「主権回復を目指す会」との対話

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1393960137&owner_id=12631570

主権回復を目指す会・関西支部のスピーチを聴いてきました。

主権が妨害すると予告していた『日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める請願署名実行委員会』の新長田での行動(水曜デモ)は中止されたみたいです。場所を変えたのかも知れませんが、分かりません。もしもそうなら、なかなか頭がいい。ゲリラ戦みたいなもんで、敵のいないところを攻めるというのはよい方法です。

「主権」の会は「粉砕したぞ~!」と喜んでいたけど、じつは三宮でやってたなんてことだったら、面白いんだけどね。新長田での行動を、警察に止められたのかも知れないなあ。

さて、6時頃から、いつもの主権のヘイトスピーチが始まりました。

「従軍慰安婦の強制連行など大嘘だ!」
「この問題でいつでも議論に応じる!」
「文句のある朝鮮人はいないのか!」

演説が終わると、一人の男性が弁士に近づいていきます。そばに寄って話を聞くと、どうやら保守的立場の男性のようです。従軍慰安婦の強制連行はなかったと思うが、もう少しやり方を考えたらどうか、と語りかけています。

その男性を、会のメンバーらが取り囲んで罵声を浴びせます。「帰れ、帰れ」「それで60年間、何か変わったんかい」「わしらは行動する会なんじゃ」「わしらのやり方にゴチャゴチャぬかすな」。男性はあきれはてています。

あまりにひどい言いように、「議論する言うとったんとちがうんか」と、つい言わなくても良いことを言ってしまいました。すると今度はこちらに皆さんが押し掛けてきました。あちゃー、やってもた~・・・orz


「お前、水曜デモの仲間やろ。」
「いいや、どんなことを言うてる団体かも知らん。そやけど暴力でつぶすことはあかんさかいに、防衛にきたんや」
「なんやとっ、わしらがいつ暴力ふるたんどい、暴力ふるとんかい、こら」
二言、三言、言い合いをしていると、中の一人が「お前、どろやろ」
ありゃ、わかりました?
「お前、この前も来とったやろ。西村さん(西村修平)がおらんようになってから文句たれやがって。西村さんのおるとこで文句つけんかいや」
・・・・そんなこと知らんがなw

「お前、言いたいこと書いとるのおっ、こら」
「書いてるで」
「お前、言いたいこと書いとるやんかい、こら」
「書いてる言うてるがな」
「好きなこと書きやがって」
・・・ww そら、書くがな、自分のブログやもん。
「こっちは自分が正しいと思うことを書いてる。あんたも自分が正しいと思ってやってるんやろ」
「おお」
「ほなら、同じことやがな。それより、議論する言うたくせに、なんやねん、議論に来たら帰れて言うのは」

お相手が交代しました(てか、10人ほどでこちらを取り囲んでワイワイ言ってるんですが)

「わしらは慰安婦のことで議論する言うとるんや、あいつの言うのはわしらのやり方の話やんかい。やり方の話はせん。」
(横から)「わしらは命かけとるんじゃ!」「わしらが法律なんじゃい!」
はあ、さよで。中学校や小学校の子ども相手に、命がけでデモかけてはるんですか。
まあ、こういう手合いは無視して、ちょっと話ができそうな人に尋ねてみました。
「そしたら慰安婦の話なら議論するんか。」
「おお。」
「それやったら、集まってる人らにも聞いて貰えるように、メガホン使ってもええか」
「お、おお。ええがな」
うわ!やたっ、ラッキー! と思ったのに、西村先生が「あかん、そこでやっとけ」とボソボソ。なんやねん、しょーもない。それならやーめた。

また演説が始まります。
駅出口に移動して、正面から聞かせていただきました。西村先生がひとしきり、いい加減な慰安婦インチキ説をぶったあと、また言うてはります。
「文句があるなら出てこーい!」
「朝鮮人っ、大人しいではないかっ」
またかいな。

