普天間移転の現実的な妥協案 思案中

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辺野古の問題は、軍事的にはそんなに難しくないと思います。

辺野古につくる滑走路は、2006年までの米軍の要求では、ヘリパッドでよかったんです。どうせ2014年には数千人の補給部隊しかいなくなるんだからね。よしんば緊急時のためのオスプレイの滑走路が必要であるにしても、そんなに大きな物は必要がない。しかもその部隊の本隊はグァムに移転しているんだから、普段は使わないんです。訓練が必要だとしても、たまにオスプレイが離発着できるなら、それでいいのです。米軍としては、最悪、周辺事態法の発動されたときにだけ那覇空港を使う案でもいいはずです。

しかしそれは困ると言ったのは日本側なんです。

どうして1,000m滑走路という話になったかといえば、事業が欲しい建設業界&業界の票が欲しい政治家&地元有力者とよろしくやりたい自衛隊・防衛省の要求だったそうです。これは軍事問題ではなくて、しょせんは国内利権問題なんですよ。

でもそんな中でも、地元有権者は土建屋支配をうち崩して、基地反対派が市政を握りました。だから話をつけるには、今がチャンスです。

ところで米軍が政府の話に乗ってこない理由のひとつは、基地反対世論のせいです。米軍は住民さえ納得するなら徳之島でもいいだろうけど、はたして地元合意がどうなんだと。県内・県外のどこに作るにしても、絶対に反対運動が起こります。すったもんだして建設が進まず、米軍出て行けなんてやられたら、たまったものではない。国内政治の都合で米軍が悪者にされてはかないません。だから、プランを見せられてもおいそれと乗れない。きちんと建設の見通しをつけてから話に来いという姿勢です。話し合いばかり繰り返して、いつまでたっても何も進まないことになったらどうしてくれるんだというのが、軍当局のホンネでしょう。江戸幕府の煮え切らない態度にカリカリ来たペリーの心境と似てますね。

では私のような反対派は別として、せめて政権側にアイデアはないのか。ちょっと自分の立場を離れて考えてみますね。

海兵隊の実戦部隊がいなくなるなら、訓練場はいらんでしょう。すると恩納村から辺野古地区にかけて、広大な米軍訓練場が広がっていますが、使いもしないここをどうするのか。あるいは昔みたいにB52がどかすか爆弾を落とすやり方をしなくなったので、弾薬庫地区はほとんど使用されていない現状だそうです。すると嘉手納飛行場の北、読谷村の東側に、どでかい嘉手納弾薬庫地区が山々を占領していますが、かなり空き家の筈です。これらの山の中のどこかに小さな滑走路を作ればどうか、という案が出てきてもいいと思うけど。「県内はダメ」という感情問題がありますが、騒音問題は起こらないし、基地公害もないし、八方ふさがりで普天間が居座るよりは、かなりましじゃないかと言い出す政治家はいないのかな。どうせたまにしか使わないんだし、数年間だけ我慢してくれたら、その間に普天間の海兵隊は全部国外に出ていって貰い、補給部隊だけにするから……と。

しかし考えてみれば、これは辺野古以上に反対がきついはずです。なぜかというと、米軍敷地内だとカネが落ちないからです。もともとどこでも反対という私みたいなのと、カネにならないなら反対してやるという勢力が合体するのですから、これは強力です。こうして基地建設問題は、こじれにこじれているのです。

辺野古の地元は基地容認派が多数を占めているといいます。それは日本中で繰り返された、ダム建設や空港建設、沿岸開発、原発建設と同じ構図、同じ力学が働いているからです。エサをぶら下げ、カネで横面をひっぱたいて、賛成派を作ってきたからです。国からカネを引っ張ってきて土建事業を起こし、仕事を作って、それで地盤を養い、政治権力を肥大させるという田中角栄方式です。辺野古の有力者が言っているそうです。

「普天間を受け入れる被害の大きさに比べて、(現在は)あまりにもささやかな振興策。雇用に結び付く振興策でないと受け入れられない。」(琉球新報記事)

こんなやり方のおかげで、国は今や借金まみれです。土建屋ばかりが大きくなって、地方に本当に必要な産業が育っていない。それでますます国におんぶに抱っこですがりつく。国庫が空になってしまい、こういうことがもう続けられないから、自民党は権力を失ったんです。でも、依然として旧来の方式から抜け出せない利権屋たちが、辺野古の地域政治を牛耳っています。いまこそ、変わるチャンスなんですがねえ。