植民地は歴史の必然ではない

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■城崎にて

土曜日から泊まりがけで城崎温泉に行ってきました。泊まった宿は、温泉街から少し離れた、円山川の河口に近い料理旅館です。食べ物がおいしかったのは言うまでもないんですが、気に入ったのはその環境です。

目の前に、広い円山川。川縁は湿地帯になっていて、葦の群生が広がっています。川向こうにはこんもり茂った小高い山々が連なり、そこから飛んできた鳥たちがたくさんエサをついばんでいます。

朝、6時半ごろから近所を散歩しました。朝靄に煙る景色の向こう側、名前を知らない山並みの中腹に霧がかかって、墨絵のような美しさです。清々しい空気を味わいつつ、葦の長いのを一本折りとって、子どもみたいにそれを振り振り、川縁を歩きます。

葦原の中では、珍しい水鳥達が盛んに鳴いています。分け入ると、すぐそこに青鷺のつがいが二羽並んで、何事か考え深げに立ちつくしていました。足元には、つくしがまるで絨毯みたいにびっしりと生い茂っています。葦原を縫っている浅い流れに平底船でも浮かべれば、きっと絵になる光景でしょう。

さてその旅館で、神戸と但馬と姫路の人間が、互いのなまりについて笑い合いました。兵庫県は広いので、お国言葉も様々です。いや、狭い姫路の中でさえ、浜手の言葉と町方の言葉、山間の言葉はまるでちがう。風習も違うし、気質も違います。その違いを強調すれば、いくらでも互いにあげつらうことができるでしょう。

いまは平和なのでこれが冗談話ですみますが、もしも神戸と但馬と姫路が外国ならば、そして心理的に深刻な対立を抱えていたら、互いに相手を馬鹿にし、貶める材料に事欠きません。国家というやつは、本当にそれをするんですよね。日本と東アジア各国との対立意識というのも、そうやって人為的にこしらえられた一面が大きいのではないでしょうか。

■日本は幸運だった

韓国や中国が日本の植民地になったのは歴史の必然と語る馬鹿が、また政権に現れました。歴史に必然などと言うものはありません。隣国を植民地にしたのは、大日本帝国の国家意志でそうしたのです。そうしない選択もあり得ましたが、植民地化断行を唱える勢力が、別の道を行こうと唱える国内政治勢力を打ち倒して、権力を握ったのです。

日本が西欧の植民地にされずに最初に近代化に成功したのは、なぜでしょうか。日本人が特別に優れていたからではないと思います。

色々な理由があるでしょうが、地理的に恵まれていた面がかなり大きいと思います。日本は一番西洋から遠い所にあった。インドや東南アジアや中国の民が必死に戦ったため、西洋の進出スピードが鈍り、日本は考える時間が与えられました。

長い文明を持った統一国家を支配するのは、アフリカや南米を支配するのとはわけが違うことに西洋諸国が気づいたのも、これらの国々の戦いのおかげです。そのため、力ずくの植民地政策には変化が生じていました。西洋と戦って敗れた中国の姿から、日本は学ぶこともできました。歴史の綾の様々な織り成しあいが、日本に幸運をもたらしたのです。

もちろん先人の多大な苦労の末につかみ取った幸運ですけれど。しかしその苦労に感謝するのならば、同じように他国の先人にも感謝しなければいけないのではないでしょうか。

■広い目と長い目で歴史を見よう

こう書くと、「いや、中国人はそもそも……」とか「韓国人はあのとき……」とか、彼の国の失敗の数々を並べ立てる人が現れます。そんな失敗は、日本人だって沢山やらかしています。日中韓が互いに相手を貶めるのは、それこそ、姫路人と神戸人と但馬人が互いに笑い合うようなものです。

長い長い歴史のものさしで計れば、日本がたかだか数十年先を行ったぐらいで天狗になるのは、日本人の度量の小ささを示しているようで、まことに恥ずかしいことではないでしょうか。