「みんな人間らしくあれ」

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「障害を持つ人も認知症の人も、老いて体が不自由な人も、みんな人間らしく生きる。
それを支えるのが福祉、人々の連帯、そして愛なのだ。」

誰もが人間らしく暮らす権利をもつという思想、ノーマライゼーションの生みの親はニルス・エリック・バンクミケルセンというデンマークの人だそうです。

以下は昨日の朝日新聞『ニッポン人脈記』から。

彼の原点は反ナチにある。
母国を占領したナチスに抵抗し、強制収容所に送られた。
戦後、政府の役人となり、当時の知的障害者入所施設の悲惨さを知る。
「ナチスの収容所と同じ」と衝撃を受け、改善に心血をそそいだ。
デンマークは「世界で最も暮らしやすい国」と呼ばれるようになった。

彼を終生の師と仰ぐ千葉忠夫さんに、バンクミケルセンは語ったそうです。

「ノーマライゼーションなんて、難しい哲学でもなんでもないんだよ」
「それじゃあ、何ですか?」
みんな、人間たれ、ということだね。」

千葉さんはデンマーク在住ですが、年に何度か帰国して講演されるそうです。

私は悔しいんです。
日本はお金があるのに、なぜ、母子家庭や障害のある人、高齢者や貧しい人々、弱い立場の人たちの生活すら守れないのか。
北欧は国民すべての生活を保障しているのに。
日本は弱い者いじめです。

「憲法が輝く兵庫県政をつくる会」から『ウィ・ラブ・兵庫』という小冊子を頂きました(本当は売り物らしい)。読んでびっくりしましたね。元兵庫県庁にいた人が書いています。

県は「兵庫21世紀ビジョン」というのを作ってて、いいことを書いている。
しかし「ビジョン」というのは「計画」じゃない。
目標が示されているだけで、実行の裏づけはなくてもいいのが「ビジョン」。
一方で道路建設などはビジョンじゃなくてちゃんとした「計画」だ。
「道路建設5カ年計画」などというものはある。

しかし福祉・教育・医療にこういう計画はない。

あ……そ、そうなの?

尼崎の松下電機工場への県の補助金は175億円(ホエ~)。雇用を産み出すためだそうです。で、そこに新規で雇われるのが、正規雇用6人。派遣が236人。な、なぬーっ!

県が作った但馬空港が赤字なのは知っていました。しかしその中身までは知りませんでした。この空港、265万円の収入をあげるために、4億円の経費がかかってるそうです(ホゲ~~ッ!)。この空港の滑走路を延ばすために、な、な、なんと100億円!!!!

あまりのことに空いた口がふさがりません。こんなことのためにドンドンジャブジャブと税金が投入されます。

一方で財政赤字を理由に減らされるものは、老人医療費、乳幼児医療費、重度障害児医療費、これらで341億円。私学助成費95億円。妊婦健康診査費33億円。

私は悔しいんです。
日本はお金があるのに、なぜ、母子家庭や障害のある人、高齢者や貧しい人々、弱い立場の人たちの生活すら守れないのか。
北欧は国民すべての生活を保障しているのに。
日本は弱い者いじめです。

ほんとにそうだなあ……

追記

たしかに日本は平均寿命は長いし、教育も行き届いています。それは政府のおかげでしょうか。政府のおかげであれば、それは政権党の政策宜しきを得てということになろうかと思います。現在の自公政権を見るに、私はそうともいえないと思いますよ。

平均寿命が延びたのは戦後になってからで、それも1960年以後が著しい。もちろんそれは戦後の民主改革のおかげです。国民皆保険制度の実施と経済成長による生活改善が大きな理由だと言われています。低軍備と民生重視という政府方針も幸いしました。新憲法の理想を実現しようとした、大きな国民的機運もありました。

これらは政権党に任せておけば自動的にそうなったというものではありませんね。強力な野党、労働組合をはじめとする民衆の政治力があればこそです。批判勢力があったからこそ、国民の福利が増進したのです。批判勢力に政権を奪われてはならじと、与党が野党の政策を取り入れて国政の安定を図るという、議会制民主主義のダイナミズムが発揮されたわけです。事実、福祉政策の多くは革新自治体の政策を、国が取り入れたものです。

さてところが。ここにあげたような条件が、近年急速に失われつつあります。それは新自由主義経済政策の導入によってです。

つぎの2つの数字を比べてください。
生活保護適用者数です。

1985年度(昭和60年度)の保護人員=1,431,117人
2005年度(平成17年度)保護人員=1,475,838人

変わりないですね。変わったのは運用です。昭和60年には保護を打ち切られて死ぬ人なんていなかった。その頃と比べれば、日本経済はかなり拡大しています。それなのに、昭和60年に出せた生活保護予算が、今は出せないと言われています。そんなバカな。

