憲法と文化の話(1)

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私の所属する合唱団はうたごえ運動に属していて、毎年憲法集会に参加して歌っています。
今日は合唱団のニュース(発行は100部程度)に連載している「ほらふき文化講座」からの転載です。

やさしい憲法と音楽・郷土芸能の話(1)

先日、こんな問いかけを受けました。
「合唱団はどうして『憲法を守る集会』に参加するんだろう」。
とても大切な問いかけだと思いました。
そこで、何回かに分けて、この問題について考えてみたいと思います。
学校時代に戻ったつもりで勉強していただきましょうかね~(笑)

音楽は美しく死ぬため?

私たちはいま、自分たちの楽しみのために普通に歌を歌ったり太鼓を叩いたりしています。そのことで警察からとがめられたりはしませんね。これが当たり前の状態だと思っています。私たちが音楽活動をする自由というのが、憲法で保障されているなんてことを、いちいち考えません。

けれども、いつでもこうだったのではありません。戦前の大日本帝国憲法の時代は、こうではありませんでした。戦前、音楽や美術を担当したのは文部省芸能科でした。その教師用教科書には、音楽教育の目的がこう書いてあります。

「帰結するところは、芸能文化の面を通しての皇運の扶翼といふことにある。」

「皇運の扶翼」というのは難しい言葉ですが、簡単に言えば、「戦争に勝つ」ということです。そして文部省芸能科は、教師に対して、音楽教育とは「いかに美しく死するか」を教えるものだと明言していました。
「……芸能教育の目的は、いかに美しく生き、美しく死するかを極めるにある。……戦争こそ文明の母である。……いかに生産に生き、いかに戦争に死するか、それが芸能教育の目的である。」

うたごえ運動のはじまり

戦前はこういう国でした。ですから学校に限らず社会でも、「歌ってよい歌」と「歌ってはいけない歌」というのを国が決めていました。郷土芸能は、カネや太鼓で若者を戦場に送り出すために奉仕させられました。

音楽や芸能は生きる元気を与えるものであって、死に向かう勇気を与えるものではないなどと言えば、牢屋に放り込まれるか、仕事を干された時代です。心ならずも国に協力して軍歌をつくり、そのことを苦にして自殺した音楽家もありました。

戦後、二度とそんなことに音楽を利用させてはならないということで始められたのが、「うたごえ運動」です。私たちの合唱団は、そういう「うたごえ合唱団」のひとつとして結成されたのです。

来週も、このことについて、もう少し掘り下げたいと考えます。