「議論するて、ほんまか~!」
大声で尋ねてみました。
するとまた「帰れ、帰れ」と口々にヤジが返ってきます。
「ニッポンから出て行け~」言うてます。
おいおい、出てこい言うたり、出て行け言うたり、どっちやねん。

何人かが、何事かをわめきながら詰め寄ってきました。警官もやってきます。ひとしきりゴチャゴチャあって、結局、離れた場所で会員の一人と話をしてみようということになりました。実はこんなことをしに来たのではないし、私は市民団体の味方でもないし、と思ったけど、まあ行きがかり上、そういうことになりました。その長い話を書くのは手間なんで、簡単にはしょりながら報告しましょう。


私は、強制連行とはなにかと問いかけました。それは強制的に連れて行くことで、拉致のことやなと。ところで北朝鮮に連れて行かれた石岡さん、松木さん、有本さんたちは、みんないいアルバイトがあるとか騙されて、拉致されたんですよね。いい仕事があると騙されて、慰安婦にされた人たちと同じです。てことは、有本さんたちが拉致されたというなら、慰安婦たちも拉致されたわけです。つまり強制連行ではないかと。

ここまで説明するのに、すっごい時間を食ったんです。なにせ人の話を聞かん相手で。

首に縄を付けて連れて行かれたと証言している朝鮮人慰安婦なんか、一人もいません。支援者もそんなことは言ってない。

「あんたらは、誰も言ってもいないことを批判して、ウソやというてるねん」
「それやったら、なんで強制連行やねん」
「だまして連れて行っても拉致やろ。北朝鮮の拉致言うてるやろ。強制連行やろ」
「・・・そやけど、それをしたのは誰や。軍がしたんかい」
「軍の許可を貰った業者やがな」
「それならなんで軍に責任があるんや」
「軍が設置を計画して、業者を募集して、指名して、慰安所つくって、慰安婦を輸送して、管理して、料金きめて、軍医までつけて、ここまでやっといて知らんではすまんやろ」
「軍は便宜を計らっただけや」
「産経新聞の鹿島会長や中曽根が軍隊時代に慰安所を作ったというてるがな」
「もうええ、お前の話はもうカタがついてる話ばっかりや」
「そうやで。カタがついて、慰安婦の強制性はハッキリしてる話や」
……てなことを喋ってました。

その人は主権回復を目指す会のYさんという人でしたが(名刺をいただいた)、慰安婦議論の現段階について、本当に知らなかったようです。

首に縄を付けて引っ張っていくようなケースが朝鮮半島で確認されていないこと。吉田清二さんの著書が歴史資料とされていないこと。慰安婦を集めたのが民間業者だったこと。こんな当たり前のことを知っていただけで、「お前、まともに知っとるやんかい」とほめられちゃったけど、いいのか? 「慰安婦はみんな暴力的に連れて行かれた」と慰安婦問題を語る人たちが言っているように思ってたんですねえ。

Yさんが知らないことは他にもあって、軍直営の慰安所があったことや、戦地で死亡した慰安婦が準軍属待遇とされていて、年金受給の対象とされていることも知りませんでした。「ウソ付け、資料出せ」と言われたけど、そんなもん持ち歩いてないしw

今度は資料に基づいて話そうと約束しましたが、つぎにあえるかどうかわからないね。もしかするとYさんが見るかも知れないので、末尾にその資料を貼り付けときます。

こんなふうに今回のウォッチングは終了しました。
耳が汚れそうなヘイトスピーチは、やはり気持ち悪かったです。まあしかし、幹部っぽい人でもあんまり分かってないのかなあと知ったのが、収穫といえば言えるかな。

<資料>慰安婦は無給軍属。戦場死した慰安婦は遺族年金の対象

第058回国会 社会労働委員会 第21号
昭和四十三年四月二十六日(金曜日)

