだ。その中に、計画の履歴が記してある。この計画は、なんと1933(昭和8)年9月に参謀本部が『支那占領地統治綱領案』としてまとめたものの改正版だというのだ。

停戦協定の1年4カ月後に早くも中国北部を全面占領する計画案を立てているのだ。こんなものが一朝一夕に出来上がるはずがないので、停戦協定直後から研究していたのではあるまいか。つまり停戦というのは、新たな軍事作戦のための、時間稼ぎだったのだ。

計画案には、通商政策や工業化計画、通貨発行計画まで記されている。しかし邦人の保護などの計画は全く書かれていない。突発事態に対応する軍事計画ではなく、中国北部を統治して通貨を発行し、日本の勢力圏に置く侵略戦争計画だった。

戦争をやめる気など、日本軍はさらさらなかった。それどころかさらに戦線を拡大して、中国大陸内部まで手中に収めるつもりだったのだ。そして後にその通りになった。停戦で満州事変は終わった、日中戦争は別の戦争だなどという歴史観など大嘘である。

翌年、1934(昭和9)年、日本は動き始めた。「対支政策に関する件」を決定、北京を含む華北地方を中国政府から分離する大胆な計画を立てた。そして威力外交を用い、河北省と察哈爾省から国民党勢力と政府軍を追い出した。

1935(昭和10)年、華北地方を中国政府から分離する仕上げとして、河北省と察哈爾省に親日的なかいらい政権をつくろうとしたが抵抗にあって失敗。暫定的に、小規模なかいらい政権である「冀東(きとう)防共自治政府」を作りあげた。

「冀東防共自治政府」は日本軍の指導で思いのままに操れる政府だった。自治政府と中国軍を戦わせるため、日本軍の資金でごろつきを集めて軍隊を組織した。これが通州事件を起こした「冀東防共自治政府保安隊」である。いよいよ通州事件に近づいてきた。

1936(昭和11)年、日本は「第一次北支処理要綱」を閣議決定し、中国分割工作を国策として決定。大陸に続々と軍を送り込んだ。こうした一連の侵略行為に中国国内では民族意識が高まり、小規模な軍事衝突が度々発生、抗日デモや日本人襲撃事件が続くこととなる。

同年11月、綏遠の戦闘で、日本軍がはじめて中国軍に敗北した。これで中国人の抗日意識はがぜん大きなものとなり、危機感を強めた日本は、「北京に中国軍がいることが平和安定を損なう、軍を引き払え」とわけのわからん理不尽な要求を行い、日本軍を進出させて実力行使の構えを見せた@ndoro4

ひりひりするような緊張の中、ついに1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が激しく衝突、本格的戦闘に突入した。有名な盧溝橋事件である。これが通州事件の引き金となった。

【通州事件】自治政府保安隊と日本軍も、中国第29軍と戦闘に入った。日本軍が保安隊宿舎を誤爆したのはこの時だ。もとがゴロツキ、頭にきた彼らは統制もないまま日本人居留地を襲い、日本人と朝鮮人合わせて223人もの市民を無差別虐殺した。

保安隊の反乱の動機としては、盧溝橋の戦闘で中国第29軍が日本軍に大勝利したという情報が流れたからだとも言われる。第29軍の大軍が自治政府に攻め込んでくれば勝ち目はない、親日派の保安隊は怒り狂った市民に八つ裂きにされるだろうと兵士は恐怖した。

そこで、自分たちは親日派ではない、日本の侵略に怒る愛国者であるとアピールしたかったというのだ。度重なる日本軍の理不尽な侵略行動の結果、中国国民の怒りに火をつけ、抗日運動が盛り上がる中で、親日勢力が動揺したのだ。

どのような動機があったとて無差別虐殺が合理化できるものではないが、日本軍の侵略行動が続く限り、中国国民の怒りの矛先がいずれは居留民に及ぶのが必至ではあった。通州事件はネトウヨの言うような、理由のない突発事件ではないのだ。

日本政府は手下の反乱に手を焼いた。懲罰しないわけにはいかない。けれど、討伐すれば、せっかくの親日政府を失う。そこで「冀東防共自治政府」に謝罪させ120万円を賠償させた。日本政府はそれで手を打ち、事件をうやむやで終わらせた。

日本政府は事件の残虐さを宣伝したが、犯人が誰なのか説明しなかった。新聞やラジオでは、「支那人部隊」の仕業だと報道させた。日本国民は中国政府軍の仕業だと誤解した。復讐だ!の声を背景に、日本軍は真犯人そっちのけで中国政府軍を攻撃し、占領地を広げるのに利用した。

