清末期の日本留学経験者、中国の近代化に多大な影響

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清末期の日本留学経験者、評価難しいが中国の近代化に多大な影響
Record China
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(記事本文は末尾)

こういった論評が中国にあらわれるというのは、いよいよ中国社会が「日本体験」を克服しつつあるという証左なのかも知れないなあ。

「日本体験」というのは、東アジアに於いて中国が有史以来初めて他国に文化的・経済的・軍事的に先行されたという屈辱感とか、日本から受けた差別・侮蔑・侵略などの負の体験のことです。

自分が負けていると思えば、反発が先立って冷静な評価ができません。自信があって初めて他を認めることができます。そういう意味では、これからいよいよ日中の新時代の始まり──いまはその入口にいるのかも知れないです。

なのに日本国内では相も変わらず嫌中がかまびすしいようで。

これは日本社会の幼稚化を示しているんじゃないかなあ。そういう人たちがこれを読むと「それ見たことか、戦前の日本はまったく正しかったんだ」なんて見当はずれの感想を抱くかも。お願いだからそれはやめてね。

清末期の日本留学経験者、評価難しいが中国の近代化に多大な影響

2009年5月19日、中国の教育家、信力建(シン・リージエン)氏は自身のブログで、日本への留学生が中国の近代化に与えた影響について論じた。

中国がまだ清の時代にあった1896年以降、大量の留学生が日本に渡った。最も多かった1906年だけでその数は8600人に上る。だが、面白いのは彼らの留学の目的は日本文化ではなく西洋文化を学ぶこと。正確に言うと日本人が学んだ西洋文化を学ぶことだったのである。辛亥革命の先駆者、国民党の重臣、中国共産党の創始者らはみな日本留学経験者だ。そのため、当時は大量の日本の書物が中国語に翻訳された。中華民国建国前の15年間で956冊、建国後の15年間では1759冊に上った。

日本から取り入れられたのは文化だけでなく、社会体制や改革にまで及んだ。特に明治維新後の日本の成功は中国にとって最高の手本となった。当時の伊藤博文首相を中国の首相に招こうという話しもあったほどだ。伊藤元首相は侵略者ではあったが、優秀な政治家でもあった。全ては日本の国益を考えてのことだと理解できる。また、中国の革命も日本が拠点となった。「近代革命の先人」孫文は日本に大本営を構え、辮髪を切り、洋服を着た。「中山服」が日本の学生服をモデルに作られた話は有名だ。

かつて中国から文化を学んだ日本からの「文化の恩返し」が中国に多大な影響を与えたことは事実だが、それによって中国が自由で民主的な国にはなった訳ではなかった。その原因を「日本の影響力が足らなかった」と言う専門家もいるが、反対に「日本の影響力が大きすぎた」とも言えるだろう。中国は学ぶべき相手を間違えたのだ。当時の日本の政治、法律、教育などは全てドイツから学んだもの。英国や米国の自由で民主的な思想は全く取り入れられていなかったのである。(翻訳・編集/NN)

●信力建(シン・リージエン)

中国の教育家。信孚教育集団理事長。広東省広州市生まれ。1982年、中山大学中国文学部卒業。工場、銀行、政府機関などで働いた後、英国へ留学。軍人、農民、労働者など30以上の職に就いた変わった経歴を持つ。2006年までに幼稚園や小中学校など20校を建設、学生数は1万人を超える。