スライドと語りで綴る「戦争と貧困」 憲法を守るはりま集会より

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写真:憲法集会を報道する新聞記事

いまも放射性物質の流出をつづける、福島第一原子力発電所。
安全だ、絶対に安全だと、電力会社も国も言っていたのに、事故を起こしました。
戦争の時も、日本は勝つ、絶対に負けない、と軍隊も国も言っていたのに、負けました。
いま、放射能をくいとめるために、命がけで闘う現場の人々がいます。
戦争の時も、お国のためだと信じて、命を惜しまずに戦った日本兵がいました。
彼らは、ボロぞうきんのように殺されていって、何の報いもありませんでした。
福島原発作業員の頑張りに、この国は報いてあげることができるのでしょうか。

日本の構造は、あの時から、変わったのでしょうか。
それとも、変わっていないのでしょうか。
重い問いかけを、いま私たちは投げかけられています。

タイトル「戦争と貧困」

姫路市中央公園に、一基の石碑がひっそりとたたずんでいます。
石碑の名称は、「満蒙開拓殉難者之碑」。

満蒙開拓とは、中国の土地をうばって、日本人が開拓することでした。
いまの中国東北部と、モンゴルの東。
そこに、500万人の日本人を移住させる計画でした。
兵庫県から、遠く満州に移住したのは、約5000名。

この碑が、何を私たちに問いかけているのか、
そのことを知るため、私たちは、少し歴史をさかのぼります。

時は1920年、大正7年。
日本は、出来たばかりのロシア革命政府と戦争を始めました。
シベリア出兵です。

革命の争乱に乗じて、シベリアの東半分を日本のものにする戦争でした。
シベリアに動員された兵力は24万人。
政府予算が58億円なのに、戦争予算は90億円も使ったと記録されています。

けれど4年後、シベリア出兵は、無惨な失敗に終わりました。
戦死した兵士は数千名。
手足を失った負傷者は2万名。
日本軍は、何も得ることなく、帰ってきました。

無駄な戦争の、膨大な戦費のために、国のサイフはカラッポになりました。
国内では、米を朝鮮から安く買いたたいて輸入したことで、値が崩れました。

昭和4年、そこに世界不況と天候不順が追い打ちを掛けました。

生糸の価格が暴落し、農家は食べるものさえない状態に追い込まれたのです。
学校に弁当を持参できない「欠食児童」が激増し、話題になりました。

でも、それを救う力を、政府は失っていました。
軍部は叫びました。
「政治家には、国民経済を立て直すことができない!」
「軍の力で、満州をうばおう!」
「満州の資源を我がものにしよう!」
「絶望的な貧困をなくすには、戦争しかないのだ!」
こうして昭和6年、日本は満州に攻め込みます。

シベリア出兵という失敗した侵略戦争を取りつくろうために、さらなる侵略戦争に打って出たのです。

莫大な戦費を使って満州の支配を強めているさなかの昭和8年、東北地方に大変なことが起こりました。三陸大津波です。

相次ぐ凶作、世界不況、さらに津波に襲われ、東北の農村は壊滅的な様相を呈しました。
東北を救え!
国内から、多額の義援金が集まり、政府に託されました。
アメリカ、イギリス、イタリアなど、国際的支援も届きました。
日本が戦争していた、中華民国からも義援金が寄せられました。
しかし政府は、被災地に送った米や麦の代金として、義援金を天引きしてしまいました。
当時の軍事予算は、国家予算の4割を超えています。
しかし政府は、ただの一円たりとも、軍事予算を被災者に回そうとはしませんでした。
農民は、種もみを買うために、親が娘を売るまでに追い詰められました。

この写真は、赤十字に救い出された、売られた娘たちです。

なんと幼い子どもたちでしょうか。
このような少女が、20円や30円で都会に売られたのです。
赤十字は救出活動をしましたが、どれほど活動しても、焼け石に水でした。
なぜなら、農村では、村役場が、娘たちを送り出す仕事をしていたのですから。

役所が、身売りに手を貸していたのです。
政府は軍と一緒になって、国内矛盾を外に投げ出すことにしました。
「新天地、満州へ行こう!」と。
「満州へ行けば、誰でも百町歩の大地主になれるぞ。」と。
多くの国民が、それを信じました。
貧しい農民にとって、満州移民は、人生一発逆転のチャンスでした。
軍隊は、満州の人々から先祖代々の土地を奪いました。
開拓団員がそこに住みました。
移住者にとって、満州は夢の王道楽土でした。

