寛容と不寛容のたたかい ブルカ禁止オランダの実験

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オランダもブルカ禁止へ、欧州3か国目
読売新聞 2011/9/17 19:32
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アフガンの米軍撤退に最も抵抗しているのは、現地の女性団体だそうだ。タリバンが戻ってきて、またあの女性差別社会にされてはたまらない、米国は私たちを見捨てるのかと。なにせタリバンイスラムは女性が学校に通うことまで禁じて、女性教師を公開処刑するような連中だったのだから。

ブルカはただの習俗ではない。保守的ムスリムの言い分ではイスラムの教義にもとづいた信仰的表現である。オランダから見れば女性を抑圧するイスラムの象徴ということになる。あまたの女性差別的教義の、目に見える一側面にすぎないと。

オランダは文化多元主義の立場から彼らと共存しようとしたが、その寛容さはムスリムに通用しなかった。彼らは自由の名の下に干渉を拒み、女性抑圧的文化を維持するといった。

「<女性を差別する自由>に干渉するな」と。

そんなものは自由の名に値しないとオランダは考えたのだろう。ブルカの価値観を認めることは、ムスリム社会に存在する、女性を抑圧する慣習も認めることにつながりかねない。これは単なる理念上の問題ではなく、オランダ社会に生起している現実の問題なのだ。

女の子は学校に行かなくていいという保守的イスラムの麗しい文化に、教育当局者がどれほど頭を抱えているか、巨大なムスリムコミュニティの存在しない日本では想像もつかないだろう。

オランダはこう言う。
ムスリム社会は治外法権ではない、ブルカ禁止はムスリム的価値観に対する抑圧ではなく、ムスリムの抑圧的価値観をオランダは容認しないという、女性解放宣言なのだ、と。

ブルカを禁じればムスリム女性がただちに自由になるのかは、疑問だ。だが(表向きの態度表明はともあれ)ブルカ禁止を口実にして、若いムスリム女性はブルカを脱ぎ捨てて、せいせいするだろう。

その前向きの効果と、保守的ムスリムの抵抗がもたらす社会的混乱と、どちらが大きいか、しばらくは目が離せない。

これは寛容と不寛容の、微妙なたたかいだ。不寛容に対して、自由主義的価値観がどこまで寛容であるべきかという、複雑で哲学的な問いへの、ひとつの実験的な回答なのだ。