村山談話の出自 産経「正論」より

みなさん。

自民党から統一協会まで幅広い支持を得ている日本最高のクオリティペーパー産経新聞が、1月14日付「正論」で高崎経済大学教授・八木秀次先生の素晴らしい論説を掲載しました。

田母神俊雄前航空幕僚長の論文問題に触発されてしたためられた、「村山談話に乗っ取られる日本」がそれであります。(末尾に転載)

2年前に教育基本法が改正され、「教育の目標」として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する……態度を養うこと」が新たに規定されました。しかし「村山談話」が生き残っている限り、この規定が生かされないのです。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」(村山談話)

なんと自虐的な! 歴史事実をそのまま認めるのが日本の「伝統と文化」でありましょうか。あったことを真っ正直に認めるだけで良いならサルにだって政治ができます。

我が国の伝統とはなんでありましょうや。やんごとなき血筋がぶちぶちに切れていても「万世一系」。宮中雅楽の正体が中国文化の模倣と丸わかりでも「日本の伝統文化」だと言い続ける。負け戦でも勝った勝ったと宣伝する。「事実より都合」。これこそ我が国の「伝統と文化」なのであります。

チベット侵略をチベット人民のためであるとねじ曲げる程度のことは中国にだってできるではありませんか。韓国のように日本の資金で経済復興してもそのことは口が裂けても言わず、自分たちの力だけで国を豊かにしたとひん曲げることことぐらい、お茶の子でできるのが国家というものであります。

みなさん、中国や韓国に負けてどうしますか!愛国者であるなら、国家の埃……もとい誇りにかけて、歴史教科書を物語にせよと言わねばなりません。日本が畏れ多くも米国との戦争に突入したのは本意でなく、コミンテルンの陰謀なのです。

「村山談話」だけではありません。我が国には特定の勢力にとって極めて都合のいい「建前」があります。いわゆる従軍慰安婦についての「河野談話」、教科書検定の「近隣諸国条項」、「児童の権利条約」、「男女共同参画社会基本法」などがその典型ですが、いずれも政府によってオーソライズされたものであるがゆえに、特定勢力はそれらを前面に押し立てて主張を展開する。

これらの「建前」を前面に出されると政府関係者が引き下がらざるを得ない現状に対し、八木秀次先生はこう喝破されました。

「村山談話」を含めて、これらにはいずれも出自や根拠に問題がある!と。

その通りです。その内容はどうでもよろしい。出自こそが問題なのであります。日本に取って正しいもの、つまり「日米安保条約」とか「労働市場の自由化」とか「構造改革」とかは、いずれも米国から押しつけられたものであります。米国由来。これが正しい出自なのであります。

しかし、「河野談話」、教科書検定の「近隣諸国条項」、「児童の権利条約」、「男女共同参画社会基本法」などはどれも米国から押しつけられたものではありません。よって出自が問題なのであります。

今後は「米国から押しつけられたもの」とそうでないものを弁別し、「米国から押しつけられたもの」以外はその内容ではなく出自を槍玉に挙げて、国策や教育から排除すべきなのであります。

それでは憲法はどうなるのか。これも米国から押しつけられたものだから正しい出自なのか。そう、これまでは正しかったのです。しかし現在は米国から日米同盟の拡大に憲法が邪魔と言われているので、憲法改正が正しい国策なのであります。

もう一度先の「建前」を振り返っていただきたい。「河野談話」、「近隣諸国条項」、「児童の権利条約」、「男女共同参画社会基本法」。中韓と女子供が喜ぶだけの代物であります。こんなものを捨て去ったところで、中韓でも女子供でもない私はこれっぽっちも困りません。女子供が悔しければ男の大人に生まれてくればよかったのであって、自己責任であります。

いま日本は百年に一度の大不況です。日本中が自信喪失に陥っているいまこの時、日本に必要なのは「夢」ではありますまいか。日本男児にいま必要なのは、夢に生きることです。「事実より都合」。心地良い夢の中に生きようではありませんか。

