http://mixi.jp/view_diary.pl?id=694930686&owner_id=12631570
これは前日の日記の続きですが、それは読まずにこれだけで読んでもらっても大丈夫です。
「とんでも社会科授業──教育技術法則化サークル」
さて、とんでも社会科授業で教えられている、「日本は石油を止められたからやむなく戦争に踏み切ったのだ」というのは、いわゆる「ABCD包囲陣」として有名な話だ。
ABCD包囲陣とは、A(アメリカ)、B(ブリテン=イギリス)、C(チャイナ)、D(ダッチ=オランダ)の4カ国が結託して日本を経済包囲しているという、戦争当時の政府の主張だった。これは本当なのだろうか。
結論から書いてしまうと「ABCD包囲陣」というのはまったくの幻。日本政府がそう思いこんだか、あるいはそう思ってもいないのに国民をだましたか、どちらかだ。では、そのあたりを確かめてみよう。
まず変なのがC、つまり中国が包囲陣の一画を占めている点だ。おかしいではないか。日本はそのころ中国を相手に戦争していたのだ。戦争している相手が日本にものを売ってくれない。それがけしからんと怒る。ダイジョーブか? 本当に、この当時の日本政府は何を考えていたのだろう。例の『恥ずかしい歴史教科書』にもABCD包囲陣が出てくるのだが、どうして何の疑問も抱かないのだろう。私にはそれがとても不思議だ。
つぎにイギリスとの貿易はどうかというと、東洋経済新報社の調査によれば、イギリスとの貿易のピークは1939年だった。その後下り坂になるのは、日本経済も1939年がピークだったからだ。日本にものを買う金がなくなった。だから買えなくなった。それだけのことだ。
そのつぎ、オランダ。オランダはこの当時、石油の産地であるインドネシアを植民地にしていた。日本はオランダ領インドネシア(蘭印と言った)から大量の石油を輸入していた。戦争が始まる直前の1941年6月まで、オランダとさまざまな戦略物資の輸入交渉をしていたのだ。
その交渉における日本の要求量とオランダ側の回答量を『戦史叢書』「大東亜戦争開戦経緯4」から見てみよう。数字は一番左が日本の要求。真ん中がオランダの回答。右端が獲得率だ。
日本の要求量 | オランダの回答 | 獲得率 | |
---|---|---|---|
生ゴム | 20,000 | 15,000 | 75.0% |
錫鉱石 | 3,000 | 3,000 | 100.0% |
ニッケル | 180,000 | 150,000 | 83.3% |
ヒマシ | 6,000 | 6,000 | 100.0% |
規那皮 | 600 | 600 | 100.0% |
ダマルコパル | 1,450 | 1,400 | 96.6% |
カポック繊維 | 1,000 | 1,200 | 120.0% |
カポック種子 | 5,500 | 6,000 | 109.1% |
コプラ | 25,000 | 19,800 | 79.2% |
籐 | 1,000 | 1,200 | 120.0% |
パーム油 | 12,000 | 12,000 | 100.0% |
タンニン材 | 4,000 | 1,200 | 30.0% |
ボーキサイト | 400,000 | 240,000 | 60.0% |
マンガン鉱 | 20,000 | 6,000 | 30.0% |
キニーネ | 80 | 60 | 75.0% |
ジュート | 1,300 | 1,400 | 107.7% |
これでわかるようにオランダはほとんどの要求を受け入れている。しかも石油に関してはこれと別枠で、130万トンの売買契約が成立していた。経済封鎖の影など、どこにもない。ところが、日本はこれでは不満だとして交渉を決裂させてしまった。その理由は、100%要求を呑ませられなければ、日本が北部を占領していたベトナムやタイに「日本の弱くなった感想を与え好結果とならず」というものだった。何とバカげた交渉だろうか。しかもなおタチの悪いことに、売ってくれるというのを断ったのは自分のくせに、国民には「経済封鎖された」と宣伝したのだ。
これにより石油などを平和的に輸入する見込みがなくなったとして、日本はインドネシア侵攻を具体化する。その足がかりとして、日本軍はまず南部ベトナムを占領するという暴挙に出た。
『機密戦争日誌』(大本営陸軍部戦争指導班)に記録されている。
此の際仏印(フランス領インドシナ)に対する軍事協定締結を促進すると共に南仏印駐兵権を獲得すべしの意見胎頭す。
日本はこのとき、アメリカとも交渉中だった。アメリカは日本が南部ベトナムに軍を送るなら石油輸出を停止すると何度も警告していた。日本はアメリカに対し、ドイツと違って我が国は領土的野心はないと繰り返していた。その舌の根も乾かないうちに、日本は南部仏印に軍を進めたのだ。日本との交渉を打ち切って、アメリカが石油の禁輸に踏み切ったのは当然だった。
強硬な主張を繰り返せば必ず相手が引き下がると思い上がり、軍事力を振りかざして威張り散らしていたのが、当時の日本という国だった。「経済封鎖恐るに足らず」というタイトルの陸軍パンフレットも出版されていた。しかし実際に石油が輸出禁止になると、あわてふためいて、あたかも自分が被害者であるかのごとき宣伝を始めたのだ。それが「ABCD包囲陣」というものの本当の姿だ。
石油がなくなったら大変なことになるというのは、正しい。しかしそれで子どもを脅かしておいて、「石油が止められました。あなたならどうしますか。」と問うのはフェアではない。その前に、どうしてそうなったのかを教えなければならないのだ。石油が止められるまでに、どうすれば良かったのか。それを考えさせなければならない。
この社会科の先生がやっているのは、学校教育ではない。偏った歴史資料をつかってプロパガンダを刷り込む、宣伝教育だ。こんな授業がほんとうに教室で行われているとは、おそろしい時代になったものだ。