東條由布子さん いま何をしていらっしゃるのかな?

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いや、驚いた。てか、自分が世間知らずなんだけど。

東條由布子さんて、いるじゃないですか。東條英機のお孫さんとして有名な、あのおばあさん。あれって、本名じゃないんですね。本当の名前は、岩浪淑枝さんというそうですよ。東條英機の長男、英隆さんのお子さんでした。ふうん。

東條英隆さんと言えば、視力が悪いのを理由にして、兵役免除になってますね。本当に視力が悪かったのかどうか知らないけど、2人いる東條英機の息子さんは、たまたま2人とも兵隊に行っていません。「生きて虜囚の辱めをうけず」という戦陣訓をつくった東條英樹さんですよ。まさか息子を兵隊にしたくなくて、圧力をかけたなんてことはないでしょうよ。他人を兵隊に行かせるのか大好きな人でしたし。今日はそういう日記です。

それにしても、人の命なんて分かりませんね。

37歳で兵隊に取られたひとがいます。新聞に「竹槍では勝てない、飛行機だ」と書いた新名丈夫という記者です。東條を批判する、勇気ある記者でした。東條は激怒して、かれを二等兵として召集し、硫黄島へ送ろうとしたのです。このとき、新名さんは37歳。戦える年歳ではありません。明らかにいやがらせです。

新名さんは海軍省記者クラブの主任記者だったから、海軍がこれに抗議しました。「彼は大正時代に一度兵隊に行っているではないか。無茶なことをするな」。

すると東條は陸軍省に命じて、大正の兵隊を250人徴兵させてつじつまを合わせました。ひどいことしますね。しかしさすがの東條も海軍とずっとケンカするわけにもいかないので、新名さんは招集されて3カ月で召集解除となりました。でも、とばっちりで招集された250人の老兵は、そのまま硫黄島に送られて全員戦死してしまいました。

こんな話はこれひとつではありません。

松前重義というお役人も東條に反対してにらまれ、なんと42歳で招集されて、南方で電柱かつぎをさせられました。42歳と言えば召集対象外。これは違法な人事です。このときもあちこちから抗議されるのが明らかでした。そこで東條は陸軍に命じて、松前さん一人が目立つことのないように、似たような年齢の老兵数百人を同時に招集させています。きっとあとから、あれは事務的ミスだったといいわけするつもりだったのでしょう。

松前さんはそのまま兵隊に行ったきりでしたが、運良く敗戦まで生き延びました。でも、そのとばっちりで同時に招集された人たちは、輸送船が撃沈されて全員がバシー海峡に沈んでしまいました。

ほんとうに、人の命なんてわかりません。

こういうことがまかり通っていたのが、大日本帝国だったんです。なのに、東條さんの息子さんお2人は、2人が2人とも、たまたま、偶然、運良く、奇跡的に、兵隊に行かずにすんだのですね。おかげでご立派なお子さまももうけられて、「東條英樹は英雄だった」なんてすっとこどっこいを仰る方もおられて、さぞかしお幸せなことでしょう。

東條由布子さん、あなたは今日の日本があるのは、お国のために戦った方がおられたからですって、いつもおっしゃっていますね。でも、少なくともあなたに関しては、あなたが今日あるのは、お父さんが兵隊に行かなかったからですよ。おじさんが三菱自動車会長までなさったり、軍需産業にたくさんのご親戚がいらっしゃる、結構な家柄のおかげですよ。

たくさんの方がお亡くなりになられた戦争です。兵隊さんは祖国と国民を守るために死んでゆかれました。東條さんの息子さんのように、若くて元気で、本来ならば兵隊に取られて死んでいたかも知れない方が、なんとお2人ともお元気で命が助かったのですから、亡くなられた方としては本望だったでしょう。冷たいバシー海峡の海の底から、いまでもきっと、東條さんたち、良かったねえと、ついに帰れなかった祖国に向かってつぶやいておられることでしょう。

ケッ。