満州は豊かで、広くて、耕しきれぬ土地がありました。

鉄がありました。石炭がありました。
新しい産業がつぎつぎに起こされました。

ぞくぞくとやってくる日本人は特権階級として振る舞いました。

日本人は、王様でした。

軍は、追い出した元の住民を「匪賊」と呼びました。
つまり、テロリストです。
「テロリストを倒すのに情けはいらない、日本人の土地と権利を守れ!」

こうして開拓団は武装し、軍事訓練を受け、満州の人々と対立しました。
国家の無策で作り出された貧困でした。
政府はその貧困から抜け出すためだと言って、侵略戦争の道を進みました。
その渦に、国民が巻き込まれていきました。
貧困から脱却したいと願うばかりに、人々は侵略政策に荷担しました。
貧困と戦争がもつれあって進行していく、悪夢のスパイラルでした。

やがて、敗戦。
大日本帝国は滅亡しました。
移住者は、軍という後ろ盾を失いました。
もうそこに住むことはできません。
みじめで苦しい逃避行がはじまりました。

兵庫県からの移住者は5,000名。
ソ連軍と戦うために、男手は兵隊にとられていました。
残された避難者は、ほとんどが高齢者、女性、子どもです。

日本に向けて命からがら逃げ延びる、何千キロメートルもの旅が始まりました。
列車もなく、車もなく、食べるものさえ持たない徒歩の行列です。

病気に耐える力もなく、老人は歩く力さえなく、親は子を捨て、子が親を捨てました。
道ばたには、見捨てられた移民の死体が転がっていました。
こうして、兵庫県民2,000名の尊い命が、異国の露と消えました。

満州全体では約27万人の開拓団のうち、故国に帰り着けたのは、わずか11万人でした。
日本人移民全体では、20万人の犠牲者が出たと言います。

あれから半世紀以上が過ぎました。

新しい憲法とともに、新しい日本国が誕生しました。
いま、私たちはいま問いかけられています。
ほんとうに、この国は新しくなったのですか?
日本国憲法は、ほんとうに活かされているのですか?
人権は大切にされていますか。

東日本を襲った未曾有の大震災。
人々は規律を失わず、人としての誇りをもって助けあっています。

希望を失わず、勇気を持って困難に立ち向かっています
その姿を見て、世界が日本国民を称えています。

でも、国は?
すなおに信じていい国に、日本はなったのですか。
国は嘘や隠し事をせず、国民を大切にしてくれるのでしょうか。

命がけで放射能に挑む人々がいて、日本は最悪の事態をまぬがれています。

でも、この人たちに、いまだに布団も温かい食事も用意していないのが、この国の姿です。

はたして国は、彼らに報いてくれるのでしょうか。
かつてお国のためにと戦った、多くの兵士や国民は、ただの捨て石にされてしまいました。

日本人は優秀だと自画自賛し、死ねば神だとおだてられ、それで何が残りましたか。
震災の風景が、その姿とかぶさりませんか。
そんなことにならないように、私たちはいま、何をすべきなのでしょうか。
それを決めるのは、私たちです。
信じられる国をつくるのは、私たち主権者なのです。
そのための、憲法なのです。

昭和初期の日本は、災害でどれほど国民が苦しんでも、無関心でした。
戦争をすることに必死で、国民を顧みませんでした。
いまは、不十分ながら、政府は被災者を助けようとしています。
それは、日本が戦争をしていないから。
国家が戦争を禁じられているから。

憲法第9条があるからです。
憲法第9条は、平和を守るだけではなく、国民の生活も現実的に守っているのです。

本日、堤未果さんの講演のテーマは、
貧困大国アメリカと日本の未来、
作り出された貧困と民営化された戦争。

貧困大国アメリカの後追いにストップをかけるために、私たち市民ができることは何か、しっかりと学び、しっかりと考えましょう。
しっかりと未来を見据え、そしてしっかりと、憲法を守りましょう。

————————————————————————シナリオの下書きには、満州侵略のきっかけをつくったのが、朝鮮の「土地調査事業」と「産米増殖運動」だったことも書き込んで、写真も集めていたのですが、集会実行委員会から与えられたのが20~25分の枠だったので、泣く泣く削りました。

大日本帝国は「土地調査事業」や「産米増殖運動」を通じて朝鮮人の土地を奪いました。奪われた人々の中から、生きるために日本や満州へ移住する人が生まれました。満州では、地元の人々と衝突し、多数の朝鮮人が殺される事件が起こりました。万宝山事件といいます。

日本軍は、襲撃された朝鮮人農民を「邦人」と呼び(まあ、韓国を併合してから朝鮮人を日本国籍にしていたので、「邦人」というのは嘘ではありません)、その救出を名目にして、軍を派遣したのです。

自分が追い出しておいて、次にはその人たちを戦争の口実に利用したのですから、なんともはや……あまりのやり口に、開いた口がふさがりません。こういうことを学校で教えないとねえ。

*編集注:削る前の下書き
津波と戦争と貧困と

憲法集会で上映する予定のスライドシナリオです。 まだ修正可能なので、ご意見があればお願いします。 *編集注:実際に上映されたスライドはこちら。写真付き。 スライドと語りで綴る「戦争と貧困」 憲法を守るはりま集会より(2011/5/9) ...