「戦陣訓」とはなんぞや

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■「戦陣訓」とは

ミクシィは居ながらにして色んなトンデモさんの主張が読めるので有り難いです。沖縄の強制集団死について軍の責任を認めたくない人たちが、笑ってしまうような屁理屈をこねています。

沖縄だけでなくサイパンやアッツなどで玉砕が繰り返され、民間人もその狂乱に従わされたのが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」の影響であることは論を待ちません。

1941年に東条英機の発案で作られ、陸軍手帳に全文が印刷された「戦陣訓」(陸軍訓令一号)は、昭和陸軍の病的妄想性を見事にあらわしています。

「戦陣訓」で検索すれば、いくつか全文が掲載されているサイトが見つかるでしょう。

■「戦陣訓」を免罪したい人たち

ところが歴史修正主義者たちは奇妙なことを吹聴しています。

いわく、「戦陣訓」など重視されておらず、ほとんどの兵は知らなかった。

いわく、「戦陣訓」がいう「生きて虜囚の辱めを受けず」は「捕虜にならないように自決せよ」という意味ではなく、「虜囚」とは捕らえられた囚人のことだから、「法を犯して捕らえられるような生き方をするな」という意味だ。

まあセメダインと理屈は何にでもくっつくとは言うものの、これはひどい。そこで、こういう理屈が、戦時中の体験のない青年をたぶらかすためだけに作られた妄説であることを、示しておきます。

■陸軍の公式解説書「戦陣訓に就て」

「戦陣訓」には公式の解説書が発行されています。戦陣訓が出された翌年の解説書ですから、戦後の解釈よりよほどたしかでしょう。そこには、虜囚は俘虜のことだし、俘虜になるなら自決せよとはっきり書いてあります。

その解説書とは「戦陣訓に就て」と題する冊子です。

桑木崇明陸軍中將が、1942年の陸軍記念日に、ラジオの全国放送で行った講話の草稿を冊子にしたものです。「偕行社記事」という陸軍将校向け機関誌の特集号として発行されました。

そこにこう書いてあります。

まず原文を示した後、現代用語に改めます。

六 死生觀、責任感
(略)
遺骨の歸らざるは可なり、然れども生きて俘虜となるは不可なり。
本訓に「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を殘すこと勿れ」とあり。
(略)
諸外國に於ては萬策盡きれば俘虜となるを恥とせざる風なきにあらざるも、皇軍は飽く迄名を惜しみ斷じて之を許さず、前上海戰の古閑少佐の自決は身を以て其の範を示せるものと云ふべし。

遺骨の返らないのはよい。しかしながら生きて俘虜となるのはいけない。戦陣訓に「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すなかれ」とある。
(略)
諸外国では万策尽きれば俘虜となるのも恥としない風潮がなきしもあらずだが、皇軍はあくまでも名を惜しんで、断じてこれを許さない。第一次上海戦の古閑少佐の自決は、身をもってその模範を示したものというべきである。

また、戦陣訓は兵だけではなく、国民もその精神に立つべきだとも述べています。

一 序
(略)
本訓は獨り軍人のみの私すべきものにあらず、……銃後一般の國民に對しても極めて適切なるを覺ゆ、長期戰の遂行特に新秩序の建設は軍人のみならす一般國民に負ふところ頗る大なるに方り、國民各位が此の戰陣訓の精神に準據し……(後略)

この戦陣訓はひとり軍人だけが保つべきものではない。……銃後一般の国民に対しても、極めて適切であると感じる。長期戦の遂行、特に新秩序の建設は軍人だけではなく、一般国民の力に負うところがきわめて大きいので、国民各位がこの戦陣訓の精神に準拠し……

これでお分かりのごとく、陸軍の公式解説書は以下の立場にたっています。

  1. 陸軍記念日の記念講話で流すぐらいに重視していた
    (ほとんど知られていないというのが間違いだと分かります)
  2. 虜囚とは捕虜のことである
  3. 捕虜になるより自決せよと勧めている
  4. 国民にも適用すべきだと述べている

強制集団死に軍の責任を認めたくない人たちは色々と理屈をこねますが、それは帝国陸軍の実際の考えとはなんの関わりもない、後世の思いつきでしかないということです。

「戦陣訓に就て」全文はこちら

これは資料です。日記本文はこちら。 「戦陣訓」とはなんぞや 【資料】戰陣訓に就て <表紙> 特號 部外秘 陸軍認可済 「偕行社記事」 昭和十六年 第八百號 <表紙裏> 特號取扱上の注意 本偕行...