粛然か 慄然か 現実の前で棒立ちになること

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今から紹介するのは、マイミクのしなこさんの日記「少女暴行事件」の一部。
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読んだのは数日前だけれど、いまだに少しのコメントも書けないでいる。

なにを書けると言うのだろう、この現実の前で。ともかく、読んで下さい。改行と強調部分はどろの責任です。

少女暴行事件

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沖縄県民なら誰でも95年以降、在沖米軍が沖縄の反基地感情を盛り下げるために打ち出している「良き隣人政策」を徹底させてきたことについて知っているはずだ。

「海兵隊普天間飛行場の空き地をゲートボール場に解放」、「身体障害者によるスペシャル五輪を基地内で開催」、「海兵隊が名護市清掃に協力」等、新聞を通して確実に報道される政策成果。

ハーリーやエイサー大会、大綱引きなど地域の祭りに参加する「良き隣人」として振舞うの米兵の姿は積極的に写真にとられ紙面を飾ってきた。

沖縄の文化が「外」の目にもエキゾチックでブレステイキングなものであることを公言するため米兵をレイアウトする沖縄県が彼らを学校現場に登場させてきたことを私たちは見逃してはいけない。

「英語教育のため」「国際交流をしよう」「異文化体験だ」、アメリカのための「グローバリゼーション」のための「米軍再編」を遂行するためのイデオロギーを沖縄人が自らの口を使って発してきた10年間、沖縄県内の小学校に「良き隣人」代表の心優しい兵士たちがやってきては細心の注意を払い「米兵は優しい」キャンペーンを繰り返した。

当たり前すぎてわざわざ言いたくもないが、絶対に誤解されたくないのでここで一応言及しておくと、私は全ての在沖米兵を鬼畜米兵と称して罵りたいわけでも沖縄人を絶対的被害者に祭り上げて同情を買いたいわけでもない。

犯罪という個人が生み出すミクロの問題が、実は構造が生み出すマクロの問題であるということを把握したい、

レイプ犯罪の被害者に寄り添い「あなたは悪くない」と伝え、「あなたにそのような経験をさせてしまって申し訳ない」と謝りたい、そういう気持ちでキーボードを叩いている。

話を戻してもう少し「良き隣人政策」にこだわると、軍の徹底した、度重なる働きかけにより、国際交流事業の一環と称し米兵を校舎に招いて英語を使って一緒にゲームをしたり、英語で会話したりするというイベントがこの10年の間に沖縄各地で行われることとなった。

また、米軍基地内の小学生を小学校に招いたり、時には県内の小学生をバスに乗せてフェンスの内側に連れて行ったりして、「国際交流」というタイトルで県内にある米軍基地との人的交流を積極的に推進してきた。

迷彩服の兵士が校舎に入ることについて等、賛否両論紆余曲折はあったものの、イベントは各地で繰り返され、ついには「米兵は怖くない」「アメリカ人は優しい」「基地って楽しい」という感想を沖縄県の小学生が口にするのを私は何度も聞くことになった。

これが「良き隣人政策」だ、事件に会った少女の年齢が14歳、彼女はこの政策をまともに受けて育った世代だ。

ここで沖縄におけるダブルスタンダードが浮き彫りになる。学校に来たり基地に招待してくれたり祭りを一緒に楽しんだりしてくれる表向きの「隣人」と、毎年数多くの性を暴力的に奪い市民税を払わずに基地外に住み事故や騒音や環境汚染を撒き散らす「隣人」。

「隣人」はこの場合、実は同一の構造から、時に恣意的に時に必然的に、そして時には偶発的に生み出されるということを立体的に把握している子どもが一体どれだけいるというのだろう。

常日頃沖縄バッシングをやりたいと思っている人たちの中でも事件や沖縄県の現状について良く知らない人たちが「危険な米兵について行くのもどうかと思う」と知ったような口調で被害者の自己責任論を展開しているけれども、果たしてその中の何人が米軍の「よき隣人政策」についての知識があるというのだろう。

軍隊や自衛隊の傍若無人な振る舞いのニュースが続くと、気分がふさぐわ。国防のためには必要だと思うけれど、平時にこんなことやってるようじゃ支持されないのも当然。軍隊は日陰の存在で、小さくなってるぐらいがちょうどいいな。