慰安婦について

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米国下院決議でまた「蒸しかえされた」と言われている慰安婦問題。蒸しかえしというより、日本政府の二枚舌が問題なのだ。入り組んだ議論を整理するため、論争の流れと歴史的事実関係をおさらいしておきたいと思う。

慰安婦問題が語られ始めた当初、そのイメージは「奴隷狩りのような女集め」だった。しかしその後、元慰安婦の証言や日本政府・日本軍の公文書から浮かび上がってきたのは、別の姿だった。一部では文字通り奴隷狩りのような行為も確認されている。しかし大部分は「だまされた」り「売買」されていたのだった。

現在の研究や批判は、明らかになったこういう事実にもとづいている。いまだに、「奴隷狩りのような拉致はなかった。強制連行はなかった」と言っていれば何かを語ったことになると誤解している政治家がいるが、それは事実誤認であるうえに、まったく見当違いの意見だ。

北朝鮮の拉致事件でも、多くの被害者は暴力的に誘拐されたのではない。旅行に行こうとか、いい仕事を紹介するとか、だまされて連れて行かれたのだ。日本政府はこれを拉致と表現している。この表現は正しいと私は思う。それならば、同じ目に遭わされた慰安婦が、どうして拉致でないことがあろうか。

戦争当時でも、だましたり人身売買で女性を慰安婦にするのは違法行為だった。慰安婦には16歳の朝鮮人少女もふくまれていたが、未成年者に売春させるのも違法だった。ところがこういう違法行為に、官憲が関与していた。軍や政府機関がヤクザ者と結託して、非合法ビジネスをやっていた。あるいは推進し、許可し、黙認した。こういう事実があるのに、何も問題がないかのように首相たちが語るので、そこが問題にされているのだ。

女性たちは行き先を告げられないまま、見も知らぬ戦地に連れて行かれ、廃業の自由も行動の自由もなく、帰国も許されず、敗戦の混乱の中、置き去りにされたり、殺されたり、散々な目にあわされている。なのに、国としての補償はおろか、国のトップによる正式の謝罪も、国会の反省決議もない。(官房長官の談話が国を正式に代表したものかどうかはビミョーなところ。)問われているのは、日本国家の人権意識であり道義意識だ。

慰安婦問題は、過ぎたことではない。日本政府が事実を認め、その過ちを反省しなければ、慰安婦問題はいつまでも「今日の問題」であり続けるだろう。

<補足>
私は日記では個人の証言を資料として採用しておりません。その理由は個人の証言が当てにならないと考えているからではありません。オーラルヒストリーを否定するつもりはなく、元慰安婦の証言も重要だと考えていますが、あえてここでは取り上げていないのです。

公文書をはじめとする文献資料をわきに置いて、うつろいやすい記憶にもとづいた証言を信用する、しないと議論するのが不毛だと考えるからです。

私は間違ったことを書くつもりはありません。しかし資料解釈は多様でありましょうし、正しい批判は受け入れるつもりです。ただし、何事かを主張するのなら、その主張の根拠を示していただきたい。根拠も示さずに言いっぱなしにするはやめてほしい。公文書に書いてあることすら受け入れずに否定するような、ためにする批判は無視します。