マララ・ユスフザイさんに対するノーベル賞授与について

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驚いたことに、マララさんにノーべル賞を与えたのは間違いだという人がいます。それも大したインテリがそういうので、驚いています。

マララ批判は2系統に分けられます。
マララさんはガキじゃないか、大人に洗脳されただけだというのが、ひとつ。
もう一つは子供を政治利用するなというもの。

前者は、子どもがあんな思想を持てるはずがない、よって…と色々な背景をこしらえます。いわく、西欧かぶれの親に吹き込まれたんだ、いわく、広告代理店の作文だ、いわく、シオニストが背後にいる…

マララさんは何もわからないガキなんでしょうか。

マララさんの業績は、タリバンの邪悪さと対比させて考えるべきでしょう。逆らったら15歳の少女でも容赦なく暗殺しようとしたのが、タリバンです。彼女の住んでいたスワート県をタリバンが支配していた頃、すべての女性がマララさんと同じ状況にあったわけです。学校に通おうとしたら殺される状況です。

教育者を父に持つ、優秀で多感な少女が、この環境で早熟に育ったとして、それが何か不思議でしょうか。祖国滅亡の危機的時代に、ジャンヌダルクが初めて「神の声」を聴いたのは12歳。オルレアンを解放したのは奇しくもマララさんと同じ17歳です。マララさんは「女の子も学校に通わせて下さい」という、しごく当たり前の要求をしているに過ぎません。この要求を「難くて子供にわかる話じゃない」という人がいるのが不思議です。

マララさんはいまだ暗殺の恐怖にさらされています。そこで、子どもをターゲットとしてさらす結果をもたらすノーベル賞授与は間違いだという批判があります。それは子どもを政治利用することだと。

マララさんは政治利用されているのでしょうか。

タリバンにとって、ノーベル賞は「西欧」の象徴です。彼女を暗殺することでその死を「西欧に対する勝利」の象徴にしたいのはタリバンです。その意味で、政治利用はむしろタリバンの側です。

ここで忘れてはならないのは、彼女が称えられているのは、暗殺未遂の被害者だからではないということです。暗殺の恐怖に打ち勝って、女性差別の状況に立ち向かっているからです。その戦いが、同じ苦難の道を歩む世界の女性に勇気を与えるものだとして、賞賛されているのです。

確かにマララさんは時代の少女でしょう。政治利用といえばそうかも知れません。では、彼女が狙われる危険があるから、彼女の行動を称えるなといえるのでしょうか。それは暴力に屈することであり、それこそタリバンが望むことであり、彼らが暴力を振るう理由もそこにあるのではないでしょうか。

机の前で物を書いて飯を食っているインテリが皮肉っぽく逆張りに走っても、世界が変わることはないでしょう。しかしマララさんの勇気は、同じように教育を閉ざされている何百万人、何千万人の女性を鼓舞する力を持っており、女性たちのエネルギーは、世界を変える可能性を持っています。

マララさんの勇気に同調する世界の人々が、資金援助や現地ボランティアとして彼女の戦いに馳せ参じ、具体的に、現実に、パキスタンの女性教育を動かし始めています。その方向が間違っているとは思えません。そしてノーベル賞はその動きを後押しするものです。

私たちがすべきなのは、タリバンの暴力に少女を晒すような真似をするなと足を引っ張ることではないと思います。タリバンの思想を人類の名で非難し、タリバンが暴力に走れないように、マララさんを支援の声で包みこんで守ることだと思います。