「南京大虐殺はなかった」のか(5) よくある否定論派への反論

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■否定派の主張=中国人は勇敢に戦って戦死した兵士を称えず虐殺の被害者とみなしている。死者に対する冒とくだ。

私は日本軍による南京での殺人を次のように考えております。

(1)中国軍兵の死者

  • 日本軍の不当な侵略と戦って殺されました。
  • 戦いの面から見れば救国の英雄。
  • 殺された面で見れば虐殺の被害者です。

(2)便衣兵の死者

  • 南京で便衣兵が大々的に活動した記録はありません。
  • 便衣兵の処刑と言われているものの多くは市民を誤認殺害したものと思われます。不法な虐殺です。
  • 兵士が混じっていても多くは敗残兵に分類されます。不法な虐殺です。
  • 本物の便衣兵の場合は捕虜になる資格がありません。兵士としてではなく、犯罪者として拘留され、裁判にかけねばなりません。裁判なしで処刑すれば不法殺害とみなされ、虐殺と言えます。

(3)捕虜の殺害

  • 保護すべき捕虜を殺害するのは違法であり、虐殺です。

(4)市民の殺害

  • 巻き込まれ死:不法な侵略の被害者ですから虐殺されたと言えます。
  • 意図的な殺害:明らかに違法であり虐殺です。

こういうことですから、南京におけるすべての被害者が虐殺されたと言いうると思います。

被害の規模は全容が不明ながら、日本軍の記録にもとづけば最低でも数万、数え方によれば十万を超える死者があったと思います。大虐殺という表現は誇張ではありません。

■否定派の主張=当時の国際法に侵略戦争というカテゴリーはなかった。後知恵で「日本が侵略戦争をした」というのは卑怯だ。

私が上の「(1)中国軍の死者」の項目で、「不法」とか「違法」な侵略戦争と表現せず、「不当な侵略」と書いているのは、ここで指摘されている法的側面を考慮したからです。

ではどういう意味であの戦争が不当と評価できるかといえば、

  1. 中国に対する一方的侵攻である。
  2. 国際連盟が何度も非難決議を行っている。
  3. 日本本国の命令なしで、その制止を無視して発動された「私戦」である。

という理由が考えられます。他にもあるかも知れませんが、私としてはこう考えています。

「(4)市民の殺害」のところでは「不法な侵略」と書いています。それは戦闘行為自体は国際法で「不法」と断定するのが難しくても、不必要に市民を巻き込んで追撃したのは「不法」のレベルに至っていると思うからです。

南京攻略戦は作戦としては見事です。松井石根の凡庸でない才能を示して余りある戦いです。しかしただ単に「強かった」だけであって、そこには道義性や正当性はカケラもありません。にもかかわらず、日本政府は、当初は否定していた作戦を追認してしまいました。
そのことにより、日本政府もまた虐殺者の汚名を自ら引き受けたことになると思います。

■否定派の主張=日本が国際的に孤立したのは欧米の陰謀が原因で、日本には侵略する意図などなかった。

以下は大本営海軍部作製の「大東亜戦争開戦経緯」を資料とします。

1933(昭和8)年に日本軍は謀略により中国軍との武力衝突を演出し、それを口実に熱河作戦を発動、満州から中国中央地帯に部隊を進めます。

当時の記録をまとめた1935(昭和10)年関東軍参謀部作製資料「対支情勢判断」には、軍は北支において南京政府の命令が通じなくなるようにするために様々な活動をすると述べた後、「我が軍部の要求を忠実に実行せんとする誠意ある政権に非れば存立する能わざらしむ」とあからさまに書いています。

中国の地方政府である河北政府については、「我が要求に合致する間はこれが存在を許して可なりと認む」とあります。はじめから領土を奪うつもりだったのです。

いくつかの軍事作戦と交渉により中国軍を後退させ、非武装地帯を設けて南京政府の統治を排除すると、次はそこに親日政府をつくる工作を行います(このあたり、調べているとあまりのことに気が滅入ります)。

