中国の戦争被害 死者数の真実は?

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=732132816&owner_id=12631570

「砂漠の中の一粒」コミュ「南京」トピで、こんなコメントがありました。

1938年、国際連盟で中国政府代表が、「南京の死者は2万人」と演説。
1946年、東京裁判では「南京大虐殺で死者20万人」。
1985年、南京大虐殺記念館が建てられる、死者30万人。
2000年、教科書で死者40万人という数字が記載されたモノまで出る。

そういえば日中戦争の死者も、どんどん増えていってますよね。

1946年、国民党の発表が 130万人
1946年、GHQの発表が 130万人
1950年、中国共産党の発表 600万人
1960年、中国共産党の発表 1000万人
1970年、中国共産党の発表 1800万人
1985年、中国共産党の発表 2100万人
1995年、中国共産党の発表 死傷者3500万人
1997年、中国共産党の発表 死者3500万人

なんなんだろう、これ。

ふむ。これが事実なら、ほんとうにヘンですよね。

「南京の死者は2万人」のことはすぐにカタがつきました。東中野教授のねつ造でした。でも、日中戦争の被害が年代を経る事に水増しされているってのは、おかしいですよ。そこで相手の方にその根拠を調べてくださいとお願いしたけど、調べてくれません。なのでしかたなく自分で調べました。

この「死者のアヤしい増え方表」はネットのあちこちで使われているので、何かの折りに反論する時、この日記の内容を使うと便利ですよ。

共産主義による民衆被害を研究しているハワイ大学のR.J.ルメル名誉教授が『中国流血の世紀(China’s Bloody Century)1900年以降のジェノサイドと大量殺戮』で詳細な分析を試みています。
http://www.hawaii.edu/powerkills/CHINA.CHAP1.HTM

ここではその全体を紹介できませんので、結論部分だけを示します。

1946年、国民党の発表が130万人
1946年、GHQの発表が130万人
結論:これは国民党軍参謀長が発表した数字で、国民党軍兵士の戦死者推計です。中国全体の死者ではありません(*末尾注1)。

1950年、中国共産党の発表 600万人
結論:これは国民党軍と共産党軍の戦死者と戦病死者数の合計です。被害者総数ではありません。

戦死者 下位推計160万人、上位推計220万人。
戦病死 最大で5,887,000人と推計。
上位推計だけを合計すれば800万人となりますが、共産党は中位推計を採用しているようです。ここでも軍人の死者だけが算出されており、民間人が含まれていません。

1960年、中国共産党の発表 1000万人
結論:これはおそらく民間人を含む死者のうち、直接の戦闘死者の数です。ルメル教授はその政治的立場から下位推計を採用していますが、中位推計を採用すればおよそ1000万人になります。(*末尾注2)

1970年、中国共産党の発表 1800万人
結論:被害者の概念が拡張され、直接の戦闘死以外の殺人行為による死者(処刑・虐殺・人体実験など)も合算され、重複部分を引いて算出されたと思われます(*末尾注3)。

1985年、中国共産党の発表 2100万人
結論:さらに戦争被害の概念が拡張され、これまでの死者に加えて飢饉などで死亡した民間人も含めて戦争被害ととらえるようになったのでしょう。

反共のルメル教授の下位推計によっても、こういう数字になっています(*末尾注4)。中国政府の被害概念はコジツケではなく、私たちにも許容できると思います。

1995年、中国共産党の発表 死傷者3500万人
結論:ここでは死者ではなく「死傷者」となっています。死者が約2000万人として、傷病者を加えれば3500万人なら不自然とは言えません。

1997年、中国共産党の発表 死者3500万人
結論:これは中国共産党の発表ではありません。1997年の翌年の1998年に江沢民が来日したときも「中国軍人市民3500万人が死傷し」と演説していますので、中国政府の認識が「死傷者」から「死者」に変化した形跡はありません(*末尾注5)。ではこの数字は何かと調べると、中国のネットに書かれていました(*末尾注6)。

まあ日本には南京事件虐殺数ゼロという大学教授がいるのですから、あちらにもトンデモないことを言う人はいるんでしょう。しかし民間人の勝手な主張のことを「中国政府の発表」と書いたら、それはねつ造になります。また軍人の死者だけの発表なのに中国全体の被害のように書いて、全体数とのギャップを強調するのも感心できませんね。

