大日本帝国滅亡の第一歩となった近衛声明

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日中戦争コミュの記事で思ったことです。
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昭和13年1月、なかなか打開できない対中和平交渉に業を煮やして、近衛内閣は「蒋介石政権を対手にせず」という有名な声明を発表しました。これが大日本帝国滅亡の第一歩となりました。

和平を求めながら、和平を話し合うべき相手を、相手として認めないと言うのです。では誰を相手に和平交渉をするつもりだったのでしょうか。戦争を拡大するにしても、降伏を求める相手もなくしてしまって、どうするつもりだったのでしょう。

この声明によって、日本は戦争を終わらせる道を、自ら断ち切ってしまったのです。戦争を終結するには、広い中国大陸を完全占領し、蒋介石の国民党政権を完全消滅させるしかなくなったのです。

しかし日本の生産力は底をついていました。日本のGDPが最高になるのは翌年の昭和14年で、以後はますます増大する戦費に足を取られ、200万人もの労働者を徴兵して大陸に送ったために、生産力は衰微の一途を辿ります。

彼我の力も考慮しないで、自分の都合だけで、出来もしないことを決めてかかる。児戯に等しい決断でした。うまくいかなくなると駄々っ子みたいにやけを起こして思考停止に陥り、自家撞着を来して論理破綻するのは、日本人の悪い癖です。

「北朝鮮」問題についても似たような傾向が見られます。経済制裁に拘り、交渉相手を交渉から締め出し、互いにますます意固地になって局面を膠着させてしまっています。何をどうすればどこがどうなるとも見通しを示せないまま、いまのように「金正日を相手にせず」のような政策を続けている政府に、「蒋介石を相手とせず」の近衛内閣の姿が被さります。

拉致にしろ、核にしろ、相手のあることなんだから、交渉するしかないわけです。金正日政権が崩壊でもしてくれれば言うことなしなのでしょうが、そんなに日本に都合よく物事が運ぶとは限りません。

対米英戦を始めたときはどうだったでしょう。あのとき大日本帝国は、イギリスとソ連がドイツに負けてくれることを、勝手に期待して戦争を始めたのでした。ご都合主義的な楽観的予想は、期待が外れたときにひどいことになるというのが、かの開戦の教訓だったのではないでしょうか。

日中戦争の当時、いけいけどんどんは政府でした。実際に戦っている軍部は、まだしも少しは冷静だったのです。参謀本部のまとめた『対支那中央政権方策』はつぎのように述べています。

いわく、中国人の反日は日本が中国を攻撃しているからである。
いわく、中国の苦悩は、日本の武力とソ連の赤化政策である。
いわく、日本が武力でなく平和的に接すれば、中国の関心は赤化防止に専念する。
いわく、蒋介石政権の否定は、中国を追い込むばかりだ。
いわく、そうなれば英米は中国を利用するだろう、そうして日本は中国と永久に対立せねばならず、国力をこれに吸い取られるだろう。
いわく、中国と講和しても反日・抗日政権が続くかも知れないが、その不利は、講和しないで赤化勢力が伸張する禍害に比べれば尚軽易なのだ。
(末尾に原文)

分析は、まことにその通りでした。

われわれ参謀本部の主張しているような、「領土も要らない、賠償金も要らない、望むところは両国の親善のみ」というような構想に対しては、これからはますます大きな抵抗があるものと考えなければなりませんな。

これは対中和平交渉を担当していた参謀本部の影佐禎昭元陸軍中将の言葉です。

大きな抵抗どころか、政府はメディアを使ってますます排外主義をあおり、民衆はいともたやすくこれに踊らされて、力の対決一辺倒の世論が巷をおおい、ついに「蒋介石を相手としない」の声明に至りました。

『大阪毎日新聞』昭和13年1月17日朝刊)
……デパートの休憩室では断髪の令嬢三人が
「南京が陥落してからもう一月、こんなに反省の時期を待つて上げてるのに、蒋も頭が悪いわね」
「国のことも、国民のことももう何も考へられない、一種の憐れむべき慢性抗日病に罹つてんのね」
「”ああ支那よどこへ行く”だわ、廿世紀東洋最大の悲劇ね」
と紅唇とりどりの批判・・・
……巷の声は「よき声明、よき時期、よき将来の予想」と出た。

