東電が被害補償から逃げられなくする方法

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1705555025&owner_id=12631570

賠償補償料足りず国民負担に
*http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1567899&media_id=2

東電から原発部門を切り離し、東電本体を経営危機から救済しようというプランが浮上している。

東電から「福島原発」分離=公的資金で清算会社-政府・民主案
*http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2011041200942

おいおい、それはちがうぞ。政府が手を差し伸べなければならないのは、まず第一に被災地の企業や個人だろう。東電は自業自得じゃないか。加害者じゃないか。地獄の果てまでも被害補償の荷を担えばよい。

そこで第二プラン。

いっそチッソみたいに、「被害者補償を担う親会社」と「発電する子会社 新東電(株)」に分けてはいかがか。
親会社は、子会社・新東電の全株をもつ。そして、株式の配当や売却益を、被害者補償や公的債務の返済に充てるのだ。
原発推進知事を圧勝させた東京都民だ。電気料金の値上げという形で応分負担をすることに文句はないだろう。

チッソ分社化 加害責任に終わりはない
西日本新聞2011/04/02付朝刊
*http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/235017

水俣病の原因企業チッソが水俣病特別措置法に基づく事業再編で分社化され、事業部門を譲渡された子会社「JNC」が、きのう営業を開始した。

チッソは、いま水俣病補償などで生じた千数百億円にのぼる巨額負債を抱えている。このままでは補償と債務返済で累積損失は減らず、債務超過会社から脱するのは難しい。国や銀行も現状では債権回収は見込めない状態にある。

今回の分社化は、そのチッソを「被害者補償を担う親会社」と「液晶製造などの事業を行う子会社」に分けて、親会社チッソが全株保有する子会社の株式の配当や売却益を、被害者補償や公的債務の返済に充てようというものだ。

経営を安定・効率化させて自らが引き起こした被害の補償を行う。公害の原因企業の在り方として、その方向性は恐らく間違っていない。

しかし、それは、その企業が加害者として、被害者救済の責任を全うする覚悟と誠意を持ち続けることが前提であることは、言うまでもない。

採算部門を切り離す「分社化」は、チッソが膨大な公的債務返済のための企業再建策として国に求めていたものだ。

経営が破綻すれば水俣病補償の給付は続けられなくなる。補償と事業を両立させるには、債務を負わない子会社を設立して事業を譲渡する分社化が必要というのが、チッソの説明である。

補償責任を負う企業として、一理ある言い分ではある。だが、そこでは補償や債務返済という直面する経営上の課題の検討が中心にあり、水俣病の加害者としての責任論は後ろに追いやられているようにしか見えない。

分社化の主たる目的は被害者救済ではなく、企業の救済にあるのではないか。被害者たちが今回の分社化にそんな不信感を抱いたとしても不思議ではない。

子会社の株の配当や売却益を補償・救済費に充てるというが、事業がうまくいかなかった場合はどうするのか。子会社の全株売却後、資産がなくなる親会社チッソは清算されるのか。

清算されるとすれば、その時期はいつなのか。その後に、救済すべき被害者が出たら、誰がどう対応するのか。

分社化を認めた特措法には、そうした疑問に答える条文はない。伝わってくるのは、チッソという会社がなくなる可能性があるということだ。

しかし、補償を担う親会社が消えたからといって、公害原因企業の責任が消滅することはあり得ない。どこかに水俣病の被害者がいる限り、加害企業としてチッソの補償・救済の責任は続く。

チッソは38年前、患者団体との補償協定締結時に、水俣病を引き起こした企業の責任として、潜在する患者の掘り起こしを自ら誓ったはずだ。

今回の分社化は、その約束を果たし、救済責任を全うするための覚悟の表れと信じたい。加害責任に終わりはない。