「集団的自衛権」論議の危うさを考える

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麻生首相「憲法解釈見直しを」
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麻生さんは集団的自衛権を認めるために憲法解釈を変えたいと言います。自分ひとりでは守れないから誰かと力をあわせようというのは自然な考えに聞こえます。しかし集団的自衛権は両刃の剣です。

古くは中国戦国時代の「合従連衡(がっしょうれんこう)」の故事が有名です。合従連衡とは、合従策(がっしょうさく)と連衡策(れんこうさく)のふたつを合わせた言葉です。

合従策とは、小国が力を合わせて大国の侵略に対抗しようというもの。
連衡策とは、そんなことをするより大国と同盟を結べば安全じゃないかという考えです。
そうすると他国侵略を手伝わされるのですが、他人のことは知ったこっちゃない、自分が大事という考え方です。

麻生さんの考えは強いアメリカと手を組む連衡策ですね。連衡策の利点は確実性です。現在、アメリカとまともに戦える国はありませんから、その力がバックにあればまず安全です。

ところで、どうやら麻生さんは対等な攻守同盟を結びたいらしい。攻守同盟とは、どちらかが戦争をすればもう一方が必ず応援に駆けつけるという同盟です。するとアメリカがどこかと戦争をすれば、自動的に日本も参戦せねばなりません。

アメリカはテロ以外の手段で自国が攻撃されるとは微塵も考えていません。戦争は必ず自国以外のところでするものだと思いこんでいます。その軍備は凄く強力なので、何の思慮もなく簡単に武力攻撃をしがちです。そんなアメリカに、日本はお付き合いしてもよいのでしょうか。日本とは縁もゆかりもない国で、日本の安全に何の脅威もない国でも、攻撃しなければならない義務を負うのです。

麻生さんは「テロとの戦いから逃げない」と言いますが、そもそもあれはアメリカの失敗外交のツケじゃないですか。なんでそんなツケを日本が命がけで支払わなきゃならないんでしょうか。イラク戦争の場合、勝つには勝ったけどフセイン政権はテロと無関係だったし、戦後復興は予想以上に混乱しています。思慮の浅いアメリカの戦争に協力して、自衛官が死の危険にさらされるなんて、まっぴら御免こうむります。

何も武力を振りかざすばかりが国際貢献ではありません。武力を使わずに問題を解決できればそれが一番いいのですから、そういう予防安全保障システムの研究に日本はもっと資金も人材も投入すべきだと思います。

実は麻生さんは国連総会の演説でそういうことを語っているんです(下に資料として国連演説の一部を掲載します)。ならば国際社会に対する約束を実行してもらいましょう。

戦国時代に連衡策を採用した国は、秦国の侵略のお先棒をかつがされたあげく、滅ぼされたことを思い出したいものです。

<資料>麻生首相の国連演説(抄)

議長、話題を転じ、夏の終わりの、ある出来事をご紹介したいと存じます。

ところは、東京郊外の小さな街。去る8月末、ここに海外から9人の高校生がやって来ました。日本に来るのは初めてです。慣れない料理に顔をしかめるなどは、どこにでもいそうな高校生のビジターと、変わるところがありません。

1つだけ、ありふれた招聘プログラムの参加者に比べ、彼ら、彼女らを際立たせていた特徴がありました。4人がパレスチナ、5人がイスラエルの高校生で、全員、テロリズムを始めとする過酷な中東の現実によって、親族を亡くした遺児であったという点です。

議長、日本の市民社会が地道に続けてくれている、和解促進の努力をご紹介しました。高校生たちは、母国にいる限り、互いに交わることがないかもしれません。しかし遠い日本へやってきて、緑したたる美しい国土のあちこちを、イスラエル、パレスチナそれぞれの参加者がペアをなして旅する数日間、彼らの内において、何かが変わるのです。親を亡くした悲しみに、宗教や、民族の差がないことを悟り、恐らくは涙を流す。その涙が、彼らの未来をつなぐよすがとなります。

包括的な中東和平には、それをつくりだす、心の素地がなくてはならぬでしょう。日本の市民社会は、高校生の若い心に投資することで、それを育てようとしているのであります。

議長、この例が示唆する如く、日本ならばこそできる外交というものがあることを、私は疑ったことがありません。

ヨルダン川西岸地区に、もしイスラエルの点滴灌漑(かんがい)技術を導入できたなら、パレスチナの青年は野菜づくりにいそしむことができます。しかし双方を隔てる不信の壁は、それを直ちには許しません。日本はそこに、触媒として入り込み、両者を仲介します。その際に、点滴灌漑の力を最大限発揮せしめる日本独自の技術を持ち込みます。

やがて西岸地区が灌漑によって緑の大地となること。そこで採れた農産物がパレスチナ人の加工を経、ヨルダンを走って湾岸の消費地へ行き、新鮮なまま店頭に並ぶこと。これを目指すのが、我が政府の進める「平和と繁栄の回廊」構想にほかなりません。

日本はここで、自らの持つ技術や資金を提供するのはもとよりのこと、何よりも、信頼の仲介者となるのです。そして信頼こそが、中東にあっては最も希少な資源であること、言をまちません。

我が政府は今、核兵器の全面的廃絶に向けた決議案を提出しようとしています。日本がこれに込める思いの丈を、疑う人とていないでしょう。同じ意味において、IAEA(国際原子力機関)の活動に日本が重きを置くことに、多くの説明は無用であろうと存じます。かつて同機関理事会議長を務めたことのある天野之弥(あまの・ゆきや)ウィーン代表部大使を、わたくしは、IAEA次期事務局長候補として立たせるものです。皆様の、ご支持を願ってやみません。