産経抄子は派遣生活を半年やってからものを言え

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東京都 公設派遣村で生活保護相談
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「産経抄」産経新聞1月6日

▼若いころは、「偽善」がどうにも許せなかった。赤い羽根はつけたためしがなかったし、どこかのテレビ局がやっているチャリティーのための24時間テレビも見なかった。視聴率稼ぎのために芸能人が100キロも走って(歩いて)何の役に立つのかと。

▼記者稼業をやるようになってから、たとえ「偽善」であったとしても、何もしないよりよほどましなことに遅まきながら気付いた。一人一人の募金額はわずかでも塵(ちり)も積もれば山となるし、第一、喜んでいる人が数多くいる。

▼残念ながら、東京都が失業者らの年越しのため宿泊場所と食事を提供した「公設派遣村」は、偽善の域にも達しなかった。入所者833人のうち、就労相談をした人は1割にも満たず、あげくは「希望者全員のホテルを用意しろ」と騒ぐ者もいたという。

▼衣食足りて礼節を知る、とはよくいったもの。職もカネもなければ、人の心はささくれ立つ。それはわかっていても「ごね得」という嫌な単語が頭に浮かぶ。しかもカプセルホテルの宿泊費も食費もすべて税金で賄われた。

▼もし、派遣村が人々の善意や企業、労働組合からの寄付をもとに「開村」できていたら、利用者の気持ちはもっと違っていただろう。すべて税金で運営してしまったがために、利用者にも納税者にも不満を残す結末を招いてしまったのではないか。

▼昨冬、日比谷公園で「派遣村」の村長を務め、脚光を浴びた湯浅誠氏の内閣府参与としての仕事は、人目につかないところに失業者を集めることだったのか。困っている人を助けるのは、人間として当たり前だが、いま政治に求められているのは、失業者を減らし、未来に希望を抱かせる政策だ。ただカネをばらまくのは、怠け者を増やすだけだ。

「産経批評」泥憲和1月6日

▼若いころから、「産経」がどうにも許せなかった。「正論」に共感できたたためしがなかったし、品が悪いだけの記事も読むのがいやだった。誤報だらけの新聞が何の役に立つのかと。

▼世の中が見えるにつれてから、たとえ「産経」であったとしても、何もないよりよほどましなことに遅まきながら気付いた。弁当の包み紙になるし、ブログのネタにもなる。第一、こんなブログでも喜んでいる人が数多くいる。

▼残念ながら、東京都が失業者らの年越しのため宿泊場所と食事を提供した「公設派遣村」を評する「産経抄」は、コラムの域にも達しなかった。現場をまるで見ずに書いているからだ。東京都はボランティアとの連携を一切認めず、施設への立ち入りを拒み、スケジュールさえ知らせないという徹底ぶりだった。そこで入所者833人のうち、就労相談の出来た人は1割にも満たず、あげくは「生活相談の同行も断る」と心ない役人もいたという。

▼先ず隗より始めよ、とはよくいったもの。市民運動嫌いの都知事がいれば、役人の心はそれになびく。それはわかっていても「縄張り根性」という嫌な単語が頭に浮かぶ。しかも外部の介入を見張る人件費も手当もすべて税金で賄われた。

▼もし、派遣村が人々の善意や企業、労働組合と連携して運営できていたら、利用者の気持ちはもっと違っていただろう。すべてやる気もノウハウもない役人で運営してしまったがために、利用者にも納税者にも不満を残す結末を招いてしまったのではないか。

▼昨冬、日比谷公園で「派遣村」の村長を務め、脚光を浴びた湯浅誠氏の内閣府参与としての指示は、人目につかないところに失業者を集めることではなかった。東京都が国から独立した判断をするのは、自治体として当たり前だが、いま求められているのは、失業者を減らし、未来に希望を抱かせる政策を持った都知事だ。オリンピック誘致や新東京銀行もそうだが、ただカネをばらまくのは、財政赤字を増やすだけだ。