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田母神俊雄氏が2010年11月21日に行った講演の内容を13項目に整理し、その間違いを「タモさんのトホホな講演 デバッグ」の通しタイトルで9回に分けて指摘する。
講演全体のまとめ
9回の目次
こんなのに関わっていると本当に書きたいことが書けなくなってしまうので、さっさと終わらせてしまいたい。
13.靖国神社に総理の参拝を
<田母神講演の要約>
日本を今日まで持ってきたのは日本人の努力です。その中には戦いに命を捧げられた英霊もおられる。英霊を大切にしなければなりません。諸外国はどこでもそうしています。なんでも民間任せという国が他のどこにありますか。総理が靖国神社に参拝すべきです。外国から文句を言われても毅然とすべきです。それでこそ外国も日本を尊敬するんです。私は日本に保守の政権を作りたい。そのために『頑張れ日本!全国行動委員会』を作りました。正しい歴史を広めましょう。
産経新聞、正論、諸君、WILLを読んで、桜チャンネルを見てください。
まったく不同意です。
その理由を大別すれば3つになります。
1.「公」と「私」のけじめがつかない。
靖国神社に限りませんが、民間宗教団体は、本来的に排他的な宗教信条を有することで成立しています。しかし国民は多様な宗教的信条を抱いています。戦死は公的死ですから、公的な哀悼を表明するのであれば、特定の国民にのみ受け入れ可能な方法を執るのではなく、あらゆる宗教的信条の国民に受け入れられるものでなくてはならず、国やその代表者の追悼・慰霊行為はどんな宗教からも中立であらねばなりません。
2. 靖国神社は政治宗教である。
戦死者に対する慰霊・追悼の感情を共有する国民でも、その死に方についての評価は多様であり得ます。国策に殉じた英雄との評価もあり得ましょうし、誤った国策の被害者と評価する国民もいるでしょう。しかし靖国神社は「顕彰」以外の評価を認めません。
3. 靖国神社は参拝者をあざむく詐欺的宗教団体である。
靖国神社は本当の靖国神道思想を秘めたまま、誤解に基づく参拝を受け入れています。靖国神社の自己説明は虚偽です。
それでは一つ一つについて、もう少し詳しく語ろうと思います。
1.「公」と「私」のけじめがつかない。
「戦死者個人の霊は個性を失って融合し、ひとつの神になる。」
「その神は実在する。」
こういう宗教思想をもった私的宗教教団の祭神を首相が慰霊することが、多様な宗教思想を信じている国民を代表する指導者としての務めだとは到底思えません。
これで私の意見はおしまいなのですが、田母神さんはここでもデマというよりは知識の欠如が見られるので指摘しておきましょう。
田母神さんは「戦死した兵士に政府が敬意を示さないのは日本だけで、外国では考えられないことだ」と言って、各国の首脳が「無名戦士の墓」にぬかずく習わしのことを引き合いに出します。しかし諸外国の「無名戦士の墓」と靖国神社は全然違います。
まず、「無名戦士の墓」とはどういうものかと言うと、、一人ないしは数人の兵士を埋葬し、それを全戦死者の象徴として祀っている施設です。つまり敬意の対象に個名性がありません。これに対して靖国神社は「霊爾簿」という金属板に個人名が彫られていて、それが祭神とされているので、個名性があります。
個名性のありなしがなぜ問題になるかというと、靖国神社に東条英機が合祀されたことが問題とされたとおり“誰を祀っているか”が靖国神社では大きな問題だからです。こういうことは、「無名戦士の墓」では問題になりようがありません。祀られていると思う人は勝手にそう思っていればよいし、祀られているはずがないと思うならそれも勝手ですから。
つぎに、靖国神社は宗教施設ですが、「無名戦士の墓」は祭祀施設です。祭祀施設というのは、各地にある霊園とか、姫路市にある手柄山の慰霊塔とか、東京の千鳥ヶ淵霊園などがそうです。こういう施設の運営は宗教法人でなくてもよいし、なんなら国立施設でもかまいません。ただの追悼の場であって、宗教教義もなにもないので、公営でも憲法違反にならないのです。