ということですので、時代時代の発表数字にはそれなりの根拠があったわけで、根拠もなくコロコロと言うことが変わっているのではありませんでした。また中国政府のことだから考え得る最大の数字を意図的に選択しているだろうと私は予測していたんですが、そういうことはありませんでした。中位推計か下位推計を採用していて、結構冷静で客観的なのだなと驚きました。

この表はネットのあちこちで見かけます。みんな中国政府の信頼性のなさを強調したいのでしょうけど、そのやり口はほとんどねつ造に近いものだということが、これで明らかになったわけです。やはり、よく調べもしないで鵜呑みにするのはよくありませんね。

*注1
「一瞥して分かるように、1937年7月から1945年8月までの戦死(あるいは単なる死亡)推計は全て相対的に近い範囲-死者131万人から220万人-に収まっている。132万人の死者数は明らかに国民党のものであり(22段a)、国民党軍の参謀総長によって1946年に公表されたものである。」

*注2
「これにより中国人死者は346万7千人から1,691万4千人、おそらくは708万4千人となる。これらの数は戦争捕虜、民間人の爆撃や細菌戦死者その他の日本のジェノサイド、及び国民党による……ジェノサイドを除外していることに留意されたい。」(China’s Bloody Century)

*注3
「日本のジェノサイドは別に章を立てる必要があり、補論6.1の表6.Aで分析されている。
そこでは日本軍が157万8千人から632万5千人の中国人、おそらくは394万9千人であり、そのうち支配下の住民299万1千人を殺害したと計算されている。これらの数値は本表にも掲載されている。」(China’s Bloody Century)

*注4
「おそらくは1,960万5千人の中国人が戦争、反乱、ジェノサイド、または飢饉で死亡した。」(China’s Bloody Century)

*注5
「歴史を鏡として、未来を切り開こう」
早稲田大学における演説
中華人民共和国主席 江沢民
1998年11月28日
「20世紀30年代から、日本軍国主義は全面的な対中国侵略戦争を起こし、その結果、中国は軍民3500万人が死傷し、6000億ドル以上の経済的損失を蒙りました。この戦争は中国人民に大きな民族的災難をもたらし、日本人民もそれによって少なからぬ害を受けました。」
*http://www.waseda.jp/jp/news98/981128k.html

*注6
「变成了死于日军之手的三千万民众的坟墓。」
愛國網
*http://www.china918.net/91802/njpic/ReadNews.asp?NewsID=7

追記

読み返すと分かりにくい書き方になっているのに気付きました。死者が増えていった理由は、要するに以下のようなことです。

(1) 国民党政権時代、国民党軍の戦死者数だけを発表。
(2) 共産党が政権をとり、それまでの数字に共産党軍の戦死者を加えた。
(3) おそらく朝鮮戦争の義勇軍の功績を称えたのが契機となって、抗日戦争義勇軍の功績も称えてほしいと言う声があがり、義勇兵の戦死者を追加した。
(4) 戦争の捉え方が「功績」から「被害」に移り、民衆被害が視野に入ってきた。
(5) 国際的に戦争被害の概念が広くなったのにあわせて、戦争関連被害も視野に入れて算定した。ただし死者のみ。
(6) 戦争被害とは死者だけではないとの概念拡大があり、死者だけでなく傷病者も加え、経済被害も具体的数字で語られ始めた。

こういうふうな移り変わりなんですね。それぞれ異なるカテゴリーの数字を積み上げていっただけですから、基本の資料は変わっていないんです。軍人の戦死者数が増えたとか、民間被害者が水増しされたということではないんですよ。

(1)(2)(3)は功績を称えるため。
(4)(5)(6)は被害を訴えるため。
こういう概念なんですね。

ルメル先生はもともとは中国共産党による民衆虐殺をテーマに研究している人なんです。でもそれだけではただの反共論文になってしまうので、アカデミックな論文にするため、20世紀代中国の虐殺史としたようです。で、時期的にたまたま日本軍による被害というのも視野に入ってきただけで、これが主題ではないんですよね。

国民党による民衆虐待も、ですから別の章で扱っています。国民党軍の民衆虐殺も凄まじい数字ですよ。私は中国政府の発表数には、国共内戦の死者とか、黄河決壊の死者なんかも広義の被害者としてぶっこみで入れてあるんだろうと思っていました。でもそういうことではなかったので、お、中国共産党、わりに公正じゃんて、ちょっと驚きでしたね。