南スーダンPKOに自衛隊を派遣だって?

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朝日新聞が本日の社説で南スーダン派兵を主張している。
*http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

産経新聞は次のように書いている。

自衛隊のPKO派遣は国連からの要請だ。
国連はハイチ地震の復旧でも示された陸自の高い能力や規律を念頭に施設部隊などを要請している。
東日本大震災で日本は世界中の支援を受けた。長い内戦に終止符を打った新国家の建設を手助けすれば、国際社会への目に見える返礼となろう。

これは正論だと思うが、新国家建設の手助けがなぜ自衛隊派遣なのか。
日本がすべき支援は他にあるのではないだろうか。

民主党政府部内にはPKO積極派や消極派がいて、必ずしも方針は定まっていない。が、自民党の国家戦略本部は7月20日に発表した〈「日本再興」 国家戦略本部報告書〉の中で「PKO活動に積極的に参加する。」「武器使用を認める。」「そのための一般法を制定する。」と明言しており、その方向で政府に圧力をかけるだろう。

しかし、南スーダンにいま必要なのは武器を持った自衛隊ではないと思う。
毎日新聞の「記者の目」はつぎのように語る。

(首都)ジュバでは国際社会の支援でインフラ整備やビル建設が進む。しかし、都市基盤は脆弱(ぜいじゃく)で街の主要動力は自家発電機だ。南スーダンは南北スーダン全体の7割以上の油田地帯を擁するが、その潜在力をただちに活用できる状態にはない。輸出港や石油精製所はスーダン(北部)にあり、自家発電機を稼働させる燃料供給も北部の製油所頼みだ。住民のビジネス経験は浅く、国内企業は育っていない。建設工事の発注元もスーダン(北部)や中国、周辺国ケニアやウガンダなどの外資ばかり。独立景気を当て込んで海外からの出稼ぎ労働者も流入し、地元民は職を奪われ、稼ぎは少ない。大半の市民は生活改善への先が見えないのだ。
*http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110722k0000m070140000c.html

経済力がないばかりではない。長い内線で疲弊した南スーダンには、教育制度がほとんどない。だから民主主義も定着していないどころか、そういう観念すら育っていないそうだ。法の支配が安定しておらず、地域ごとに力任せの政治がまかりとおっているという。

こういう国に必要なのは、もちろん治安の安定だが、それと同時に教育や法整備も必要だし、社会インフラも必要だ。

中国が石油ほしさに大々的な援助を行っているが、石油さえ手に入ればいいので、汚職も不公正もおかまいなしで、むしろそれを助長するような介入をしていると聞く。

そういう現状で、いま日本に出来る最大の援助は、学校を建てたり、給食システムをつくって補助したり、教師を養成したり、法律制度や金融制度の専門家を派遣することではなかろうか。

PKO派遣の思惑の裏には、ビジネスも絡んでいるようだ。南スーダンの石油をケニアを通じて輸出するパイプラインの建設だ。1400kmものパイプラインを建設する工事の契約には、日本の商社も一枚噛んでいるという。これを自衛隊が防護することは、契約獲得の大きな力になるかも知れない。だが軍をビジネスに使うというやり方はしないと日本は決めたはずだし、南スーダンのためにもならない可能性がある。

「資源の呪い」という言葉がある。アフリカでは資源の発見が内戦や政治腐敗を招き、また資源依存に陥ることで、資源の豊かさが、皮肉にも国家の基盤をむしばんでいくのだ。

例えばアンゴラでは石油やダイヤを奪い合う内戦が、その石油やダイヤの富に支えられて27年も続いた。

コンゴでもダイヤやコバルトを奪い合う内戦がいまも続いている。死者500万人を出す大規模な内戦だが、世界の誰も見向きもしない。自国では自動小銃一丁、大砲一門も作れないような国が、最新式のミサイルや戦車で殺し合えるのは、金があるからだ。その資源を国民生活の向上に使っていれば、どれほど豊かになっていただろうと考えると、人間の愚かさというのは際限がないものだと溜息が出る。

南スーダンは国民の8割が農民だ。土地は肥えているが農業技術が低いので、生産力に乏しい。もともと人口密度の低いところだったから、広い農地があれば飢えずに済んだので、低い生産技術でも間に合ったのだ。

我々の社会は2000年以上前から、高い人口密度を支えるために、農業技術を革新しなければ生きることが出来なかった。しかしスーダンはもともと飢える心配のない土地だったから、技術革新的な社会にならず、農業技術を向上させて豊かになろうという気のない、保守的で安定的な、変化の少ない文化を持つ社会になった。

ところがヨーロッパ技術の導入で都市部の人口が増えると、彼らの農業技術では養えないことになってしまったのだ。

ここで石油に依存する社会に変えてしまったらどうなるのか。輸入食料に頼るようになるだろう。それで農業が衰退すれば、石油が枯渇したときにどうなるのか。部族同士が今度は耕地を奪い合って、またもや内戦に突入するだろう。

1994年、ウガンダのツチ族とフツ族が狭い畑を奪い合って、全土で虐殺が繰り広げられた。3カ月間に100万人がナタやオノで殴り殺されたという。もともと暴力的な風土に育ち、ろくに教育を受けていない人間が、自分と家族を守るためにできるのは、殺し合いぐらいのものなのだ。

これは人間の出来不出来と言うことではない。古事記を読めば、大昔の日本人も同じことをしているのが分かる。南スーダンもそうなるのがわかっているのに、みすみす見逃して良いのだろうか。

そのような悲劇をもたらす前にすべきことがある。教育、法律、医療の整備と農業改革、商業の発展だ。その援助は自衛隊にはできないことだ。しかし日本には、そういうことのできる人材と資金がある。では、いま何をすべきなのか、考えるまでもなかろう。