2.靖国神社は政治宗教である。
1の結論を踏まえれば、靖国派が総理に靖国神社を参拝してほしいのならば、靖国に代わる国立の「無名戦士の墓」建設を要求するか、靖国神社から宗教法人格をなくしてただの祭祀施設にすればいいと思うのですが、そうはしないようです。
じつは遺族でつくる「靖国崇敬奉賛会」が神社側に対して、宗教法人格を返上して祭祀施設になって欲しいと要望したことがあったのですが、靖国神社が頑として聞き入れなかった経緯があるのです。その理由は、靖国神社はただの追悼施設ではない、戦死者を慰霊するだけではなく顕彰(個人の功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめること)するのが本旨だからというものでした。つまり靖国神社にとって戦争は誇るべき功績であり、大日本帝国の戦争はすべて善なる戦争であり、日本兵の戦死は善行なのです。
このような歴史認識を持つ国民がいるのは事実です。しかし、それしか許容しないとなると、それ以外の歴史認識をもつ国民が排除されてしまいますから、靖国神社は国民を代表する施設としては失格です
3.靖国神社は参拝者をあざむく詐欺的宗教団体である。
遺族は戦死者を慰霊する施設がそこしかないから(あるいはそこしかないと喧伝されるから)、そこに参拝を続けています。けれど、靖国神社の考えでは、そこに血縁の霊はいないそうです。血縁的紐帯から切断され、人格を失った「靖国大神」がいるだけなのです。
靖国神社の御祭神は一座です。分かりやすく申せば「靖国大神」といふ単数御祭神です。靖国神社の御祭神は「246万柱」と申しますし、ご遺族が御参拝になられますと「靖国太郎命と御名を宣別(のりわ)けて」と祝詞奏上されますので、混乱されるかもしれませんが、246万の命が一体となった御祭神であり、遺族参拝の際には靖国太郎命と御名を宣別けてゐるだけなのです。あくまでも一御祭神です。
上の文章、以前靖国神社のHPに掲載されていたのに、いまは削除されています(残念)。
言っていることは、死者は人格を失って一つの神になる。本来の靖国神社とその神はあくまでも天皇と直結した護国霊としてのみ存在するので、そこに家族が介在する余地はない。こういうことです。
遺族はそこに死者との家族的紐帯があると信じて参拝するのですが、靖国神道理論から言えばそれは遺族のセンチメンタリズムにすぎない。遺族の思いというのは一方通行の錯覚なのです。有り体に言えばそういうことのようです。だから遺族が血縁の紐帯意識をもって参拝するのは、靖国神社の本旨を誤解していることになります。靖国神道の立場からすればそういうことです。
すべからく宗教教団というものは、その信仰・信条が広く共有されることを望みます。自分たちの教義を広く伝え、信者を増やそうとするものです。しかし靖国神社はその神道教義を広く公開しようとしていません。公開していたものまで削除して隠そうとしている。信徒に対して本来の教義を伝えず、遺族側の一方的な誤解・錯誤・思いこみに依拠し、虚偽の信仰心を抱かせてよしとする、その姿勢に正当性があるのでしょうか。
こんなことをする靖国神社は、素顔を隠して霊感商法をしている統一協会みたいなものです。こんな宗教団体がまともな団体でしょうか。総理に対してこんな詐欺まがい宗教施設に参拝しろなどと、よくも言えたものです。
また靖国神社が、「戦死者をはじめとする戦争犠牲者を祀った神社である」という理解も明らかに間違っていて、靖国の古い合祀者である吉田松陰は戦争と無関係な獄死だし、高杉晋作は病死でした。
田母神さんの意見は、基礎的知識が欠如しているうえに、考え方としても間違っていて、箸にも棒にもかからないものです。こんなもので堂々としていたら諸外国どころか、ものの分かった国民からさえ笑われてしまうでしょう。ちっとは恥ずかしいということを知って欲しいものです。