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0200/05804260200021c.html

○実本政府委員 ・・・現実に本来の尉安婦の仕事ができなくなったような状態、たとえば昭和二十年の四月以降のフィリピンというような状態を考えますと、もうそこへ行っていた慰安婦の人たちは一緒に銃をとって戦う、あるいは傷ついた兵隊さんの看護に回ってもらうというふうな状態で処理されたと申しますか、区処された人たちがあるわけでございまして、そういう人たちは戦闘参加者あるいは臨時看護婦というふうな身分でもってそういう仕事に従事中散っていかれた、こういうふうな方々につきましては、それは戦闘参加者なりあるいは軍属ということで処遇をいたしたケースが、先ほど四、五十と申し上げました中の大部分を占めておるわけでございます。

……形の上ではそういった目的で軍が送りました女性というものとの間には雇用関係はございませんで、そういう前線の将兵との間にケース、ケースで個別的に金銭の授受を行なって事が運ばれていた模様でございます。軍はそういった意味で雇用関係はなかったわけでございますが、しかし、一応戦地におって施設、宿舎等の便宜を与えるためには、何か身分がなければなりませんので、無給の軍属というふうな身分を与えて宿舎その他の便宜を供与していた、こういう実態でございます。いま援護法の対象者としては、そういう無給の軍属というものは扱っておりませんで、全部有給の軍属、有給の雇用人というものを対象にいたしておりまして、端的にいいますと、この身分関係がなかったということで援護法の対象としての取扱いはどうしてもできかねる。しかしながら、先ほど申し上げました例のように、戦闘参加者なり、あるいは従軍看護婦のような臨時の看護婦さんとしての身分を持った方々につきましては、そういう見地から処遇をいたしておるわけでございまして、もしそういう意味での方がこういう方々の中にまだ処遇漏れというふうになっておりますれば、援護法は全部申請主義でございますので、そういう人があれば申請していただくということになるわけでございます。

<資料>軍直営の慰安所があったという記録

『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成1』

警察庁関係公表資料・外務省関係公表資料

http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf(注:サイズ大)

「外務省警察史 在南京総領事館」抜粋(昭13)(関係資料集成p.481)

陸海軍ニ専属スル酒保及慰安所ハ陸海軍ノ直接経営監督スルモノナルニ付領事館ハ干与セザルベキモ一般ニ利用セラルル所謂酒保及慰安所ニ就テハ此ノ限リニアラズ此ノ場合業者ニ対スル一般ノ取締ハ領事館ソノ衞ニ当リ之ニ出入スル軍人軍属ニ対スル取締ハ憲兵隊ニ於テ処理スルモノトス尚憲兵隊ハ必要ノ場合随時臨検其ノ他ノ取締ヲ為スコトアルベシ

『独立攻城重砲兵第2大隊本部 12月陣中日記』

慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊(大隊本部のこと)の経営するものの二ケ所ありて、定日に幹部引率の許におおむね一隊、約一時間配当なり。

<追加報告>

面白かったのは(いや、面白がっててもいかんが)、弁士(誰だったか?)が「私たちはフツーの市民です。仕事を持っている普通の人間ばかりです」なんてことをイケシャーシャーとのたまった直後のことです。

小柄なおじいさんが、何事かを語りかけながら近づいていきました。するとほとんどのメンバーが「ガオーッ」と血相を変えて、日の丸を押し立てて、おじいさんに襲いかかったんです。警官がおじいさんを保護して会場外に連れ出しましたが、メンバーはまおもなにやらまくしたて、叫びながら追いかけて行きます。駅前は騒然たる雰囲気に包まれました。弁士が「もうええ、帰ってこい」と呼びかけて戻すまで、興奮は納まりませんでした。

あのねえ、一言いわれたら集団でがなりたてて年寄りを追いかけ回すのが、普通の市民かあ? あれはとてもフツーじゃなかったぞ。

あとからそのおじいさんがたまたま隣に立ったので話をしたんですが、ちょっとお酒が入っていました。「いつもは何をしとっても警察なんかおらんのに、何やろうと思って様子を見ていたが、早口でよう聞こえん。もっとゆっくり喋ってくれと言いに行ったらあんなことになって」ということでした。

「あいつらはなんなんや」と聞かれたので、アホですわと教えときました。