「正論」高崎経済大学教授・八木秀次
村山談話に乗っ取られる日本
2009/1/14

≪統幕学校の講座に介入≫

田母神俊雄前航空幕僚長の論文問題は、同氏が校長時代に設置した統合幕僚学校の「歴史観・国家観」講座の講師人選の見直しに発展している。この講座は自衛隊の幹部研修機関である同校の課外講座だが、講師の人選が保守派に偏っていると『しんぶん赤旗』などが執拗に問題にしていた。

これを受け、浜田靖一防衛相は11月21日、「講師の選定が適切だったと判断するのはなかなか難しい。講座の見直しを検討したい」と述べ、12月16日、斎藤隆統合幕僚長も同校を視察した参議院外交防衛委員会のメンバーに対して「一部バランスに欠けている。講師の選定、内容をどうするかを検討しなければいけない」と発言している。

統幕学校の講師の人選ばかりではない。自衛隊の一般隊員に対する研修での外部講師の人選、その講義内容、防衛大学校での講義内容まで「村山談話」に沿っているかの点検作業が行われている。追及に熱心な左翼政党は組織を挙げて自衛隊関係のあらゆる雑誌・新聞の執筆者の人選、執筆内容の洗い直しを行っているという。

防衛省・自衛隊は「村山談話」に乗っ取られようとしているのであるが、果たしてこれで自衛隊員の士気は保たれるだろうか。

事態は恐らくこれで終わらない。今後はありとあらゆる政府関係の機関や個人の見解が「村山談話」に沿っているかが問い直されるはずだ。

≪公教育への影響も心配≫

私が懸念するのは公教育にこの余波が及ぶことだ。2年前に教育基本法が改正され、「教育の目標」として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」が新たに規定された。これに伴い、昨年3月、不十分ではあるが、学習指導要領も改定された。

しかし、「村山談話」が政府機関を縛るということになれば、公教育における歴史教育は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と教えなければならなくなる。当然、教科書検定にも反映されるだろう。

これではせっかくの教育基本法の規定も画に描いた餅に過ぎなくなる。「村山談話」が教育基本法に優位し、理念を形骸(けいがい)化させるという構図である。

この類推でいけば、「村山談話」が維持される限り、近い将来、憲法が改正され、自衛隊が憲法上に正当に位置付けられたとしても、自衛隊は「村山談話」に沿った存在でしかない。「普通の国」の軍隊とは程遠いものにしかならないだろう。「村山談話」が憲法改正を相対化させるという構図である。

「村山談話」はその出自に問題があるにせよ、とにもかくにも政府見解である。そのためそれを「錦の御旗」にして、特定の勢力はぐいぐいと政府関係者や関係機関を追い立てていく。個人的には「村山談話」に問題があると分かっていても政府見解であるから、表向き反対できない。引き下がらざるを得なくなるということだ。

≪「建前」が憲法より上に≫

「村山談話」だけではない。我が国には特定の勢力にとって極めて都合のいい「建前」がある。いわゆる従軍慰安婦についての「河野談話」、教科書検定の「近隣諸国条項」、「児童の権利条約」、「男女共同参画社会基本法」などがその典型だが、彼らはそれらを前面に押し立てて主張を展開する。

「村山談話」を含めてこれらには何れも出自や根拠に問題がある。そのことは政府関係者もよく分かっている。しかし、何れも政府によってオーソライズされたものであるがゆえに、これらの「建前」を前面に出されると政府関係者は引き下がらざるを得なくなるのだ。田母神氏の論文発表から生じている一連の問題はこのような構図が存在することを明るみに出した。

このような「建前」が存在する限り、教育基本法を改正し、憲法を改正しても、それらは何れも「建前」に服するものでしかない。奇妙なことだが、これらの「建前」が憲法にも教育基本法にも優位し、形骸化させるのである。

では、その解決策は、ということになるが、「建前」自体の相対化以外になかろう。特定勢力が「錦の御旗」として押し立てている「建前」をその出自や根拠に問題があることを明らかにし、根本的に見直していくことが、これらの「建前」にわが国の政治や行政・外交・教育が乗っ取られることを阻止する唯一の方法であろう。特定勢力による壟断を許してはならない。(やぎひでつぐ)