被災地に142億円寄付のヤマト社長「米株主は好意的だった」

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被災地に142億円寄付のヤマト社長「米株主は好意的だった」
SAPIO2012年11月号

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「宅急便1個につき10円の寄付」で集めた142億円を復興・再生事業に。日本中を驚かせたヤマトホールディングス・木川眞社長の決断には「震災復興を契機に新しい日本を作ろう」という強いメッセージが込められていた。

* * *
阪神・淡路大震災などこれまでの災害復興では国が中心になり、民間はそれぞれが自分のために努力して乗り越えてきた。

しかし、東日本大震災は違う。被災地に何度も足を運んだが、その惨状を見たら、「これまでのやり方は通用しない。国、自治体、民間企業、そして個人というすべての主体が参画し、最大限の責任を負わなければ日本は再生できない」と思わずにいられなかった。

では、どうすれば民間企業として最大限の貢献ができるか。運輸業の社会的責任として物流を復旧し、救援物資を届けるのは当然として、それだけで十分と言えるのか。

壊滅的被害を受けた東北地方には農産物・水産物の生産拠点が多数あり、長年にわたって「クール宅急便」を大きく育ててくれた地域である。その恩返しをしなければ、と思った。

そこで考えたのが「宅急便1個につき10円を1年間積み立てて寄付する」という支援だった。1回で出すのは難しい金額でも、年間で取り扱う約13億個の荷物につき1個10円を積み立てていけば可能になる。それだけでなく、宅急便を利用されるお客様にも、復興支援に参画していただけることになる。

――最終的に積み立てた142億円以上の寄付金は、ヤマトグループの純利益の約4割に相当する。巨額なだけに、木川社長は株主が納得してくれるかどうかを懸念していた。

震災直後から、被災地の社員たちは自主的に救援物資の配送をボランティアで始めていた。そして現場の社員の動きに呼応する形で、本社も「救援物資輸送協力隊」を組織した。被災地での奮闘を他の社員たちは知っていたから、寄付の提案には社員の家族も諸手を挙げて賛成してくれた。

しかし、株主は何と言うか。まして、弊社株の約3割はヘッジファンドを含む外国人投資家が保有している。短期的な収益を重視する彼らから、株主代表訴訟を起こされる恐れすら抱いた。

しかし、アメリカに飛び、株主に寄付を説明すると、意外にも極めて好意的に評価してくれた。あるヘッジファンドのマネジャーは「もし文句を言う奴がいたら、俺のところに連れてこい」と言ってくれたほどだ。短期的投資を行なう彼らさえ、社会貢献が投資対象の価値を高めるということを十分理解していたのだ。

関門はさらにもう一つあった。私たちが目指したのは「使い途が見える」「スピードが速い」「効果が高い」支援だ。寄付ならば、1円たりとも無駄にせず、直接的に被災地の水産業や農業の再生、壊滅した生活基盤の復興に使いたい。

そのためには、どの案件に拠出するかも自分たちで決めたい。使い途が見えなくては、社員や株主、寄付をしてくれた人に説明責任が果たせないからだ。

しかし税法上、使い途を自社で決めるような寄付活動は営業活動と見なされるケースがある。すると、通常の法人税がかかり、142億円の寄付ならば、半分近くを税金として納めなくてはならなくなる。そこまでではなくても、専門家には「無税化は難しい」と早い段階から言われていた。

それでも諦めずに、私たちの志を財務省に伝えて1か月半の交渉をした結果、税金として取られることなく全額を復興事業に使えるスキームが実現した。弊社の歴史は行政と規制緩和をめぐり戦ってきた歴史とも言えるが、今回は財務省も前向きに取り組んでくださった。

画期的なスキームが実現したことで、企業による新しい寄付文化が生まれるきっかけができた。実際、同様のスキームを利用して寄付をした企業があると聞いている。

記事を読んで涙した。

復興の遅れを資本主義経済体制のせいにして、政府の対策に何かと文句をつけるが、自分から前向きの施策は出しもしない「反体制」の皆さんは、爪の垢でも煎じて飲んではいかがかと思う。

しかしながら、もろ手をあげて記事に賛成もできない。反体制の親玉とされている共産党は、総額でいえばもっと支出しているが、これほど持ち上げられた記事など読んだことがない。

共産党の呼び掛けに応じて被災地に赴いたボランティア、医療関係者、法律家などなどのマンパワーは、その量といい、献身性といい、きめ細やかさといい、なにせ凄かった。その個々の活躍はたくさん報じられたが、しかし「共産党」という呼び掛け人の名称はメディアの手により慎重に隠され、当人たちもあえて声高に語ることがない。それは共産党の宣伝のために行動したのではなく、その呼び掛けがなくとも動いたはずだとの高い自覚による。

しかし、個々の点の動きをコーディネイトして、最も効果的に機能するように組織できたのは、共産党ネットワークが存在したからだというのは、間違いないところだろう。

被災地に赴いた党員やシンパは、異口同音に語る。「人民に奉仕するのは立党の原点、入党の動機。宣伝するようなことではない」

ああ、まあ、それは美しい心根だよね。でもな、有権者はあなたがたの行動なんて知りもしないんだよ!

あなたは、願っている。あなたのような行動が広がり、政府があなたの行動原理で動いてくれることを願っている。その信念の基礎に共産党の思想が根付いている。しかし、繰り返すが、有権者はあなたがたの行動なんて知りもしないんだよ!

ったく、どこまでお人好しなんだか!

昔読んだ井上光晴の短編を思い出した。共産党の指示で、九州の水害救援に向かった人たちの話だ。

彼らは人民のためにと献身するのだが、現地の被災民はアカに助けてもらったのでは明日から村八分になると恐れて救援を素直に受け入れない。しかたなく、夜中に人知れず農地の復興作業をはじめた。農民は、表向きは迷惑な話だと公言する。それが本当に迷惑なら止めればいいのに、農民は、やつらが勝手にしているのだという理屈で、文句も言わず、しかし感謝もしないという態度に出た。

党員たちは、ろくに食べ物もないのに、使命感だけで過酷な労働を繰り返すが、ついに病人を出してしまう。栄養失調に陥った党員を、現地住民はだれも助けようとしない。

ところが、夜中に戸板にのせて町まで運ぶ途中、一人の農民が一椀の食い物を差し入れてくれた。それは山芋をすりおろしたもので、農民は村人の目につかぬよう、村八分の危険を冒して、精をつけるためにと善意でくれたのだ。

しかし弱った体に山芋はきつい。だが、党員は、せっかくの善意、しかも初めて示してくれた善意に応えないわけにいかないと、村人の目の前で一気にそれを飲み干し、村人にニコリと笑ってみせた。そしてその晩、彼は死んだ。

井上は、この半分ノンフィクションの短編を、かくも過酷な使命を課してやまない共産主義思想と共産党を批判する意図で書いた。

だが、批判だけしてそれで終われるのだろうか。党組織だけが批判の対象でよいのだろうか。

どうしてここまで共産党の善意を信じない社会ができてしまったのか、その点についても、深刻に考える必要がありはしまいか。

そんなことを思わされる記事だった。