自民党改憲案 「みんなのしあわせ」か「決められたルール」か

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日本国憲法は権利についてこう規定している。
「公共の福祉」に反しない限り保障する

自民党改憲草案はちがう規定だ。
「公の秩序」に反しない限り保障する。

「公共の福祉」と「公の秩序」。

「公」しか合ってないけど、「公」がついているのであまり変わらないようにも思える。だが、これらは全然別のものだ。

「公共の福祉」とは、「みんなのしあわせ」のことだ。「君の言いたいこと、したいことが、みんなのしあわせと相容れないなら、我慢してくれ」というのが憲法の考えだ。

言い方を変えれば、「君の言いたいことしたいことが、見た目は法律に反していても、みんなのしあわせにつながるなら、自由に言えばいいし、すればいい」。こういう考えが成り立つのが憲法のすごいところだ。

このおかげで、法律のしばりを超えた最高裁判決がたくさん下された。この結果、法律自体が変えられた事例もたくさんある。いや、それだけではなく、法律の運用から行政の施策細目にいたるまで、この規定が及ぼしている効果は計り知れない。

これにひきかえ自民党草案の「公の秩序」とは、「決められたルール」のことだ。「君の言いたいことしたいことが、みんなのしあわせにつながるものであったとしても、決まりと相容れないなら、我慢してくれ」。このように解釈することが可能だ。

これだと、法律のしばりを超えた判決など出しようがない。行政の裁量部分が市民要求で変えられることなどありえないだろう。それどころか、決まりに異議を唱えること自体が憲法違反になりかねない。

こんなことでは、いったん作られた法律が市民要求で変えられることなど金輪際ありえない。人権は為政者のお恵みに成り下がってしまう。こんなものが人権であるはずがない。

日本をそういう国にしたいのか、したくないのか、それを自民党は国民に問うべきだが、争点からひた隠しにしている。

真っ向から批判しているのは社民党、日本共産党だけだが、そのことをメディアは見事に無視して、やれ未来だ維新だとはしゃぐばかり。

自分はできる範囲で頑張っているつもりだが、もちろん体勢に影響を与えられるはずがない。

日曜日、この国の未来が決まる。悪い方に決まってもバカな改悪憲法に従う気などさらさらないが、やりにくくはなるだろうな。