こうした背信行為を積み重ね、1935年には華北5省を「独立」させて第二満州国を作ろうとしますが、これは失敗。代わりに翼(原文は北の下に異)東防共自治政府を作ります。

盧溝橋事件はこの翌翌年のことです。北支事変は支那事変へと拡大しました。

「日本外交百年小史」によれば、政府方針は、「帝国のとるべき途はただ一あるのみ即ち抗日政権の根絶に向て飽くまで所期の目的を貫徹すべく長期戦の覚悟を固める」というものでした。

この時、日本政府は単なる武力衝突のつもりで「支那事変」と名づけたのではありません。内部では相手国政府の打倒を意志一致していたのですから。対外的に「事変」だと称したのは、諸外国の批判を免れるためだと考えるのが自然ですね。対外的に中国政府打倒を宣明するのは南京占領後。1938(昭和13)年の「政府声明」が最初です。

と、このように、欧米の言い分を丸飲みしたのではなく、国内資料の示すところにより、「不当な侵略」と記したのです。

■否定派の主張=民間人の被害については、中国軍にも責任があったはず。

強盗とは戦わねばなりません。戦えば双方が傷付くでしょうが、悪いのは強盗であって、お互い様にはなりません。

私の考えではいかなる国も他国の主権を脅かす権利を持ちません。武力による主権侵害には、武力で対抗する権利があります。これは本源的な権利です。

日中戦争は終始中国領土内で戦われました。先手をとるのが日本で、中国が対抗手段を講じています。侵略したのが日本で、侵略されたのが中国でした。この関係性の中ですべてを語らなければ、悪しき客観主義に陥ります。

中国政府やその軍が立派だったとは思いません。日本が侵略しなくても、暴政のために中国国民は不幸だったかも知れません。しかしそれは中国国民と中国政府の関係性に帰着する問題です。国民党政府を批判するのは中国人民が大いにやればよいのです。国民党政府がどんな政府であろうが、日本の犯罪を相殺する理由にはなりません。

南京についていえば、南京にたてこもって戦うという唐将軍の戦術が愚策であったことは客観的事実です。しかしそれをもって日本軍の南京攻略という侵略行為を合理化できるはずがありません。南京攻略がなければ、唐将軍の出番もなかったのですから。

民間人被害を大きくしたのは日本軍の攻撃なのです。中国軍は南京を空爆していませんし、南京城にむけてただの一発も砲撃していません。揚子江を渡る船をかたはしから沈めたのは日本の軍艦なのです。

ここが一切の原点です。とてもわかりやすい道理であり、見まごうことは不可能です。

■否定派の主張=中国は20万人しかいない南京で30万人が殺されたと言っている。

私としては、日本軍が惹き起こした事件を、私たち日本人がどうとらえるべきか、という問題意識で歴史にアプローチしております。ですので、中国政府の見解はいったん考慮の外に置いております。

といっても無視するのではありません。被害当事国の見解ですから尊重すべきでしょうが、学説としてはあまたの説のワンノブゼムであると考えております。

■否定派の主張=南京大虐殺があったという証拠はどこにあるのか?

日本側には日本軍の公文書、兵士の手紙、写真、日誌、従軍記、新聞報道、回顧録、証言、などがあります。

中国側にはあまりないですね。そこを日本軍に占領されていましたから。でも大量の人骨が証言を裏付けています。

外国には新聞報道、国際委員会資料、本国との連絡文書、被害調査報告書、などでしょうか。

証拠は圧倒的です。これをなかったことにはできません。

■日本軍が便衣兵狩りをしなくてはならなかったのは、そもそも中国軍が国際法違反の便衣兵戦術をとったからだ。

中国軍が組織的に便衣兵戦術をとった証拠はないと思います。

中支那方面軍軍司令官である松井石根大将の日記に、「支那官民は蒋介石多年の抗日侮日の精神相当に徹底せるにや、到る処我軍に対し強き敵愾心を抱き、直接間接居留民か敵軍の為めに我軍に不利なる諸般の行動に出たるのみならす、婦女子すらも自ら義勇軍員となり又は密偵的任務に当れるものあり」とあります。これは中国民間人による反日ゲリラ活動です。愛国的レジスタンス活動です。便衣兵ではありません。

