在特会の言い分を検証する(番外編1)権利を要求することの重要性

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さて在特会の主張を逐条的にまな板に載せているのですが、どうも食い足りない。正直、だんだん飽きてきましたw 彼らの見解というのが、法律論や判例を引っ張ってくるだけで覆せてしまうからです。それだけ彼らのレベルが低いということですね。

書いている内に、自分がなんだか「法律至上主義」みたいなことばかり言っているので嫌になります。なぜなら、私は法律至上主義には限界があると考えているからです。

権利を例に引いて自分の見解を述べてみます。ある権利の実現のありようについて、無権利状態を0とし、完全に実現された状態を10という数値で表すとしましょう。もともと0だったものが、1だけ認める法律ができ、つぎには3まで認める法律ができるとすれば、その背景にあるのは人々の権利獲得要求です。

いま、法律的には5まで実現しているが、現実生活ではまだ2とか3の状態という場合もあるでしょう。この場合は法にあわせて現実を5にするように変革していかねばなりません。

逆に、法律的にはまだ3ぐらいなのに、現実が先に進んでいて5ぐらいまで実現している場合もあります。するとその状態は法的には違法あるいは脱法状態ということになります。法律至上主義の立場に立てば、法にあわせて現実を3に引き戻すのが正しいことになりますが、私はそうではなく、現実にあわせて法令を5に変えさせる運動が正しいと考えています。

そのようにして法律は変わっていくものです。法的権利のないところで実質的権利を認めさせ、判例のないところに新しい判例を実現し、そして法律を変えて権利保障を実現するのです。法律にない要求は不当だとか、法律にない権利は認めないと言っていたら世の中は変わりません。

要求とは、正しいから通るばかりではなく、悪い要求でも通るのはお手盛り予算の例を見るまでもなく周知のことです。どちらにせよ強い圧力で行政が動くことに変わりないので、正しい要求であっても、これをごり押しと言えば、言えるでしょう。

朝鮮学校に対する補助金についてこれを考えて見ましょう。在特会側の反対の言い分は「スパイ養成機関に補助金を出すな」という主張です。それを言うなら朝鮮学校が「スパイ養成機関」だという証明をしなければなりませんが、在特会はそれをしていないので、無根拠な主張であり失当だということになります。

が、もう少しレベルの高い反論もあります。学校教育法の第一条に定められた、いわゆる「一条校」でないから補助金支出が違法だという見解です。しかし一条校でない学校でも、専修学校への補助金が支出されており、その根拠も国会答弁されているので、この反論も合理的ではありません。会計報告など一定の条件がクリアされていれば「公の支配」の下にあり、補助金支出は合理的だというのが、政府の見解です。朝鮮学校への補助金が適当でないというなら、そういう側が、朝鮮学校が政府基準を満たしていないことを証明すべきですが、そのような証明がされた例を私は知りません。

さて、もしも朝鮮学校が政府の求める基準をクリアしていないならばどうでしょうか。地方自治体が要求運動に負けて、明確な根拠もなしに予算を支出しているのだとすれば。もしそうであるなら、私はその成果を、運動の勝ち取った正しい成果だと評価します。もしも補助金支出を合理的に説明できる法律がないのなら、新しい法律を実現すればよいと考えます。そのためには、すでに実現している施策が憲法の立場から見ても正しいことを説得力を持って語らねばなりません。このレベルの議論になれば、法律論を超えて、憲法論や法哲学や社会論の問題に発展していく筈です。

でも在特会の意見はそこに至るまでに反駁可能なので、そういう難しいことを考えるまでもないんだよなあ。