迷惑な敗訴 大飯原発

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過払い訴訟なんて簡単だと誤解して本人訴訟を起こし、海千山千のサラ金にコテンパンにやられて、とんでもない判例を作られてしまう人がいる。判例は重いから、サラ金とたたかっている側にとってはまことに迷惑な行為だ。

このたびの大飯原発をめぐる行政訴訟もそんな位置付けのできそうな、いわゆる「筋の悪い」裁判だ。

通るはずのない理屈で敗けが分かりきっている裁判に軽はずみに訴えて、負けたことだけ大きく報道される。

地元の人がたくさん参加しているなら「やむにやまれず」の一面もあるが、この裁判は地元福井県の原告が1人もいない。他府県の変わり者が、たった12人でやった裁判。それでいて「住民敗訴」と報道されてしまう。バカかと。地元の迷惑もかんがえろよ。

他府県のバカの起こした裁判なのに「住民側」と報道する読売のたちの悪さも許しがたいんだけどねえ。

■大飯原発巡る行政訴訟、住民側の請求を却下 
読売新聞 12月20日 20:19
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■追記(上記に対するコメントとそれへの応答)

<コメント要旨>

原発差し止め訴訟なんて負けて当たり前だから、いまさら負けてもマイナスにはならない。
報道されて、もし「検査証の処分性」という法律的論点に論争が生じるならそれはそれで意味がある。
原告は福井県在住ではないが、京都・大阪・滋賀の3府県に在住する人たちなので、大飯原発に事故が起きれば影響を受けることは間違いなく、十分に訴えを起こす資格がある。「住民敗訴」は偽りの報道とはいえない。むしろ、福井県在住者には地元の縛りがあるから、周囲の縛りの厳しくない府県の住民が訴えを起こすことは福井県在住の人々にとって助けになる。

<コメントへの応答>

原発裁判は壁が高いので、どうせやるなら政治効果を同時に追求するのが普通ですね。 原告適格なんかでハネられたら、準備書面にかけた努力がおじゃんですから、そこは慎重には慎重を期して臨まなくてはなりません。

行政訴訟の壁が原告適格と処分性なのは知れたことですね。 当該訴訟の争点は「最終検査証の交付」が処分かどうかですが、最終検査が終了すれば検査済証を出すように決められているのだから、その適否を争うのが土台無茶です。むしろ政治判断で検査済証を交付しなければ、その行為が行政不作為と見なされるでしょう。

問題点はそういった手続き面にあるのではなくて、「最終検査が検査の名に値する内容を有しているのか」という点であるはずです。 ここを問うには最終検査の内容を定めている施行細目の是非に踏み込まなくてはならず、ますます行政訴訟の射程を離れた話になります。

かの裁判は、いわばこうです。大事故を起こした車があり、事故原因は構造的欠陥のせいだと指摘する声も大きい。その車を修理して車検を受け、合格した。これに対して、また事故を起こすかもしれないのに車検を通すとは何事かと裁判を起こした。構造的欠陥があるかないかは別にして、現行法の車検基準をクリアしていれば陸運局は車検証を交付せざるを得ません。裁判所が訴えを門前払いしたのは当然です。

とても国を相手に闘える内容ではありません。よく弁護士がついたものです。まして原告12名なんて、なめとんのかと言いたくなりませんか? 気の合う一言居士仲間で、思い付きみたいにやったんじゃないんでしょうか。他の訴訟は福井県民を多数含む数百名の原告団に、やはり百名を超える弁護団を組織しての大裁判です。

それでも勝つのは難しいでしょう。しかし運動としての意義は大きいし、裁判を通じて得られる法律理論が議会に与える効果も無視できません(平成16年に行政訴訟法が大改正された例がありますね)。 そういう訴訟なら、負けても意味があると思います。しかし当該のは時期といい負け方といい、最悪だと自分は思ったわけです。