嫌韓を支える論理の間違い 強制連行と朝鮮植民地政策の実態

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嫌韓のみなさんのコメントと、それへのお返事&資料です。

■嫌韓のみなさんの言い分

(1)在日のいうような強制連行などなかった。

(2)強制連行があったとしても、それは警察官の個人の犯罪だ。しかも朝鮮人警官が圧倒的に多いのだから日本人に責任はない。

(3)日本政府は強制的に連れて来いなどとは命令していない。

(4)国家総動員法という法に定めてあることだから、いわば飲酒運転したら禁固刑や罰金されるのと一緒。その条文をもって「強制連行だ」などと言い批判されるのなら、すべての国の法が非難されなければならないことになる。

(5)強制徴用、徴兵は朝鮮に対しては1944年から。最後の1年だけで、人数は多くない。

(6)当時の時代背景を無視して、現代の人権感覚で裁いてはいけない。朝鮮半島は当時としては最も恵まれた支配を受けている。

「在日の言うような強制連行などなかった」の間違い

以下の国内資料が示す歴史事実は強制連行といえないのか。

協調会文書『思想対策係「半島人問題」』

半島労務者の労務管理には幾多の問題が存している。(中略)何となれば朝鮮に於ける募集状況を見るに、曽ては野良で仕事最中の者を集め、或は寝込みを襲って連れて来る様な例も中にはあって其の誤れるや甚しい。計画的に募集の準備をして供出することが切に要望される所以である。

「復命書  嘱託  小暮泰用」

ハ.動員の実情

徴用は別として其の他の如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である其れはもし事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種な方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである、何故事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかつたことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まりなることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が往々であつたからである殊に西北朝鮮地方の労務管理は全く御話にならない程惨酷である、故に彼等は寧ろ軍関係の事業に徴用されるを希望する程である。

住友鉱業「半島人移入雇用に関する件」

1.募集事務―――総督府に於いては左記事由に基づき内地移住につき積極的援助をなす
イ.労務者動員計画遂行に協力すること
ロ.本年度南鮮一体の旱魃による救済のため
従って募集は募集取締規則に基づく各社の募集従事者による募集と言うことになつて居るが実務は前記事由により朝鮮官権によって各道各郡各面に於いて強制供出する手筈になつて居る、即ち警察に於て割当数を必ず集める之を各社の募集従事者が詮衡することになって居る

「強制連行があったとしても、それは警察官の個人の犯罪だ。しかも朝鮮人警官が圧倒的に多いのだから日本人に責任はない」の間違い

日本本土に労働者を移送する「職業紹介事業」は「朝鮮職業紹介令」に基づいて国営の「職業紹介所」が担っていた。その下部機関に「朝鮮労務協会」が設置されたが、これは朝鮮総督府内にあった。動員計画は国と朝鮮総督府、指示命令は各級の日本人、実務は主に朝鮮人だったと見られる。

「日本政府は強制的に連れて来いなどとは命令していない」の間違い

「国民総動員法」
第三十六条 次の各号の一に該当する者は一年以下の懲役又は千円以下の罰金に処する。
一 第四条の規定にある徴用に応じない者。または同条の規定にある業務に従事しなかった者。
二 第六条の規定にある命令に違反した者

「命令はあったが、国家総動員法という法に定めてあることだから、いわば飲酒運転したら禁固刑や罰金されるのと一緒。その条文をもって「強制連行だ」などと言い批判されるのなら、すべての国の法が非難されなければならないことになる」の間違い

朝鮮半島には普通選挙権が適用されなかったのだから、法制定に関わることもできなかった。義務教育も施行されなかった。日本人に対するのとはちがう行政権行使がされていたのに、強制規定だけは日本人と同じだった。このように法そのものが不公平で不当だったから問題なのだ。法に従うことを強制する植民地支配が不当なのだ。

あなたの住む県には選挙権がなく、義務教育もないし、県庁のえらいさんはみんなとなりの県の人なのに、飲酒運転したら捕まるところだけは同じだったら、どうか。となりの県の人は義務的に居住地の清掃作業をしているのだが、その作業に、あなたの県の人が強制的に法律で駆り出されるのだ。不当だと思わないか?