中国国民の愛国的敢闘精神を伝えるエピソードが残っています。上海戦でのことです。

フランス租界での戦闘で、数百名の少年兵達が日本軍に包囲孤立させられていました。イギリスが仲介して降伏を勧めましたが、彼らは「われわれは中国が生きるために死ななければならない」と返事して降伏を拒み、手榴弾を抱いて体ごと日本部隊に飛び込んでいったのだそうです。これほど中国民衆の愛国心、抗日敵愾心は強かったのです。こういう雰囲気の中で、民衆が武器を持ち軍と共に戦っても何の不思議があるでしょうか。またそれが一体罪なのでしょうか。

上海防衛戦では中国軍に輸送兵が不足していたので、青年女子学徒がボランティアで志願して、学生服のまま砲弾薬を輸送しました。輸送部隊といえども戦闘部隊とみなされることは言うまでもありません。彼らが軍人にあたるのか軍属にあたるのか、資料がなくて判断できませんが、おそらく非武装だったこれらの学生達は、日本軍の追撃部隊によって全滅させられました。数万人の死者を出したということです。

これらはまるで沖縄の鉄血勤王隊やひめゆり部隊ではありませんか。人間魚雷となった海軍特別年少兵、航空特攻となった予科練学徒とそっくり同じことではありませんか。特攻は作戦の外道ですから肯定はしません。鉄血勤王隊やひめゆり部隊に過酷な使命を強制した国家には怒りを覚えます。しかし、無茶な動員命令であってもこれに応じた彼らの愛国の至情を笑い、侮蔑することなど誰にもできないはずです。

家族を思い、故郷を思い、国を思う気持ちに日本人も中国人もありません。「便衣兵は国際法に違反しているから殺したって当然だ」とうそぶく人たちは、鉄血勤王隊やひまわり部隊、特攻隊の壮烈な心情を汚しているのと同じ事です。私はそういう意見を許せません。

ちなみに民間人が公然と武器を掲げて敵国軍と戦うのは「不正規兵」といわれるもので、国際法で合法とされております。

■軍人が私服に着替えて逃げたら、殺されても文句が言えない犯罪となる。

なりません。

私服に着替えて民衆に紛れ、逃走しようとするのはよくある話です。敵の手に捕らえられることなく自軍に再結集して再起を図るのは、軍人の義務です。

ただしその姿で戦闘すれば交戦法規違反です。敵対行為がないなら、軍人が私服に着替えてはいけない条項は陸戦協定にもありません。そして南京市内で拘束された人々は抵抗しておりません。ですから何の問題もありません。彼らを捕らえて問答無用に処刑した日本軍の行為は許し難い戦争犯罪です。

■交戦資格のない民間人が戦うのは戦争犯罪であり、殺されても文句が言えない。

間違いです。

戦時国際法上の「不正規兵」とは、たとえばハーグ陸戦規則第1条・第2条で定められている「民兵」「義勇兵」「群民兵」を意味します。これは、国家などに正式所属している「正規兵」に対して、国家・国土の危急の際に国家とは関係なく侵略軍に立ち向かう武装集団の総称と言えるでしょう。

ハーグ陸戦規則
第1条(民兵と義勇兵)
戦争の法規及権利義務は、単に之を軍に適用するのみならす、左の条件を具備する民兵及義勇兵団にも亦之を適用す。

  1. 部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること
  2. 遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること
  3. 公然兵器を携帯すること
  4. 其の動作に付戦争の法規慣例を遵守すること

民兵又は義勇兵団を以て軍の全部又は一部を組織する国に在ては、之を軍の名称中に包含す。

第二条(群民兵)
占領せられさる地方の人民にして、敵の接近するに当り、第1条に依りて編成を為すの遑なく、侵入軍隊に抗敵する為自ら兵器を操る者か公然兵器を携帯し、且戦争の法規慣例を遵守するときは、之を交戦者と認む。