なんだか、昨今の「北朝鮮」政策と、それを支持する一部の議論を見る思いです。

戦前の日本世論が中国を憎み、あなどりながら袋小路に入っていったのとおなじように、いま「北朝鮮」を憎み、あなどり、交渉は袋小路に入り込んでいます。こういう風潮にのって、「北朝鮮憎し」が勢いあまって、朝鮮学校を理不尽な目にあわそうとしています。

こんな軽々しく驕り高ぶった世相が行き着く果ては……と考えると、内心薄ら寒いものを覚えざるを得ません。歴史の教訓は苦いけれど良い薬になるものです。いま朝鮮学校に対する差別政策を肯定している人には、ぜひ服用して欲しいなあ。

以下は参謀本部のまとめた『対支那中央政権方策』(原文)です。

『対支那中央政権方策』(要約)
昭和12年11月2日
参謀本部第一部第二課

方針

現下時局解決のため現状に於いては尚現中央政権(蒋政権)をして翻意我に提携せしめ全支の問題を統一処理するの方針を堅持す。

本項の目的達成の為には現中央政権が一地方政権たるの実に堕せざる以前に於て長期持久の決心に陥ることなく其面子を保持して講和に移行する如く我諸般の措置を講ずるを要するものとす。右努力は主として本年内に尽さるべきものなりとす。

理由

1.東亜経綸の大局的見地より

静に支那本然の姿を観るに近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや我亦友邦の為に之を憂ふる所以なり而して排欧米就中防共の問題は支那の為には国内の問題にして東亜のためには日支共同の関心事なり。

東亜の経綸は支那の解放と日支の提携により始まる而して支那最近最大の苦悩は日本の威力と「ソ」邦の赤化なるを思ふとき日本が支那を善導するに道を以てし所要の統一を助け其脅迫感を除くとき日支提携の大道此に通じ支那は欧米勢力就中赤化より自己を解放するに専念するを得べく近き将来に予想すべき諸般の事態に処して支那を以て東亜経綸の伴侶たらしむるを得ん。

2.日支問題解決上の見地より

日支全般の問題を根本的に綜合して解決し次期の東亜経綸に前進せんがためには支那に中央政権の存在を必要とし之がためには反省せる蒋政権若しくは其継承政権の存続を必要なりとす。

蓋し蒋政権の否定は彼等を反日の一点に遂ひ込み窮鼠反噛の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく此の間必然的に「ソ」英米策源の推進と相俟ち此に永久抗争のため帝国は永き将来に亘り之に莫大の国力を吸収せらるべく且東洋駆て欧米輩の好餌に供し東亜経綸の前途を誤る所以なればなり。

而して現政権一派の真の翻意に関する可能性は寧ろ将来に於ける我が国力の充備と我が対支政策とに懸かる問題にして既に日本の威力と欧米の不信とを体験したる今日抗日の不利を認め苛酷ならざる条件下に講和に入らんとしあることは想像に難からざる所なりとす。

3.防共上の見地より

支那赤化を最小限度に極限するが為には中央現政権一派の統制力崩壊するのは以前に於て本事変を終結するを可とし又赤禍の駆逐には事変後の将来に於て現中央政権一派をして西面せしめ之を赤系分子の清掃に推進するを以て東亜経綸大局上の上策とすべし。

蓋し持久長きに従ひ蒋勢力の衰微と共に分裂の形勢を馴致し赤禍の台頭をを予想すべく又何れの型式なるに拘らず講和発生の場合には赤系分子は分離して奥地に残存すべければなり。

而して最悪の場合依然として排日統一政権の存続することあるも之が容共ならざる限り其我に対する不利は分裂に乗ずる赤化が日満両国に及ぼす禍害に比ぶれば尚軽易なるものと謂ふべし。

(当時、一部長下村定、二課長河辺虎四郎)