「朝鮮人強制連行」に関する都市伝説

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こういう意見がネットに溢れています。

「在日朝鮮人はすべて強制連行されてきた人の子孫である」と在日団体が言っている(あるいはかつてそう言っていた)。2006年に「すべてが強制連行だったわけではではない」と後退した発言をしたが、それまでは嘘を言っていた。朝鮮人は嘘で日本人を責め立てている。

これは本当でしょうか。
結論をいえば、またもやまったくのデタラメです。

私の手元に1993年発行の書籍があります。
『在日朝鮮人90年の軌跡』兵庫朝鮮関係研究会(代表 徐根植)著
朝鮮総連と関係の深い団体が書いた本です。ここには以下の記述が見られます。

第一章 山陰線敷設工事と朝鮮人労働者
「併合」前の鉄道工事や水力発電工事の朝鮮人労働者は、工事を請け負った業者などが朝鮮で募集した者であった。これに対し飴売りは、三々五々渡航してきたことが、新聞記事から窺える。

第二章 在日朝鮮人の足跡

1.昭和池建設工事(加東市)1934年
同胞たちの日本での生活はこの様に仕事を求めて工事現場を渡り歩いて生活していた人が多かったことは事実である。

2.神池建設工事(氷上郡)1940年
須原組より供給の土工はほとんどが朝鮮半島よりの移住者で・・・

3.“弾丸道路”とトンネル建設工事(神戸市)1941年
(へんぴな山の中に住む幾人かの朝鮮人同胞に、そこに住んでいるいきさつを聞くと)

  • 「このトンネルと道路工事のため親たちが来たのでついてきた」
  • 金さんは、日本の各地を転々とし、1945年3月頃、ここにいい仕事があると聞いて京都から人夫数人をつれてきた。

4.神戸電鉄建設工事(神戸市)1927年
県内同胞のほとんどが失業状態なので、日本人より安い賃金で働かせることが出来るし、食うためによく働くということに着目して、日本工業が同胞たちを集めたのだった。

まだまだずっと続きますが、強制連行という言葉は出てきません。では強制連行はなかったのかといえば、そんなことはありません。

「第三章 戦時動員された朝鮮人の記録」がそれです。

引用すると長くなるので要約しますと、徴用された朝鮮人の『厚生省名簿』があります。そこには、兵庫県だけで13,000人の名前が載せられているそうです。第三章では、公的記録と在日朝鮮人の証言とを照らし合わせる作業がされています。

三菱鉱業のいくつもの鉱山、新日鉄(当時は広畑製鉄所)、軍需工場建設、弾薬庫建設などに、徴用されてきた人たちの証言が載っています。警察に捕まえられてきたという証言もあります。

「私たちが来たときは募集だとか何とか言いますが、あれは募集ではないです。警察が来て無理矢理……。強制ですよ。」

徴用と言っても、「官斡旋」という方法は、ノルマに追われた下級官僚が強制したりだましたりして日本に送り込んだという証言が日本側にもありますね。

「強制連行かと推測して調査したが、わからなかった」と正直に書いてある箇所もあります。

第三章(二)地下工場建設と朝鮮人労働者
1.仁豊野の同胞たち
もはや底をついていた労働力を補うために、九州や四国からも中学生まで動員し、多数の人を無理矢理に徴用して働かせた(仁豊野居住T氏(日本人)の証言。学徒動員で働く)。
……当然、朝鮮人の徴用工たちもその中にいたのではないかと思い、聞いて回った。
……私が聞き取りをした同胞達の多数は、戦後仁豊野に入った方たちで……
……だから、朝鮮人徴用工がいたのかいなかったのか、いたならばどれほどだったのか、定かでない。

全部紹介していたら大変なので、ここまでにしますが、1993年にすでにこのような実証的な研究が、在日コリアンによってされています。「すべてが強制連行ではないと、2006年にはじめて認めた」というのはデマですね。

無理矢理連れてこられた人もいれば、一旗揚げようと渡ってきた人もいる、食い詰めて流れてきた人もいる。自発的に来た人でも、親方に連れ回されてひどい働かされ方をしていた話は、私自身が祖母から聞いています。戦争中に実家の近所の河川改修工事があったのですが、「朝鮮人が大勢、棒でたたかれながら働いていた、可哀相だった」と聞きました。昔は、こんなのは常識に属することだったのではないでしょうか。

「在日朝鮮人はすべて強制連行されてきた人の子孫であると在日団体が言っている」という主張自体が、作られた都市伝説みたいなものではないかと思います。

「息をするように嘘をつく」というのが韓国人なのか、嫌韓ウヨクなのか、これだけを見ても明らかですね。