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「性奴隷」とはなんでしょうか。
奴隷状態で性労働を強制された女性が、性奴隷です。
では奴隷とは何でしょうか。
人身を拘束され、自由を奪われた労働者のことです。
慰安婦は奴隷ではないという意見があります。
なぜならば、
慰安婦は自ら志願している。
慰安婦は高い給料を得ていた。
慰安婦は借金さえ返せば帰国できた。
慰安婦は接客を拒む権利さえあった。
このうち、高い給料を得ていたというのは誤解です。
こちらを参照して下さい。
■慰安婦は高給をもらっていた?
■文玉珠さんの2万円は価値があったのか?
ほとんど無給だったという慰安婦の証言がありますが、裏付けのない証言なので、ここでは採用しません。
さて、それでは慰安婦の労働条件は奴隷でなかったと言えるのか、そのことについて、江戸時代の花魁と対比して考えましょう。
江戸時代、吉原などで売春営業が公認されていました。吉原の女郎には、それなりの給与が出ており、接客を拒む権利が認められおり、借金を返せば廃業を認められていました。この待遇は慰安婦と同じです。
明治5年、できたばかりの維新政府は、そういった吉原の花魁のことを、「牛馬に異ならず」と評しました。
明治5年『芸娼妓解放令』に合わせて出された「司法省達」です。
明治 5年10月9日司法省達第22号
第2項
娼妓芸妓ハ人身ノ権利ヲ失フ者ニテ 牛馬ニ異ナラス
人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ
故ニ従来同上ノ娼妓芸妓へ借ス所ノ金銀並ニ売掛滞金等ハ一切債ルヘカラサル事
当時は奴隷という用語がまだない時代ですが、「牛馬に異ならず」という表現が、奴隷状態であるという認識を示しています。
どうして「牛馬に異ならず」なのか。どんなに貧しくても、身体だけは本人のものです。借金でその身体の自由さえ失った状態は、人としての最後の自由を失った状態であり、牛馬と変わらない存在だということです。人としての最後の自由を失った状態、すなわち、奴隷です。慰安婦についても同じことが言えます。だから慰安婦は性奴隷とみなされるのです。
明治5年でさえ、この程度の人権感覚はあったのです。21世紀に生きる安倍さんたちが、慰安婦が奴隷状態であったことを否認するなんて、なんともはや、ため息をつくばかりです。