「強制徴用、徴兵は朝鮮に対しては1944年から。最後の1年だけで、人数は多くない」の間違い

それ以前の1939年に「昭和14年度労務動員実施計画」が閣議決定されている。これは鉱山・土建労働者を集めるための計画で、その後、重・化学工業部門に計画が拡大された。1942年の閣議決定「半島人労務者活用に関する方策」によれば、12万人の朝鮮人労働者の「集団供出」が計画されている。

計画では徴用の期限は2年とされている。

しかし実際には以下の通りだった。

『北海道炭砿汽船株式会社七〇年史』

右のごとく内地に移送されもしくは徴用された朝鮮人労働者は、現場において強制された監禁と労役、非衛生的な状態のなかにあって、満期日の時がきてもいわゆる「契約継続」を拒否することは事実上不可能であったし、それでもなおかつ帰国を願い出た者は船便がないといいきかされたのである。

はじめは好条件の宣伝を信じて沢山の朝鮮人が応募したが、就労先での過酷な様相が噂として広まるに連れて、総督府が集めようとしても人が集まらなくなった。(まるで「帰国事業」のようだ。)そこで法律で強制する「強制徴用」に踏み切ったのだ。朝鮮に徴用令が適用されたのは、絞りきった雑巾からさらに水を搾り取るためだった。

朝鮮人の計画的移入について示した表があるので参考として紹介する。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji1/table/032-7-4.html

「当時の時代背景を無視して、現代の人権感覚で裁いてはいけない。朝鮮半島は当時としては最も恵まれた支配を受けている」の間違い

泥棒がこう言っているように聞こえる。「おれは金を盗んだだけだ。殴ったり殺したり強姦したり家に火をつけて逃げる奴も多いのに、金を盗んだだけだぞ。泥棒被害としては軽いもんじゃん。」

「朝鮮人労働者の近況」大阪市社会部労働課 社会部報告177号

朝鮮を植民地視することは或いは問題であるかも知れないが、それは単に名称の問題に過ぎず事実に於いては他の植民地と同様の政策が施されているのであつて、他の植民地同様に資本主義化によつて文明の開発を得たと共に変革を伴ふ甚大なる犠牲を見たのである。しかししてその犠牲は開発者たる内地人にもたらされたものは少なく、現住者たる朝鮮人殊に全人口の約八割を占める農民階級に於いて最も著しく現れている。

朝鮮人の一般生活程度はわが国の奈良朝時代のそれに相当すると唱へた学者すらあるやうに、彼等の生活は一般的標準から見て頗る低く、殊に下層階級の生活は悲惨を極めている。いふまでもなく現時の経済的不況は朝鮮に於いても深刻なる影響を及ぼし、朝鮮下層民の生活は極度に逼迫してその行き暮れた生活の姿は随所に見出される。

宇垣一成朝鮮総督の天皇上奏文
1931(昭和6)年7月

その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。朝鮮の富は併合以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数存在致しております。

『日本経済年報第七号』東洋経済新聞社

四月乃至五月、貧農は米も麦も勿論売り尽くし、蓄への粟も勿論食い尽くし、畑作が収穫期に入るまでは、草の根を噛み、木の皮を囓って飢えを凌ぐ。朝鮮農家の窮民の固有の此の悲惨は恐慌期に入りて倍加され、三倍化された。殊に六年(1931年)の凶作恐慌の後には、もう二月三月から『春窮』が始まり、農民は鋭い飢餓に虐まれ、餓死の恐怖に駆られている。困難は、殊に凶作であった威鏡北道、慶尚南北道等に於て深刻だ。威鏡北道の如き、実に63%の減収なのである。死か、闘争か、貧農は恐慌の深化と共に起上る。六年度の小作争議は、その規模といひ、その性質といひ、当局を脅威するに十分だった。

慶北栄州に郡浮石、丹山の両面は数年続けて凶作にあり、面民は殆ど生活困窮のドン底に陥り殊に端境期が近付くに従って彼等細農の生活状態は一段悲惨の度を加へ、食ふに糧なく一日一食の粥にもありつけず、草根木皮を漁って歩くといふ餓死線を彷徨う七十戸、三百三十二人に達している。