昭和60年にはできなかったような大型公共事業はできるそうです。昭和60年には持てなかった強大な軍事力が、いまは持てるそうです。でも昭和60年当時の福祉水準は維持できないというのです。医療水準も年金水準も切り下げやむなしというのです。

出す余裕がなくて出せないのではありません。出す気がないから出さないだけなのです。足りないのは意思なのですね。

政府にそういった意思を持たせるには、政府批判が必要です。批判力を高めることが必要です。批判が世論の支持を得て、政権を追い詰めるほどにならなければなりません。じっと待っていれば「棚からぼた餅」みたいに高福祉が実現するはずがないのです。寝てれば天井から福祉予算が降ってくるのではありません。

なのに近年は国会のほとんど2/3が改憲勢力という有様ですから、ダイナミズム低下もはなはだしい。国民世論がいま方向を間違えていると私は思っています。ですから、私はこれからも大いに政府批判をやるつもりです。それが日本のためになると信じるからです

追記:生活保護世帯数の推移

生活保護世帯数の推移ですが、実は一度ガクッと減った時期があります。それは国民所得が増えたからではなくて、生活保護基準を厳しくしたのが原因です。ところがその厳しくなった基準さえ「クリア」する極貧層が急速に増えているのです。

そこでいままた新たな生活保護削減が始まっています。それが「水際作戦」といわれるもので、生活困窮者が保護申請に来ても、申請させないで追い返すのです。またケースワーカーが被保護者に働きかけて「自発的に保護を辞退」させるというものもあります。病気で働けない人を「保護辞退」に追い込み、餓死させた北九州の事件がありましたが、あれがそうです。

生活保護費は物価に応じて調整されるべきものですから、物価が上がれば当然予算総額は増えます。しかし物価が上がれば税収も増えるのですから、税収に対する負担割合が変わることはありません。税収と保護予算はこういう関係にあるのですが、1人当たりの保護費はこの10年間変わらないか、むしろ減っています。それは家賃補助の上限が減らされたり、水道基本料金が支給されなくなったりしたためです。

下に生活保護の動向を表にしたものを示します。高度経済成長以前の保護率がいかに高かったか分かりますね。国も貧しかった頃のほうが保護率が高かったのに、豊かになった今、保護率が低くなったのにそれに財政が耐えられないなどというのはまったくおかしな事だと思いませんか?

被保護世帯、被保護人員、保護率の年次推移
厚生労働省

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/04/images/s0420-7c03.gif

被保護世帯被保護人員保護率(‰千分率)
昭和27702,4502,042,55023.8
30661,0361,929,40821.6
35611,4561,627,50917.4
40643,9051,598,82116.3
45658,2771,344,30613.0
50707,5141,349,23012.1
55746,9971,426,98412.2
60780,5071,431,11711.8
平成2623,7551,014,8428.2
7601,92588,22297.0
12751,3031,072,2418.4
13805,1691,148,0889.0
14870,9311,242,7239.8
15941,2701,344,32710.5

資料:福祉行政報告例、総務省人口推計

追記:生活保護申請させない「水際作戦」

「おにぎり食べたい」という遺書が残っていた小倉の餓死事件を含め、北九州市では3年連続で3件の餓死と1件の自殺事件が判明しています(単なる衰弱死扱いとされたり、生活保護を断られたことを本人が遺書に残して居なかったりで、事件になっていないものはもっとあると思われます)。

小倉の餓死事件の前年には門司で餓死した後、相当日数が経過してミイラ化した男性が発見されています。このケースでは疾病と身体障害のために働けず、家賃を滞納し、電気ガス水道が止められた状態であり、2度にわたり福祉課に生活保護を申請したいと申し出ていたにも関わらず、窓口では申請すらさせなかったという事例です。

申請すれば確実に保護決定が下りていたでしょう。だから申請書を渡さないのが「水際作戦」と言われるものです。申請させなければ生活保護予算の増加をくい止められるし、死のうが行方不明になろうが統計数字に上がりませんから、行政責任を回避できます。

その前年には5度にわたる生活保護申請を受け付けて貰えず、4日後に雪の中で倒れているのを発見された男性がいました。彼は救急車で搬送されて一命を取り留めたのですが、治療費が支払えないためその日に退院扱いとなり、自宅に戻ったあと餓死しているのが発見されました。

これらは極端な事例でしょうか。不気味なのは、北九州市の無慈悲なやり方が、生活保護予算を増加させないモデルケースとして各地の自治体に波及しているという事実です。今は保護予算を少なくできた自治体が優秀な自治体とされ、正当に保護決定を出す自治体が厚労省から白い目で見られるのです。

日本に憲法第25条は生きているのでしょうか。

日本国憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。