「南京大虐殺はなかった」のか(2) 捕虜の殺害について

「東中野修道なんか、まともな歴史家と見られていない」という評価があります。そのとおりです。しかしなぜそうなのかを知っている方は少ないと思いますので、いい機会だから書いておきましょう。

南京大虐殺否定派の畝本正己氏は『証言による南京戦史』を書きました。これは南京大虐殺を全力で否定するために書かれた本です。

たとえば歩兵33連隊の『作戦詳報』には、捕虜の「大量処刑」が記録されています。これは連隊長と師団長の決済印のある公文書です。やってもいない捕虜殺害を、部隊が公文書に書くはずもないと思います。しかし畝本氏は、「そんなことしていない」という一人の元兵士の、「証言」ひとつで、これを全面的に否定してしまうという蛮勇をふるっています。一方で、虐殺があったという中国人の「被害証言」は、根拠なく「ウソ」だと決めつけています。

しかしこんな本でも「捕虜の不法殺害」や「市民の虐殺」を認めている。それは当事者が証言しているし、公文書の裏付けがあるので、否定しようがないのです。どんなに取り繕っても隠せない事実があるのです。

さて、南京大虐殺をめぐる研究とはどのように行われているのか。

たとえば東中野教授が講演でひきあいに出している第114師団です。この師団は有名です。

八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
左記
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何

この記録が第114師団のものです。この命令が本当にあったのか、また実行されているのか、それが研究テーマとなりました。

師団行動を記録した公文書としては下記があります。

  • 『第百十四師団 作戦経過の概要』昭和12.11.7-12.14
  • 『第百十四師団 戦闘詳報』昭和12.12.6-12.14
  • 『第百十四師団 戦時旬報第5号』昭和12.12.11-12.13

というものがあり、「赫々たる大武勲」が書き連ねてあります。

ここには捕虜の処断も正直に記録してありました。悪いことだと思っていないから、正直に書いてあるのです。この部隊行動は、以下の命令群で裏付けられました。

  • 一一四師作命甲第五十九号 昭和12.12.10
  • 一一四師作命甲第六十号 昭和12.12.10
  • 一一四師作命甲第六十二号 昭和12.12.13
  • 歩一二八旅命(右翼隊命令) 昭和12.12.12
  • 歩一二八旅命第六十六号 昭和12.12.13

などの命令文書です。

その実行を裏付ける部隊記録は下記です。

  • 「歩兵第六十六聯隊戦闘詳報」
  • 「歩兵第六十六聯隊第一大隊 南京附近戦闘詳報」
  • 「戦闘詳報」第六号 歩兵第百五十聯隊

兵士の証言としては下記のものがあります。

  • 「城塁・兵士たちの南京事件」阿羅健一(月刊『丸』潮書房、1989年1月号-1990年12月号)
  • 「郷土部隊奮戦記」(サンケイ新聞栃木版、昭和37年)
  • 「野州兵団の軌跡」(栃木新聞、昭和54年~55年)
  • 『野州兵団奮戦記』高橋文雄(中央通信社、1983年)
  • 『われらの大陸戦記 歩兵第66連隊第3中隊のあゆみ』西沢弁吉・第3中隊長
  • 『聖戦の思い出』手塚清・第4中隊長
  • 『わが人生の歩み』高島惣吉・第2機関銃中隊長(高島剛編、1993年出版)

これらの史料を発見、収拾するのに、研究者がどれほど苦労したか、想像もつきません。
そしてこれらを基礎に、論争が行われ、歴史事実が確定されているのです。

しかるに講演で東中野教授が114師団のことを弁解するのに持ち出したのは、つぎの話です。

激戦の最中に捕虜に食事を与えている

これだけです。だから殺すつもりがなかったことがわかる、と。しかし、事情があって殺してしまった、と。これが捕虜虐殺の弁解になると思っているのは、東中野教授くらいのものです。これで歴史が語れるのなら、私だってそうします。教授には、正しい人間の声を聞かせてあげましょう。

殺す前に、にぎりめしを食わせれば、虐殺ではないのか!