公文書にみる従軍慰安婦(4)

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さて、戦地に送られた慰安婦だが、驚くような奥地にまで行かされている。中国奥地の拉孟(らもう)、騰越(とうえつ)と言えば、日本軍が中国軍と戦って玉砕したところとして有名だ。何とこんなところにまで慰安婦が行かされており、日本人13人、台湾人3人、朝鮮人2人が玉砕後に生き残って保護されている。

地域不詳だが、米軍の作成した捕虜名簿が残っている。捕虜といっても兵士だけではなく、民間人も含まれた名簿だ。総数16万4395人。慰安婦は兵100人にひとりと決められていた。その地域に規定通りに慰安婦が配置されていて、兵と同じ比率で生き残っていれば、1600人の慰安婦が生きていなければならない計算になる。

しかし女性の名前は829人だった。多くは日本人で、786人。半数は、従軍看護婦だった。慰安婦は19人とある。これは少なすぎよう。恥ずかしくて言えなかったと考えて、ウェイトレス、芸者という申告の女性を数えても、合計で48人。朝鮮人は11人、台湾人24人。多くは慰安婦だとみなせる。全部合わせても、83人しか生き残っていない。これは兵以上に過酷な運命にさらされたと解釈するしかないのではあるまいか。

民族のことはおいても、女性に対してかくも過酷な取扱をしたこと、それ自体を日本人は恥じるべきである。かつてこの国は、女性をかどわかして薄汚い商売でもうけようとするヤクザ連中に政府機関をあげて協力し、その結果数え切れない女性を塗炭の苦しみに突き落とした。死なせた数さえ、いまとなっては資料がなくてわからない。この有様をなんといえばよいのだろうか。

資料事実が誰かにとってどれほど不都合であれ、事実は事実として認め、後世のために伝えねばならない。いかなる権力にも、事実としてあったことを隠し通すことはできない。明らかになっていることを認めようとせず、目を閉じ耳をふさいでいるならば、その者の精神が深い退廃の中に陥るだけであろう。