日本語強制と創氏改名

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韓国や中国の世論を批判的に語る人のあいだに見られる誤解を指摘します。

■誤解:日本がハングルを潰そうとしたという噂が韓国では流れている。

日本が韓国のハングルを潰そうとしたというのは噂ではなく事実です。

朝鮮に日本語教育がもちこまれたのは1911年でした。朝鮮教育令第5条で、「普通教育は,普通の知識・技能を授け,特に国民たる性格を涵養し,国語を普及することを目的とす」とされており、同化政策の一環として日本語教育がはじまっています。

朝鮮語は「朝鮮語・漢文」という授業で教えられますが、それ以外では日本語ばかりが使われていました。母国語である朝鮮語が外国語である漢文とまとめて扱われているのも、不自然なことでした。

その後、朝鮮半島では日本語を日常的にあやつれる児童と、そうでない児童との間に、制度的差別がつくられました。

1922年の改正朝鮮教育令で,「国語(日本語のことです)を常用する」児童への教育は「小学校、中学校、高等女学校」と決められました。他方、「国語を常用せざる者」の学校は「普通学校、高等普通学校、女子高等普通学校」と、分け隔てされたです。

もちろん、出身学校により就職などで差別されたのは当然です。そこで、多くの朝鮮人児童は「良い学校」に行くため、「国語を常用する」人間になろうとがんばりました。

その成果があがり、1938年には教育令改正で「国語を常用せざる者」の学校が廃止され、日本と同じ「小学校」「中学校」「高等女学校」だけになりました。このとき、学校での朝鮮語の教育や使用は完全に禁止されたのです。

■誤解:日本は韓国のハングルを復活させようとした。

嫌韓本を信じたことによる誇張された認識と思われます。

「復活」というからにはハングルが廃れたように読めますが、朝鮮でハングルがすたれた事実はないようです。「春香伝」や「洪吉童伝」など多くの大衆小説がハングルで書かれていますし、1894年の甲午改革ではハングルは「国文」とよばれ、公用文に用いられています(韓国併合は1910年)。

もっとも民衆の識字率はとても低かったようですから、日本の学校制度が民衆の識字率を向上させたのは事実だと思います。しかしそれは世界中どこの植民地でも起きている現象です。字もろくに読めない農民を工場労働者にはできませんからね。

国語常用運動など朝鮮語排斥、日本語強制の実態については下記が参考になります。

熊谷明泰「賞罰表象を用いた朝鮮総督府の『国語常用』運動」
https://www.kansai-u.ac.jp/fl/publication/pdf_aids/29/1-5_kumatani.pdf

■誤解:創氏改名は強制ではなかった。韓国名のまま日本軍の上級将校になった人もいる。

いいえ、強制でした。強制でないというなら、1939年に発布された「朝鮮民事令中改正の件」は何でしょうか。

朝鮮民事令中改正の件
付則第2項 朝鮮人戸主は本令施行後6月以内に新たに氏を定め之を府尹又は邑面長に届出づることを要す。
付則第3項 前項の規定に依る届出を為さざるときは本令施行の際に於ける戸主の姓を以て氏となす。

韓国伝統の「本貫制度」を公的に廃止して、日本式の「戸籍制度」に改めるのが「創氏改名」でした。

「創氏改名」は単なる名前の変更ではありません。韓国では一般庶民でも何百年もの血統記録を保管しており、代々の苗字をずうっと受け継いでいます。これを「本貫制度」といいます。

これに対して日本の戸籍制度では、本家から独立すれば新世帯となり、そこに新たな「氏」が次々と生まれます。名家を除いて、直系先祖との直接的・具体的紐帯というのはそんなに強くありません。

「創氏」というのは、韓国人に先祖との紐帯を断ち切らせ、各世帯がバラバラの、「日本式「氏」制度」に変更させるというもので、それまでなかった「氏」を各世帯が創るから「創氏」というのです。

韓国名のまま日本軍の上級将校になったというのは、おそらく洪思翊中将のことでしょうが、「創氏改名」というものへの誤解があるようです。

たとえば「李」さんが「木下」さんに姓を改めるようなことが広く行われましたが、附則第3項を利用して何も届け出なければ「李」のままの戸籍(つまり「氏」です)が作られました。しかしこれは何も変わらなかったのではありません。それまでの「李」は本貫にもとづく苗字でした。ですから奥さんは本貫にもとづく苗字である「崔」だったりしました。が、創氏以後は日本式の氏に変わったのですから、男性の李さんは何も変わっていないように見えますが、夫婦別姓の奥さんは無理矢理、崔さんから李さんにされてしまったのです。

苗字が変えられることも韓国人には苦痛だったでしょうが、それと同じくらい、「本貫」から切り離されることにも心理的抵抗があったようです。

つぎに「改名」ですが、これはたとえば「安成(あんそん)」という名を「安成(やすなり)」に変えるようなことです。こちらは強制ではなく、許可制でした。

皇民化政策のもと、「改名」も日本式にすることが奨励されたり誘導されましたが、強制力がなかった「改名」の方は、9.6%の達成に終わっています。朝鮮式の名前が実生活の上で不利に働いたにもかかわらず、です。

しかし「創氏」は100%の実施でした。それはもちろん、法律で強制されたからに他なりません。