3.11復興と希望の集会アピール

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昨日、姫路市で取り組んだ3.11復興と希望の集会には、300人の参加がありました。
集会で採択された「アピール」を転載します。

3.11復興と希望の集会アピール

あの日、あの真っ黒な津波に、なんと多くの命が奪われたことでしょうか。
なんと多くの家々が、船が田畑が、そして思い出の数々が失われていったことでしょうか。
いまわたしたちは、限りない悲しみとともに、命の尊さ、その重さを心に刻んでいます。
なにげない暮らしの大切さを、いまさらながらに、かみしめています。

あなたやわたしが、あの日々に見たものは何でしたか。
わたしたちが見たものは、すべてを失いながらも、気高さを失わなかった人々でした。
絶望の中、誇り高い人間の尊厳を守り抜いた人々の姿でした。
自分のつらさよりも、他人の寒さやひもじさを気遣う人々がそこにいました。
こどもを亡くしながら、涙をこらえて避難所で働く父がいました。
みんなに避難を呼びかけながら、波に飲まれていった幾多の人々の思いを背にして、
がまんづよく、やさしさとぬくもりとを保ち、もくもくと働く人々がそこにいました。
励ますどころか、被災者の皆さんに、私たちは励まされていたのでしたね。

けれども、人の底知れぬ愚かさにも、わたしたちは気づいてしまいました。
原子力発電所のすさまじい爆発、まき散らされた放射性物質、汚染された大地、そして海。
あれほど危険だと言われていたのに、あれほど反対の声が上がっていたのに作られた原発。
安全という大うそと、金と暴力とによって、反対の声を踏みつぶして押し付けられた原発。
わたしたちはいま静かに、怒りに震えながら、足元を見つめています。
事故でふるさとを喪ってしまった人々の悲しみに、どのように寄り添えばいいのか。
おそろしい放射能から逃げまどう人々の恐怖の叫びに、どう答えればいいのか。
風評被害に生活を脅かされている人々の怒りに、どう向き合えばいいのか……。

だけど、どんなにつらくても、それでも明日はやって来ます。
「こわかった分 強くなる」と子どもたちは誓っています。
わたしたちは、この子たちに、どんな日本を手渡してあげられるのでしょうか。
どんな明日を用意してあげられるでしょうか。
この子たちを待っているのは、放射能の恐怖に打ち震える未来ですか。
災害に出会ったら不運だったと思えと、言い放つ日本ですか。
他人を蹴落としても、自分がのしあがればそれが幸せだという社会ですか。
それとも、ふりそそぐ緑と太陽と風の中で、子どもたちが生き生きと駆け回る明日ですか。
困っている人には思わず手を差し伸べてしまう、そんな子どもたちが育つ明日ですか。

選ぶのはあなたです。
明日をつくるのは、あなたと、わたしたちなのです。
この国の一員として、この国の主人公として、あなたはどんな明日が作りたいですか。
しっかりと考え、まっすぐに前を見つめて、明日のための歩みを、始めましょう。
この集会は、その一歩を踏みだすために、開かれました。
さあ、今日、この場所から、ともに復興と希望の未来へと!

2012年3月11日 復興と希望の集会 参加者一同