朝鮮人特攻隊員の気概を伝える桜の木

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あんなに美しい 桜の枝に包まれ
あなたは 死んでしまったの
(合唱組曲『初恋物語』より)

1979年より以前に、韓国のとある学校で校長先生をしていた女性の話です。

先生が赴任した学校に、大きな桜の木が植わっていました。先生はその木の由来を聞いて驚きました。その桜の木を植えた人が、なんと亡くなった夫だったからです。

先生の夫は、朝鮮人特攻隊員として沖縄で戦死した飛行兵でした。彼は特攻隊員に志願するまでに死を覚悟していたのでしょう、出身小学校を訪ねて、校庭に桜の木を植えていたのです。

校長先生は語っていたそうです。
「淋しい時は桜の木の下に立つと心が安まる」と。

ある人がこの話を新聞記者に伝えると、記者が早速小学校長を取材しました。校長先生は記者を桜の木に案内しました。記者は言いました。

「日本の軍国主義が、御主人をだまして申し訳ないことをしました」。

いつもは謙虚な校長でしたが「だました」という言葉に激怒しました。

「夫はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃したんです。だまされたというのは、人間に対しての侮辱です。取材はお断りです」と。

-韓国の中学教頭・張志学氏の話

張志学氏から聞いたエピソードを紹介しているのは、南京問題ではデタラメばかり言っている皇国史観の大学教授・名越二荒之助氏(『日韓共鳴二千年』明成社)です。

張志学氏が亡くなってしまったので、関係者を捜すのは困難だそうです。が、この話に関しては嘘ではないように思えます。校長先生がなぜ怒ったのか、私にはわかる気がするからです。

彼はどういう気持ちで突撃していったのでしょうか。いまとなっては知る由もありませんが、特攻隊員の一人、崔貞根中尉(日本名:高山昇)は特攻出撃の前に、士官学校同期生の日本人に「自分は天皇陛下の御ために死ぬのではない…」と語ったとされ、その言葉は同期生追悼録「礎」に記録されているそうです。

同期の齋藤五郎氏が陸士の同期会で、李亨根氏(同じく陸士五十六期、韓国陸軍大将)にただしたところ、「その気持ちは貴様たちには判らんだろうなあ、それが判るときが、両国の本当の友好がうまれるときだ」と答えたそうです

金尚弼大尉(日本名:結城尚弼)は、引き留める兄に、こう答えたといいます。

自分は朝鮮を代表している。逃げたりしたら、祖国が笑われる。多くの同胞が、一層の屈辱に耐えねばならなくなる。

僕は日本人になりきって日本のために死のうとしているのではありません。そこをよく解って欲しいのです。お父さんとお兄さん、この二人の意志を継ぐために、日本を勝利に導いて、その暁に我々の武勲を認めさせて独立にもってゆくことなのです。

大東亜共栄圏として、ビルマ、インドネシア、朝鮮、みな独立の道があるはずです。

日本が強くなればなるほど、地下の独立運動は無力となりますから、それより日本に協力して独立を勝ち取る、その方が確かだと思うのです。

日本人が憎くない、というとそれは嘘になりますが、僕は少年飛行兵出身の部下を連れてゆきますし、今日一緒に来てもらった佐藤曹長からは、親身の整備をしてもらいました。戦友や部下たちとは、一心同体であり、民族のしこりや壁はありません。

民族の魂は売り渡していません。朝鮮の魂で頑張ってきました。僕の考えはきっと御先祖様も許して下さると思うのです」。

彼らは侵略戦争に協力するために死んだのではありません。大日本帝国を防衛するために戦ったのでもありません。彼らは朝鮮同胞のために戦ったのでした。未来の朝鮮のために死んだのでした。だまされたのではなく、自分の意志で。だから校長先生は激怒したのだと思います。

「夫はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃したんです。だまされたというのは、人間に対しての侮辱です。」

在特会のくそ野郎たちに、彼らの万分の一の胆力でもあるでしょうか。隣国の民族を見下げることでしか保てないような情けないプライドを下げて、それが愛国心だと勘違いしている愚かなやつら。

そういう奴らの跳梁を許さないという意味もこめて、来年の憲法集会で、これらのエピソードを構成して舞台にあげる準備が、いま進んでいます。