通州事件はこうだ、保安隊は攻撃すべきでない一般民を攻撃した。日本国民は憎むべきでない国民党政府を憎んだ。日本軍は攻撃すべきでない国民党軍を攻撃した。日本政府のあやふやな誘導のせいで、戦火が一層拡大して、やがて日中全面戦争に至る。

真犯人は日本が軍事訓練していた保安隊だが、ネトウヨや御用評論家はなんとか中国共産党政府のせいにしたくて、せっせと歴史の偽造に励んでいる。だが人民中国はまだ建国されていない。当時の中国政府は、蒋介石率いる国民党政府(中華民国)だった。

【通州事件の重み】歴史修正主義はどうして通州事件にこだわるのか。それは彼らの「日本善玉史観」に不可欠だからだ。それがどういうことなのか、もう少し歴史を進めて眺めてみよう。

通州事件の翌月、1937(昭和12)年8月15日、近衛首相が「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)声明を発表した。「暴支膺懲」とは、乱暴な中国をこらしめるという意味だ。目的はさらなる戦争拡大だ。その理由付けに利用したのが、通州事件だった。

声明の要旨「帝国は永遠の平和を祈念し、日中両国の親善・提携に尽くしてきた。しかし、中国南京政府は自分が強いと思い上がり、日本をなめて、対決しようとはかっている。これが通州事件の原因である。」

「中国側が帝国をなめて、中国全土の日本人居留民の生命財産を脅かすに及んでは、帝国としてはもはやがまんの限界、支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)」し、南京政府の反省を促すため、断固たる措置をとらざるをえない。」

声明の直後に松井石根対象を司令官として上海派遣軍が編制され、上海上陸作戦を決行した。おびただしい戦死傷者を出しつつも激しい戦いに勝利した派遣軍は、そのまま日本政府の許諾なしに、中国の首都・南京を目指して進発した。泥沼の戦争の始まりである。

ネトウヨ史観では、通州事件こそが日中戦争の引き金だ。「通州事件が日本を怒らせた。蒋介石はそうした日本軍を上海で挑発し、ついで大陸奥地に引き込む戦術を取った。大陸全土に戦火が拡大したのは蒋介石の戦術のせいだ。通州事件と日中戦争は一連のものだ。」

だがしかし、戦争の拡大を相手のせいにするこのストーリーは成立しない。なぜなら、通州事件は中国政府と無関係だからだ。事件を起こしたのは、日本軍のかいらい軍だった。日本軍と一緒に中国政府軍と戦っていた軍隊だった。事件は、日本が飼い犬に手を噛まれたようなものだったのだ。

通州事件を中国攻撃の口実にするのは、中国政府にしてみれば、完全なとばっちりである。根拠のない言いがかりである。けれど、近衛声明がそう言ってしまった以上、同じように言わなければ、ネトウヨ偽造歴史観は日本軍の侵略行動を合理化できないのである。

けれどもけれども、事態はさらにねじくれる。通州事件の罪を無理やり中国政府軍に押し付けたネトウヨは、そこではっと気づく。当時の中国政府軍とは誰なのか。中華民国政府軍である。なんとそれは、親日・台湾の政府軍のことではないか。これはまずい、まずすぎる。

ネトウヨ希望の親日の星・台湾の軍隊を犯人に仕立てても何も良いことがない。むしろ困る。そこで、無理くりに無理くりを重ねて、なんとか罪を中国人民解放軍に押し付けなければならぬ。そのころ人民中国は影も形もないが、侵略を聖戦にするにはそんなことは言っていられないのである。

通州事件の犯人はシナ人である。シナ人は残虐な民族なのだ。騙し討ちや虐殺を平気でするのがシナ人なのだ。シナ人を許すな、シナ中共を許すな、共産主義の侵略に立ち向かえ、尖閣を守れ、通州事件を忘れるな! おお、シナ人とさえ言っとけばなんとかなるじゃないか石原慎太郎さん。

かくて、ネトウヨだけが信じている、歴史とはまったく無関係な通州事件が誕生した。まだこの世にありもしない軍隊による一大虐殺事件。平和を愛する日本を戦争に引きずり込んだ悪夢の一大事件。ネトウヨの妄想と暴走は、今日も留まる事を知らないのである。ああ、アホらし。ちゃんちゃん。